肉体(非物理次元の[意識体]も含む)としての他者、自己を見ている時
「神からの分離を犯した証拠」=イコール自分の有罪性を見ていることになる。
これは肉体の知覚なんだ。と、思考している時
自分は有罪なんです。と、自分に教えていることになる。
そして、その概念の中では間違いなく「私」は瀕死状態だ。
真の赦しは、肉体という形のレベルの、偽りの実在性を受け入れているままでは起きてゆかない。
無は、単に無として見られ
真の原因の場所で知覚しているのだということを悟らねばならない。
その原因の場所で「罪と罪悪感の実在性を信じる信念」(奇跡講座テキスト編 P5/中央アート出版社)
を訂正してもらわねばならない。
「肉体として見ない!!」と、頑張るのではなく
「彼の、自己の、無罪性という真理を見たい。」
「神からの分離の決断を撤回したい。」
「神に降参・降伏する。」
と、決断することが重要らしい。
そうでなければ
「勝たねば!!!」という無意識の罪悪感の投影がエンドレスに繰り返されてゆく。
その無意味性がわからなければならない。
もしも真摯に、ワークブックレッスン1~3だけを繰り返すだけでも、その無意味性がわかってくる。
やめる気になってくる。
奇跡講座テキスト編 P575(中央アート出版社)
第20章 聖性の心眼
セクション7 手段と目的の一貫性
あなたの質問は「どうすれば兄弟を肉体なしで見ることができるだろうか」であってはならない。
「私は本当に彼を罪なき者と見たいだろうか」とだけ問いなさい。
T-20.7.9:1~2
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「神からの分離を犯した証拠」=イコール自分の有罪性を見ていることになる。
これは肉体の知覚なんだ。と、思考している時
自分は有罪なんです。と、自分に教えていることになる。
そして、その概念の中では間違いなく「私」は瀕死状態だ。
真の赦しは、肉体という形のレベルの、偽りの実在性を受け入れているままでは起きてゆかない。
無は、単に無として見られ
真の原因の場所で知覚しているのだということを悟らねばならない。
その原因の場所で「罪と罪悪感の実在性を信じる信念」(奇跡講座テキスト編 P5/中央アート出版社)
を訂正してもらわねばならない。
「肉体として見ない!!」と、頑張るのではなく
「彼の、自己の、無罪性という真理を見たい。」
「神からの分離の決断を撤回したい。」
「神に降参・降伏する。」
と、決断することが重要らしい。
そうでなければ
「勝たねば!!!」という無意識の罪悪感の投影がエンドレスに繰り返されてゆく。
その無意味性がわからなければならない。
もしも真摯に、ワークブックレッスン1~3だけを繰り返すだけでも、その無意味性がわかってくる。
やめる気になってくる。
奇跡講座テキスト編 P575(中央アート出版社)
第20章 聖性の心眼
セクション7 手段と目的の一貫性
あなたの質問は「どうすれば兄弟を肉体なしで見ることができるだろうか」であってはならない。
「私は本当に彼を罪なき者と見たいだろうか」とだけ問いなさい。
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