今まで自然と思えるほどに
「私」がリアルで、それ以外の何かは別ものだ。
そう考えてきた。
それ前提で
「私の思考」を思考しているのが「私」
そう信じてきた。
その信念が
覆されてくると。。。。
自己という感覚の喪失感が訪れはじめる。
そうすると、なんていうか
個人的な思考をしようとすると
明らかに「私という個人の思考」じゃなくて
「分離を真実だと語る声」であったことに気がつき
思考をする
のではなく、それを見つめる。ことになる。
自分じゃない思考と同一化をやめちゃうと
日本語でも話せなくなってくる。
「自己という感覚の喪失感」
これはとても必然なことで
時間をかけて
偽りのアイデンティティから、真のアイデンティティーへ移行してゆく
その通過点。
私=あなた という、神聖な関係性だけが、存在しえる関係性だった。
早朝のデンバー
.
「私」がリアルで、それ以外の何かは別ものだ。
そう考えてきた。
それ前提で
「私の思考」を思考しているのが「私」
そう信じてきた。
その信念が
覆されてくると。。。。
自己という感覚の喪失感が訪れはじめる。
そうすると、なんていうか
個人的な思考をしようとすると
明らかに「私という個人の思考」じゃなくて
「分離を真実だと語る声」であったことに気がつき
思考をする
のではなく、それを見つめる。ことになる。
自分じゃない思考と同一化をやめちゃうと
日本語でも話せなくなってくる。
「自己という感覚の喪失感」
これはとても必然なことで
時間をかけて
偽りのアイデンティティから、真のアイデンティティーへ移行してゆく
その通過点。
私=あなた という、神聖な関係性だけが、存在しえる関係性だった。
早朝のデンバー
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