「秘密を保つことがあり得る」
という考えが、どれほど意味のない価値のない考えであるか?については
なかなか理解しにくいことなのだろうと思う。
自分の気持ちや考えを秘密にできる相手って、誰だろう?
自分の気持ちや考えを秘密にできる相手って、自分ではない他者だと
私たちは、本気で信じているのだけども、、、、
秘密にしよう、隠し続けよう、防衛し続けよう、、としている相手とは
実は自分の心なんだ。
もっと言うと、その相手とは神なんだ。
しかも、秘密を保ち続けようとしているそこは、あろうことか天国のど真ん中なのだ。
天国という永遠に続く愛(表現不可能なそれ)の中で、自分だけの考え、秘密ごとを維持できるのだろうか?
「秘密を保持し続けることは可能だ」
という考えに同一化した心は、まさに「地獄は存在し得る」と信じている。
ゆえに、心の中に地獄と言う幻想を、現実として抱え持っているに違いない。
地獄はあり得ると信じて、考えて、同一化しているなら
その同一化した心は地獄を感じざるを得ない。
秘密を維持することに一生懸命な心は、信じられないくらい苦しんでいる。
その苦しみが抑圧されなくなるにつれ、正直でいることを喜んで望み、正直であるのだろうと思う。
秘密を維持したい心は、自己概念をキープすることをプライオリティーにしているしプライドを保ちたいと考えている。
もしも仮に、この世的にものすごく素晴らしい自己概念やプライドを一生保つことができたとして、、、、
で、それによる恩恵ってなんだろうか?
「私は立派な人間、私は立派な肉体、私は立派な日本人、私は親切な友人、私は立派な息子、娘、私は立派な孫、私は立派な夫、妻、私は立派な親、祖父母。。。。etc」
と言う考えによって自己満足をして一生を過ごすこと。つまり、それが「恩恵」なのだろう。
しかし、それは自己欺瞞にすぎないし、幽閉にすぎない。恩恵などではない。。
もしも私たちが本当に、本物の幸福と愛と自由を望むなら
人の機嫌取りをし続ける、とか
自前の考えを秘密にし続ける、とか
だんだん無理になっていくものだと思う。
↓英語のみの動画ですが、ケネスの正直な心と、デイヴィッドのストレートなトークが聞けます。
Being Truly Honest! Get Real with Kenneth Clifford (Episode #51)