奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

心である私たちの決断には巨大なパワーがあります!

2020年07月14日 00時17分00秒 | ドキュメンタリー映画製作2018-2020
先日は三崎口での集中リトリート撮影でしたが

今回は7月10日夜から集まり、今朝まで佐島で撮影をしていました。
昨日〜今朝までほぼ徹夜でそれぞれのはたらきを果たしたのですが
目に見える奇跡、目に見えない奇跡の両方が起きていると思います。

今回、私に与えられているパートは、相当な直球で話さざるを得ないパートのようです。


カメラが回っている間は特に、今までの個人セッションや勉強会や合宿で出てきたことがないような
「直球の投げかけ」が起きているように感じます。

おそらくその理由は、これまで何度も何度も何度も何度も何度も
あらゆる撮影に関わって、自分を含めて私たちの本気を出し惜しみすることが
どれほど勿体無いことなのかを実感しているからなのだろうと思います。


「私はどれだけ、真に価値あるものから目を背けて、価値なきものに奮闘し続けてきたのか?」
それを咎めるところからではなくて、ものすごく自然に当たり前に受け入れている自分がいます。


私たち(の心の一部、偽りの自分の部分)は、闇で愛を覆い続けて
愛から目を背け、愛がすべてを包含するのをひたすら邪魔してきました。


その仕掛けを認識してこそ、そして、それを無価値なものと認識して捨て去り
愛という真理に身を委ねサレンダーすることで
本当の自分の自覚がだんだんと復活してゆきます。


私たちには罪がなく、
どこにも誰にも罪を犯すことは不可能で、罪をもつことも不可能だった。

という当たり前な真実が、聖霊の声として自分の心の中で常に語られているのを
ありのままに邪魔せず聞き取り

幸せな自分として偽らず生きる。喜びの自分として偽らず生きる。
なんの障害もそこにはなかったことを認める。

そして聖霊のために生きる。
なぜなら自分と聖霊に違いはないから。別物ではないから。

自分と同じで、ひとつである者の聖霊の目的のために生きる時
いかなる犠牲も損失もあり得なかった。


という本当のことに、私たちはやがてはっきりと気がつくことになります。
それは恐ろしいことではなくて、祝福に満ちた喜びの気づきです。


私たちには本当に本当に価値があって
自分が望んだり惹かれたり喜びを感じることをする価値が
今この瞬間に拡がっています。本当は誰も止めていません。

もしも、止められているように感じたとしたら
それは自分の心の中にすでにあるものを外側を通じて認識しているにすぎません。
止めているのは誰でもない自分自身です。


これまでの道のりの約8年間を振り返ってみると
私はことごとく常識的ではないことばかりやってきました。


要するに、自分が惹かれることをして惹かれないことはやめる。
なんの保証もなくても、やりたいことをする。やりたくないことはしない。
という非常識さです。時に、周りは驚きます。



表面的なレベルの自分の願望は認識しやすいけど
奥の奥の、コアのレベルの本当の望みは、長年隠されて抑圧されているので
なかなか気が付けないかもしれません。なかなか認められないかもしれません。

でも、その望みを感じてあげる第一歩がとても大切。
その望みを感じることも、気づくことも、触れることにおいても
自分には価値がないと、ものすごく信じすぎて思い込んでしまっているので

自分のために、全体のために、自分にはこれを感じる価値があるんだ。
価値があるらしい。と、自分に教えてあげていきたいですね。


必ずと言っていいほど、これには「恐れ」がともないます。
でも「恐れ」は、ただ単に光を蓋していた鉄扉のようなものなので
私たちさえ、その扉を突破したいと思えば
その時、いとも簡単にその鉄扉は粒子に戻り、私たちの前から消え去ります。

そのくらい、心である私たちの決断には巨大なパワーがあります!!


チェックアウト前の風景。よく間に合ったなあ。。。




実際に映画に採用されるかはわからないけども
今回の佐島での経験で強く感じたこと、聖霊から与えられたテーマ、メッセージはこれなのだろうな。と思いました。😊❤️








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