奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

病とは何らかの形の外的探求

2015年09月25日 01時47分33秒 | 奇跡のコース/奇跡講座はじめ
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社) P53 T-2.1.5:10
「病とは何らかの形の外的探求である」

とありますが意味が分かりません。



という単刀直入なご質問(笑)を、1年半前にいただいたことがありました。

その時のお返事をご紹介させていただきます。


☆   ☆   ☆


(2014年2月某日)

今の私で読むと、こんな感じです。 (完全に合っているかはわかりません)

この文の前後に、内とか、外・外的という言葉がありますが、

そもそも、「分離をした」と錯覚していなければ、内とか外という概念は無いと思います。

完全な全一性のことを説明する時

「分離した」と思っている意識にそれを理解させるには、全一性を「内」という言い方で説明して、

その全一性とは 何ら関係の無い 悪夢・幻想のことを

外とか、外的・外側と表現しているのだろうと思います。

「分離したことを信じている」という時は、確かに外があり、

外があるということは、完全な神との一致状態ではないということ。

それはまさに、神の子にとっては大混乱で、気絶や死では済まないくらい

ものすごい罪(思い込み)ゆえの恐怖なわけで、神による攻撃が、外からやってくるに違いない!

と無意識に信じるわけですね。

その、外側に対する防衛や先制攻撃のような思考状態を

「なんらかの形の外的探求である。」

と、表現しているのかもしれない。なんて、思いました。

私は実際にうつ病を体験したので、そこらへんは なるほど〜と、深く感じます。

何もされていないのに「攻撃される!やられる!」という反応しまくりなんですね〜〜

実際に「病気」という形で現れていなくても、この世界では隠蔽した状態で、いつも みんなでやっていることですね。

コースの中で、Jは 同じ一つのことについて1000もの言葉で表現しているのだそうです。

飽きさせないためだったり、いろんなタイプの神の子に対応するためだったりするのでしょうね!


結局、聖霊を選び続け、分離を信じない心には「外がある」なんてありえないので、

罪も攻撃も反撃もなくて、病気もありえないのですね。


自分の苦しみの原因を自分の心の外に見て、肉体の自分(外)の病を、幻想(外・偽りの原因)による結果とする。

そういう思考状態をさしているんですね。



☆   ☆   ☆


(2015年9月25日)

しかしながら、病が肉体に現れているかどうかは、そういうレッスンが差し出されているだけですので

それ自体は、レッスン教材ですね。(赦しがうまくできているか否かの目安そのものにはなりませんね)

そして、奇跡講座においては「神との分離を信じる信念そのものが、病なんだよ。」と言っているわけですね~^^;

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