宇宙含め、この世界は どんなに高い次元であっても
分離を採用した自我意識がプログラマーとして作った
テレビゲームのような世界だ。
スーパーマリオなどのキャラクターは
肉体を持った意識として動かされているわたしたち。
それを、コントローラーを持ちつつ観ているのが、観察意識・宇宙意識。
プログラムすべてを支配しているのは、自我意識。
そして、例えるなら
そのゲームのストーリーや、設定には、なんら関わっていない
ただただ流れ続ける電力が、神の愛。
自我意識は、プログラムを仕掛けるだけで、あとは何もできない。
神の愛である電力を横領してこそ、何でもかんでも、茶番をでっち上げてゆく。
本当の我が家を忘れきっている時、ゲームに没頭して、楽しさを感じるかもしれない。
けれど、テレビゲームの中には どこにも真実が無い、ただのストーリーの世界であり
ニセモノの世界だ。
-----☆
この時代には「アセンション」という設定も、確かにある。
けど、残念ながら そこにも真実は無い。
ただの、宇宙劇場の演出上の設定でしかない。
今確かに、心の奥底に、抑圧して隠蔽している
「罪」という自我の思考プログムをそのまま温存しつつ
「アセンションを楽しんで、高い意識で存在して生きてゆく」
というストーリーを堪能するのも良いし
自我の思考システムごと、宇宙をも店じまいして、玩具で遊ぶことを終えて
真の悦びに帰還する準備がやってきたのなら
早々に、神への帰還のプロセスを歩んでゆくのは必然だ。
これからも、ストーリーを堪能するか(幻想を選ぶか)
店じまいをして、帰還をスタートするか(神を選ぶか)
どちらかしか、選べない。
右に進みながら左に進むことは不可能だ。
最終的には、みんなが神に帰還する。
それが、永遠のように時間がかかっているように思えても。
爆発的なエクスタシーしか感じられない、本当のほんとうの体験に還る。
わたしにできることは、神との完全な一体に帰還したい。という
準備OKな兄弟姉妹たちをサポートすること。
一緒に帰還すること。
そのために、この世界で夢をみています。
分離を採用した自我意識がプログラマーとして作った
テレビゲームのような世界だ。
スーパーマリオなどのキャラクターは
肉体を持った意識として動かされているわたしたち。
それを、コントローラーを持ちつつ観ているのが、観察意識・宇宙意識。
プログラムすべてを支配しているのは、自我意識。
そして、例えるなら
そのゲームのストーリーや、設定には、なんら関わっていない
ただただ流れ続ける電力が、神の愛。
自我意識は、プログラムを仕掛けるだけで、あとは何もできない。
神の愛である電力を横領してこそ、何でもかんでも、茶番をでっち上げてゆく。
本当の我が家を忘れきっている時、ゲームに没頭して、楽しさを感じるかもしれない。
けれど、テレビゲームの中には どこにも真実が無い、ただのストーリーの世界であり
ニセモノの世界だ。
-----☆
この時代には「アセンション」という設定も、確かにある。
けど、残念ながら そこにも真実は無い。
ただの、宇宙劇場の演出上の設定でしかない。
今確かに、心の奥底に、抑圧して隠蔽している
「罪」という自我の思考プログムをそのまま温存しつつ
「アセンションを楽しんで、高い意識で存在して生きてゆく」
というストーリーを堪能するのも良いし
自我の思考システムごと、宇宙をも店じまいして、玩具で遊ぶことを終えて
真の悦びに帰還する準備がやってきたのなら
早々に、神への帰還のプロセスを歩んでゆくのは必然だ。
これからも、ストーリーを堪能するか(幻想を選ぶか)
店じまいをして、帰還をスタートするか(神を選ぶか)
どちらかしか、選べない。
右に進みながら左に進むことは不可能だ。
最終的には、みんなが神に帰還する。
それが、永遠のように時間がかかっているように思えても。
爆発的なエクスタシーしか感じられない、本当のほんとうの体験に還る。
わたしにできることは、神との完全な一体に帰還したい。という
準備OKな兄弟姉妹たちをサポートすること。
一緒に帰還すること。
そのために、この世界で夢をみています。