わたしは、東京のとある下町で生まれ育ちました。
今はかなりさびれてしまっているようですが
当時住んでいた家の近くの商店街で、おいしそうなおかずやおやつがなんでも揃っていました。
最近、何度も何度もふと思い浮かぶ光景があります。
それは、商店街の裏道に入ったところにある
小さなおいしいパン屋さん
そのパン屋さんの片隅に、ガラス張りの冷蔵庫があって
その冷蔵庫の中に並んでいる
かたい焼きプリン。
「かたい」と表現しているのは、最近のプリンの主流がなめらかプリンだから(笑)
そのプリン1個を買いに行って、家に持ち帰り表面がしっかりとした
かたいプリンをほおばる5~6歳のわたし。
なんでしょうね? 笑
幸せな瞬間の象徴なのかな??
スーパーや、ショッピングモールに行ったついでに
そういう素朴で、かたいプリンは売っていないものか?と探していましたが
最近の流行に押し流されているのか?
かたいプリンは、なかなかお目にかかれません。
逗子のとあるスーパーで、淡路島の卵屋さんが作っているらしきプリンを見つけ食しましたが、、
まだまだ柔らかい。(笑)
別に、どうでも良いことですが(爆)
結構前から自分で作ってみたらいいじゃない?という想いがあがってきていて
ついでに「そのうち買いたいな~。」と思っていた優れもののオーブンも買うことにしました。
○○したいな~。
○○するといいな~。
という想いを、欠乏から行うか、満たされているところから行うか
いずれかの、二者択一なんですね。
したいと思うことは、なんでもすればいいわけです。
ただ、コースを実践してゆく上でとても大切なのは
「これが完全に夢だ」という自覚「この世界は実在していない」という自覚。
それを自分に教え学びながら
何でもしたいことをする。夢なのだから怖がる必要はない。
もしも、「人生で一度は結婚をしたい!」
と思っていれば、コースを学んで実践していようとも
お見合いしまくればいいんですね。 (笑)
「毎年のように海外旅行に行きたい!」
と思っていれば、そうすればいい。
お金が欲しいと思えば、何でもトライすればいい。
失敗、成功という映像が現れるかもしれないけれど
もしも、この夢から出ることを一番の最優先にしているのであれば、ただ赦し明け渡してゆくだけで
「そこには何の意味もなかった。」ということが必ずわかる日が来るはずですね。
無意味なんだからこそ、ふとやりたいことは何でもやってみればいいと思うんです^^
これもまた、紙一重なんですけどね、、
なんでもやりきった先に「ああ、なんにも必要なかったんだ。」
という理解がやって来るのだと思います。
わたし自身、この人生で何でもやり尽くしたのでお腹いっぱいなんです(笑)
プリンは作るし、食べるけど^^
娘たちにも好評でした。
昨日は、蒸しプリン
今日は、焼きプリン。
やっぱり焼きプリンだな(笑)
コースの言う、幸せな夢の相当手前だと思いますが
それなりに楽しい、歓喜な生活です。
この爆発的な歓喜に慣れていって、幸せを受け入れていって
意識の選択に警戒しているだけの生活。
すべてが美しいです☆
すべてに感謝。
↑昨日の蒸しプリン
↑今日の焼きプリン
↑お利口なビストロさん
しかし、、幸せの象徴って
やっぱり、高級かどうかとか、お金や、地位や名声とは関係がないんですね。
分離の差をあまり学んでいない幼子の頃の、素朴な味の方が
キラキラとした魅力的な象徴です。
今はかなりさびれてしまっているようですが
当時住んでいた家の近くの商店街で、おいしそうなおかずやおやつがなんでも揃っていました。
最近、何度も何度もふと思い浮かぶ光景があります。
それは、商店街の裏道に入ったところにある
小さなおいしいパン屋さん
そのパン屋さんの片隅に、ガラス張りの冷蔵庫があって
その冷蔵庫の中に並んでいる
かたい焼きプリン。
「かたい」と表現しているのは、最近のプリンの主流がなめらかプリンだから(笑)
そのプリン1個を買いに行って、家に持ち帰り表面がしっかりとした
かたいプリンをほおばる5~6歳のわたし。
なんでしょうね? 笑
幸せな瞬間の象徴なのかな??
スーパーや、ショッピングモールに行ったついでに
そういう素朴で、かたいプリンは売っていないものか?と探していましたが
最近の流行に押し流されているのか?
かたいプリンは、なかなかお目にかかれません。
逗子のとあるスーパーで、淡路島の卵屋さんが作っているらしきプリンを見つけ食しましたが、、
まだまだ柔らかい。(笑)
別に、どうでも良いことですが(爆)
結構前から自分で作ってみたらいいじゃない?という想いがあがってきていて
ついでに「そのうち買いたいな~。」と思っていた優れもののオーブンも買うことにしました。
○○したいな~。
○○するといいな~。
という想いを、欠乏から行うか、満たされているところから行うか
いずれかの、二者択一なんですね。
したいと思うことは、なんでもすればいいわけです。
ただ、コースを実践してゆく上でとても大切なのは
「これが完全に夢だ」という自覚「この世界は実在していない」という自覚。
それを自分に教え学びながら
何でもしたいことをする。夢なのだから怖がる必要はない。
もしも、「人生で一度は結婚をしたい!」
と思っていれば、コースを学んで実践していようとも
お見合いしまくればいいんですね。 (笑)
「毎年のように海外旅行に行きたい!」
と思っていれば、そうすればいい。
お金が欲しいと思えば、何でもトライすればいい。
失敗、成功という映像が現れるかもしれないけれど
もしも、この夢から出ることを一番の最優先にしているのであれば、ただ赦し明け渡してゆくだけで
「そこには何の意味もなかった。」ということが必ずわかる日が来るはずですね。
無意味なんだからこそ、ふとやりたいことは何でもやってみればいいと思うんです^^
これもまた、紙一重なんですけどね、、
なんでもやりきった先に「ああ、なんにも必要なかったんだ。」
という理解がやって来るのだと思います。
わたし自身、この人生で何でもやり尽くしたのでお腹いっぱいなんです(笑)
プリンは作るし、食べるけど^^
娘たちにも好評でした。
昨日は、蒸しプリン
今日は、焼きプリン。
やっぱり焼きプリンだな(笑)
コースの言う、幸せな夢の相当手前だと思いますが
それなりに楽しい、歓喜な生活です。
この爆発的な歓喜に慣れていって、幸せを受け入れていって
意識の選択に警戒しているだけの生活。
すべてが美しいです☆
すべてに感謝。
↑昨日の蒸しプリン
↑今日の焼きプリン
↑お利口なビストロさん
しかし、、幸せの象徴って
やっぱり、高級かどうかとか、お金や、地位や名声とは関係がないんですね。
分離の差をあまり学んでいない幼子の頃の、素朴な味の方が
キラキラとした魅力的な象徴です。