兄弟は、一人しかいないんだ。という理解が、
言語レベルではなく、心のレベルの実践から起きてきています。
ああ。兄弟は、一人しかいないんだ。
そして、分離は起きていないから、その兄弟とは自分自身の姿なんだ!!!!!
という体感、感覚、実感です。
私たちは、自分を自分で騙してきましたから
「神から分離した、自分が創造主となったこの世界が確かにある。」と
「神から分離した、多種多様な[他者たち]と、彼らに関わる[自分]がいるんだ。」と
見事に騙し続けてきましたから、
なかなか本当のことを、
この夢見のトリックを見抜けなくなっていますから、
兄弟は、一人しかいない。ということも、それが実は自分自身だ。ということも
全く、まったく、、、、まったく知覚不能になってしまっています。
それは、その知覚のままでいたい。という誘惑であり、
真理に対する抵抗からなのですが。。。
「イエス」と、道端ですれ違った「青年」とは、明らかに違う。と知覚していますし
「ヒトラー」と、「マザーテレサ」は、明らかに違う。と知覚していますし
「ゲイリー(神の使者の著者)」と、「シンディー(ゲイリーの奥さん)」は、明らかに違う。と知覚していますし
「デイビッド(コースのティーチャー)」と、自分の家族は、明らかに違う。と信じて疑いません。
しかし、
聖霊も一つだし、自我も一つだし、夢見る者(兄弟と私)も一つだ。
夢見を長引かせる働き・システムは、たった一つから来ていて
そのシステムから複数いるということになっている兄弟たちや自分に、仕掛けが働かれているし
夢見を終わらせる働き・システムも、たった一つから来ていて
そのシステムから複数いるということになっている兄弟たちや自分に、仕掛けが働かれている。
たとえば、一見、奇跡講座を曲解しているように見える兄弟は
ただただ、設定のままに動いている形象に過ぎなくて、その本性は神の子である私なんだ。
たとえば、一見、奇跡講座を自分の自我を満足させるために利用しているように見える兄弟は
ただただ、設定のままに動いている形象に過ぎなくて、その本性は神の子である私なんだ。
兄弟は、一個の自我のシステムから働きかけられて、いろいろとうごめいているかも知れないが
それも、まったく問題にならず
私が、聖霊のシステムからの働きかけにチャンネルを合わせれば、
世界がどのように動いているかに見えようが、見えまいが、、、
そのすべてを、この夢見から脱してゆくために、100%使うことができる。
私が、あたかも間違った心の状態にいるように思えそうな兄弟を見ても
聖霊へチャンネルを合わせれば、、その兄弟の奥で聖霊が教えてくれている。
「しっかりこれを見て、そして、この世界の夢見のトリックを学びなさい。そうすれば、それは終わってゆくでしょう。」
そのように、教えてくれているのです。
形は、無数と思える程に、いろいろと分裂したかのように多種多様の相違の形が見えるかも知れません。
けれどもそこに見ているのは、一つの聖霊か、一つの自我なんです。
とても、とてもとてもとても、、、
シンプルです。
混乱が生じません。
「私」と、「兄弟」が、あたかも、議論しているように見えたとしても
それは、一個の自我からの働きかけを見ているにすぎません。
自分の右手と、自分の左手で、小芝居をしているにすぎません。
その小芝居をやめるかどうかを、「私」が決めることができます。
叫びわめいている兄弟を見ても
愛から微笑んでいる兄弟を見ても
「私」は、そこに一つの聖霊だけを認識することが可能なんだ!!!
体感から、確信から、それが思い出されている感じです。
てっちゃんとの、10泊合宿のおかげなのでしょう。(11泊か、12泊になりそうです)
そして「てっちゃん」は、どこの誰とも違わない同一人物であり
それは「私」なんですね。
これは、とても量子的です。SF的です。
その視界は、ものすごく広大で果てしなく高いところの視点です。
すべてとの一体性を思い出してゆく道
奇跡講座は、今回の人生を歩む私にとっては最高の学びです^^
てっちゃんの外玄関修繕作業は、4日間で終わるはずだったのですが、、
聖霊のシナリオでは、すんなり終われないことになっていたようです。
だって、長期間合宿を計画していたのですから^^
私が「これも過去の追体験なんだね~。すでに終わっている映像なんだね~。」
と言うと、「いや。これだけは例外!」と冗談をおっしゃるてっちゃんです。
↓本日の状態
↓数日前の状態
↓数日前の状態
.
言語レベルではなく、心のレベルの実践から起きてきています。
ああ。兄弟は、一人しかいないんだ。
そして、分離は起きていないから、その兄弟とは自分自身の姿なんだ!!!!!
という体感、感覚、実感です。
私たちは、自分を自分で騙してきましたから
「神から分離した、自分が創造主となったこの世界が確かにある。」と
「神から分離した、多種多様な[他者たち]と、彼らに関わる[自分]がいるんだ。」と
見事に騙し続けてきましたから、
なかなか本当のことを、
この夢見のトリックを見抜けなくなっていますから、
兄弟は、一人しかいない。ということも、それが実は自分自身だ。ということも
全く、まったく、、、、まったく知覚不能になってしまっています。
それは、その知覚のままでいたい。という誘惑であり、
真理に対する抵抗からなのですが。。。
「イエス」と、道端ですれ違った「青年」とは、明らかに違う。と知覚していますし
「ヒトラー」と、「マザーテレサ」は、明らかに違う。と知覚していますし
「ゲイリー(神の使者の著者)」と、「シンディー(ゲイリーの奥さん)」は、明らかに違う。と知覚していますし
「デイビッド(コースのティーチャー)」と、自分の家族は、明らかに違う。と信じて疑いません。
しかし、
聖霊も一つだし、自我も一つだし、夢見る者(兄弟と私)も一つだ。
夢見を長引かせる働き・システムは、たった一つから来ていて
そのシステムから複数いるということになっている兄弟たちや自分に、仕掛けが働かれているし
夢見を終わらせる働き・システムも、たった一つから来ていて
そのシステムから複数いるということになっている兄弟たちや自分に、仕掛けが働かれている。
たとえば、一見、奇跡講座を曲解しているように見える兄弟は
ただただ、設定のままに動いている形象に過ぎなくて、その本性は神の子である私なんだ。
たとえば、一見、奇跡講座を自分の自我を満足させるために利用しているように見える兄弟は
ただただ、設定のままに動いている形象に過ぎなくて、その本性は神の子である私なんだ。
兄弟は、一個の自我のシステムから働きかけられて、いろいろとうごめいているかも知れないが
それも、まったく問題にならず
私が、聖霊のシステムからの働きかけにチャンネルを合わせれば、
世界がどのように動いているかに見えようが、見えまいが、、、
そのすべてを、この夢見から脱してゆくために、100%使うことができる。
私が、あたかも間違った心の状態にいるように思えそうな兄弟を見ても
聖霊へチャンネルを合わせれば、、その兄弟の奥で聖霊が教えてくれている。
「しっかりこれを見て、そして、この世界の夢見のトリックを学びなさい。そうすれば、それは終わってゆくでしょう。」
そのように、教えてくれているのです。
形は、無数と思える程に、いろいろと分裂したかのように多種多様の相違の形が見えるかも知れません。
けれどもそこに見ているのは、一つの聖霊か、一つの自我なんです。
とても、とてもとてもとても、、、
シンプルです。
混乱が生じません。
「私」と、「兄弟」が、あたかも、議論しているように見えたとしても
それは、一個の自我からの働きかけを見ているにすぎません。
自分の右手と、自分の左手で、小芝居をしているにすぎません。
その小芝居をやめるかどうかを、「私」が決めることができます。
叫びわめいている兄弟を見ても
愛から微笑んでいる兄弟を見ても
「私」は、そこに一つの聖霊だけを認識することが可能なんだ!!!
体感から、確信から、それが思い出されている感じです。
てっちゃんとの、10泊合宿のおかげなのでしょう。(11泊か、12泊になりそうです)
そして「てっちゃん」は、どこの誰とも違わない同一人物であり
それは「私」なんですね。
これは、とても量子的です。SF的です。
その視界は、ものすごく広大で果てしなく高いところの視点です。
すべてとの一体性を思い出してゆく道
奇跡講座は、今回の人生を歩む私にとっては最高の学びです^^
てっちゃんの外玄関修繕作業は、4日間で終わるはずだったのですが、、
聖霊のシナリオでは、すんなり終われないことになっていたようです。
だって、長期間合宿を計画していたのですから^^
私が「これも過去の追体験なんだね~。すでに終わっている映像なんだね~。」
と言うと、「いや。これだけは例外!」と冗談をおっしゃるてっちゃんです。
↓本日の状態
↓数日前の状態
↓数日前の状態
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