経済的・エネルギー的に豊かであるという概念の富裕と
その反対であるという概念の貧困との間には
圧倒的な相違がある。
という信念があるけれども
この世界の外側から見てしまうと、、、
どっちも同じ箱の中のおとぎ話に過ぎず
いずれか一方が不幸なのであれば、もう一方の概念も全く同じく等しい不幸の中である。
「世界を放棄したい」と、真に願うこと
それだけが真の幸せへの鍵。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a1/0aaf686cae53db1a5542987050a98df3.jpg)
パパジの書籍/ナチュラルスピリット「覚醒の炎」P232より
パパジ:
あらゆる幸福や快楽が手に入り、年老いることもない、
一見苦しみが存在しないようなところで自由への欲望を抱くのは非常に難しいことなのだ。
それらの神々のローカ(天国)はすべてが実に美しい。
人々は考えてしまう、「私にはこれで充分だ。これ以上何が必要だというのか?」と。
だからこそ、そのようなところで自由への欲望を抱くことは本当に稀なことなのだ。
トゥカーラーム、ナームデーヴ、トゥルシーダース、のような偉大なバクティ(帰依)の聖者でさえ、
皆死後に天上界に生まれ変わることを切望していた。彼らは帰依心を通して永久的に神々とともにとどまることを望んでいたのだ。
神への強烈な帰依心をもった帰依者たちは神々のローカへ行き、そこに何千年もの間とどまる。
だが、もし真の自由を求めているなら、遅かれ早かれ彼らはここに戻ってこなければならないのだ。
※ここでパパジが言っている神々とは、幻想レベルのクリシュナ神などをさしています。
真の神は不可知で無の神です。
※根源は、完全なる無です。完全に無で不可知(コトバでは表現不可能)であるからこそ、完全なる愛(コトバでは表現不可能)が創造されます。
「実相の、この法則」を横領しようと試みた夢が、この世界でした。それは成しえなかった一瞬の想念でした。
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その反対であるという概念の貧困との間には
圧倒的な相違がある。
という信念があるけれども
この世界の外側から見てしまうと、、、
どっちも同じ箱の中のおとぎ話に過ぎず
いずれか一方が不幸なのであれば、もう一方の概念も全く同じく等しい不幸の中である。
「世界を放棄したい」と、真に願うこと
それだけが真の幸せへの鍵。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a1/0aaf686cae53db1a5542987050a98df3.jpg)
パパジの書籍/ナチュラルスピリット「覚醒の炎」P232より
パパジ:
あらゆる幸福や快楽が手に入り、年老いることもない、
一見苦しみが存在しないようなところで自由への欲望を抱くのは非常に難しいことなのだ。
それらの神々のローカ(天国)はすべてが実に美しい。
人々は考えてしまう、「私にはこれで充分だ。これ以上何が必要だというのか?」と。
だからこそ、そのようなところで自由への欲望を抱くことは本当に稀なことなのだ。
トゥカーラーム、ナームデーヴ、トゥルシーダース、のような偉大なバクティ(帰依)の聖者でさえ、
皆死後に天上界に生まれ変わることを切望していた。彼らは帰依心を通して永久的に神々とともにとどまることを望んでいたのだ。
神への強烈な帰依心をもった帰依者たちは神々のローカへ行き、そこに何千年もの間とどまる。
だが、もし真の自由を求めているなら、遅かれ早かれ彼らはここに戻ってこなければならないのだ。
※ここでパパジが言っている神々とは、幻想レベルのクリシュナ神などをさしています。
真の神は不可知で無の神です。
※根源は、完全なる無です。完全に無で不可知(コトバでは表現不可能)であるからこそ、完全なる愛(コトバでは表現不可能)が創造されます。
「実相の、この法則」を横領しようと試みた夢が、この世界でした。それは成しえなかった一瞬の想念でした。
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