ほとんど毎年起きるような「実践あるある」が、先日の集中リトリート最終日夜の重要なときに起きた。
去年は、ユタのリトリートに出発する数日前に、あろうことか大型車が私の家に向かって突撃したし。。。
多分なんだけど、こういう時には普通嘆いたりとか怯えたりとかするのだと思う。
車は大破し、家の壁にのめりこんでるし、内壁にも大きく穴が空いていたし、、
2019.07.30のブログ記事
大型車が突っ込んだが、真我への帰り道だけが開かれている。
でも、あまりにも極端なことだったので聖霊に道を譲る選択肢しかありえなかった。
結果、何事も問題なく形態レベルでも解決していって私は予定通りユタに行くことができたのだった。
そのことについては、現地のティーチャーたちはよく知っていて(私が状況についてFBでもシェアしていたから)
おお!のり子よく来たね〜〜〜〜〜!!!ってみなさんご機嫌で迎えてくれた。
決して、「大変な被害にあったわね〜!」なんて言わない。 笑
妥協なく真の共感にとどまってくれる彼らの態度、、私はそういうところが本当に大好き。
で、その約1年後の先日は
これから重要なシーンを撮影するぞ。そのナビゲーションをするぞ。という時に
娘からLINEが入った。
「今電車に乗ってるんだけど、ありえないくらいにお腹が痛い、息が苦しい、フラフラする」と
次女は、よほどのことがない限りこういう連絡をよこしてこないタイプなのでかなり辛い状態なのだと理解した。
おそらく、救急車を呼んだ方がいい状況なのだろうと思うけど、「まずは周りに助けを求めなさい」と伝え
「次の駅で降りて休憩所で休ませてもらって、それでも無理なら救急車を呼んでもらいなさい。周りに助けてもらいなさい」と伝え
彼女が「これ治るのかな?」と心配しているので、「助けを求めて、あとは降参するだけだよ。それでいいんだよ」と言った。
このやりとりを最後に、聖霊に委ねて携帯をマナーモードにして重要な撮影に入った。
この日の撮影は時間にリミットがあり、速やかに始めなければならない状況でもあったので
聖霊に任せる以外に私には選択肢はない。
そして、聖霊のガイドによって本当に素晴らしい撮影になった。
撮影終了後(3時間くらい経っていた)救急病院に駆けつけてくれた長女からも連絡が来ていて
次女が救急車で運ばれたことを知った。
でも、結局持病の卵巣の症状が大きく出てしまっただけで(相当な痛みらしい)、手術や入院をする必要はなかったらしい。
何が人生に現れても、現れなくても
聖霊を信頼して聖霊に助けを求め、聖霊に委ねること以外に
私たちにできることはない。
実際、それ以外に有効なことなど世界には、なに一つもない。
それを何年もかけて教えていただき実践させていただいている。
あらゆる状況が現れなくなる。ための実践ではなくて
あらゆる状況が現れた時に、今までの馴染み深い見方をするか?別の視点から眺めるか?のための実践。
「例の、いつもの自我の仕掛けが来たんだな!」って、だんだんと冷静に受け止めてゆくように(同一化からの脱却)
心はマインドトレーニングされていくのだと思う。
去年は、ユタのリトリートに出発する数日前に、あろうことか大型車が私の家に向かって突撃したし。。。
多分なんだけど、こういう時には普通嘆いたりとか怯えたりとかするのだと思う。
車は大破し、家の壁にのめりこんでるし、内壁にも大きく穴が空いていたし、、
2019.07.30のブログ記事
大型車が突っ込んだが、真我への帰り道だけが開かれている。
でも、あまりにも極端なことだったので聖霊に道を譲る選択肢しかありえなかった。
結果、何事も問題なく形態レベルでも解決していって私は予定通りユタに行くことができたのだった。
そのことについては、現地のティーチャーたちはよく知っていて(私が状況についてFBでもシェアしていたから)
おお!のり子よく来たね〜〜〜〜〜!!!ってみなさんご機嫌で迎えてくれた。
決して、「大変な被害にあったわね〜!」なんて言わない。 笑
妥協なく真の共感にとどまってくれる彼らの態度、、私はそういうところが本当に大好き。
で、その約1年後の先日は
これから重要なシーンを撮影するぞ。そのナビゲーションをするぞ。という時に
娘からLINEが入った。
「今電車に乗ってるんだけど、ありえないくらいにお腹が痛い、息が苦しい、フラフラする」と
次女は、よほどのことがない限りこういう連絡をよこしてこないタイプなのでかなり辛い状態なのだと理解した。
おそらく、救急車を呼んだ方がいい状況なのだろうと思うけど、「まずは周りに助けを求めなさい」と伝え
「次の駅で降りて休憩所で休ませてもらって、それでも無理なら救急車を呼んでもらいなさい。周りに助けてもらいなさい」と伝え
彼女が「これ治るのかな?」と心配しているので、「助けを求めて、あとは降参するだけだよ。それでいいんだよ」と言った。
このやりとりを最後に、聖霊に委ねて携帯をマナーモードにして重要な撮影に入った。
この日の撮影は時間にリミットがあり、速やかに始めなければならない状況でもあったので
聖霊に任せる以外に私には選択肢はない。
そして、聖霊のガイドによって本当に素晴らしい撮影になった。
撮影終了後(3時間くらい経っていた)救急病院に駆けつけてくれた長女からも連絡が来ていて
次女が救急車で運ばれたことを知った。
でも、結局持病の卵巣の症状が大きく出てしまっただけで(相当な痛みらしい)、手術や入院をする必要はなかったらしい。
何が人生に現れても、現れなくても
聖霊を信頼して聖霊に助けを求め、聖霊に委ねること以外に
私たちにできることはない。
実際、それ以外に有効なことなど世界には、なに一つもない。
それを何年もかけて教えていただき実践させていただいている。
あらゆる状況が現れなくなる。ための実践ではなくて
あらゆる状況が現れた時に、今までの馴染み深い見方をするか?別の視点から眺めるか?のための実践。
「例の、いつもの自我の仕掛けが来たんだな!」って、だんだんと冷静に受け止めてゆくように(同一化からの脱却)
心はマインドトレーニングされていくのだと思う。