奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

「私」は、空想だった

2018年03月11日 19時05分11秒 | 宇宙・幻想の終わり
いつだったかな?

1週間くらい前だったと思う。


「私」という知覚者と、この夢の中のすべてが同一だった

というゆるぎない体験があった。

数十秒間だったとおもう。


家も私、道路を走る車も私、車のタイヤも私、そのタイヤの音も私

鳥のさえずりも私、鳥も私、風も私、風の音も私、木々も私、舞っている落ち葉も私

肉体も私、家族も私、世界中の誰もかれもが私、世界のドラマも私、、、、

宇宙も宇宙人も惑星も隙間もなにもかも私

うごめく犠牲者も、破壊者も、あらゆる現象も、気象も、私

戦場も私、パワースポットも私、轟音も私、美しい音色も私

すべては完全にニュートラルで、善も悪もない

なぜなら、いかなる幻想と幻想の間に分裂が起きていないから

すべて単一だから



私じゃないなにかはどこにもない。。。

ありえない



ぜんぶ、私の空想だった

私と、私の空想は離れることができない。。。



アジャシャンティが言うように、その「すべては私」という

完全なワンネス体験も、まだ目覚めの通過点に過ぎない。


けど、

私=非実在の空想=夢=夢の世界のすべて

という感覚は理由なく更なる確信になった。


そして、この先の「私」

完全なる無

絶対なるものの息

実在である私=神に知られている


神との隙間は一切ない



それを受け入れてゆくことになる。

「どのように?」

とかも、任せていればいい


すべてはすでに完了しているから


自己保持のシステム・欲望が依然としてまったく消えたがっていないのを

見つめてゆけばいい。


「そういうことだったのですね」

と、、、




今なお維持されているかのように見える自我とは関係なく

幸せでいていい。








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