みなさま、あけましておめでとうございます
2017年の素晴らしいときを共にすごせることを心から感謝しています。
私たちの幻想のすべてを、神の御心にお返しできますように
ここ数年ほぼずっと、実践コースに参加なさっているSさんの夢の中に
私(大橋のりこ)が出てきて、Sさんに「アジャシャンティの本を読むといいですよ。」
と何度かおすすめしていたのだそうです。
それ自体が重要な何かではないのですが、一つの象徴をとってSさんにもメッセージが来ていました。
そして、なぜかそれを思い出して私に打ち明けてくださっていました。
その頃(もしくは少し後かな)、私はムージとパパジの本を取り寄せていたところでした。
アジャシャンティには、まだほとんどアンテナが向いていませんでした。
そしてまだ、年末のインスピレーションの確信がなかったので
私自身、アジャシャンティは純粋な非二元レベルの悟りまでは
まだ至っていないカリキュラムのように感じていたのです。
しかし、あの確信が起きてからはアジャシャンティの書籍を読むしかないと思いました。
愕然でした。自我の降参です。
2013年以降
奇跡講座の学びと実践を、たゆまぬ努力と共に
ひとすじの聖霊への信頼と共に降参していった「今」だからこそかも知れません。
この書籍は、翻訳のぎこちなさが指摘されているようでしたが
その文章から聖霊が伝えたい本質が
ちゃんと翻訳し直されて私の中へと届いてゆきます。
聖霊は、本当にやる気満々で
私たちがどこを向いていようと何をしていようと
必ず私たちの心の正面に、心の中に、全体を包み込むように、そこにいてくれています。
どの道、聖霊から完全に外れることなんて不可能だったわけなんですね。
参りました。
「真ん中でいきなさい。」という聖霊のコトバ(その指し示すなにか)が
アジャシャンティの書籍やコトバの中にもあふれています。
「あなたの世界の終わり」P78で、マウイ島でのリトリートの中の質疑応答の会に参加していた
離婚寸前のご夫婦のシェア(ご主人から)に、こんな言葉がありました。
「あなたの講話を聞いたあと、私たちは帰宅し、ただ座って、お互いに真実を話しはじめました。
私たちは自分たちにとって、何が真実なのかをお互いに話し始めたのです。」
※ここで言う「真実」とか、「正直」とは
相手のご機嫌取りをしようと抑圧したところからの偽りの想いではなく。。
もう、本当に助けてもらいたい。
もう本当に正気になりたい。
と、思っているところから告白・告解することを言います。
その時、私たちは降参しています。
打ち負かすことやコントロールする動機からの言い分を言い張ることではありません。
また、離婚が悪いことでも良いことでもありません。起きるべきことが淡々と起きてゆきます。
P79
アジャシャンティ:
人に対して正直(自我レベルの想いを抑圧しないで、しかし救いを願い出る気持ちから告白する状態)であるとき、私たちは誰のこともコントロールすることができません。
私たちが人々をコントロールできるのは、半分の真実を話すとき、真実を削るときだけです。
私たちが完全な真実を語るとき、私たちの内側が突然外側に出ます。
もはや隠されているものが何もないのです。
たいていの人にとっては、それほど暴露されることは、途方もない恐れをもたらします。
たいていの人は
「ああ、もし誰かが私の中を覗いて、そこで起こっていること、私の恐れが何で、私の疑いが何で、
私の真実が何で、私が本当に認識していることが何かを見るとしたら、彼らは恐れおののくだろう」
と考えながら歩きまわっています。
( )内は、補足として書き入れました。
※ここで言う「真実」とか、「正直」とは
もう、本当に助けてもらいたい。
もう本当に正気になりたい。と、思っているところから告白・告解することを言います。
その時、私たちは降参しています。
打ち負かすことやコントロールする動機からの言い分を言い張ることではありません。
P131
人生が私たちに示そうとしていることを私たちがすすんで見なければ、
見る必要のあることをすすんで見るまで、それは強度を上げることを計画し続けるでしょう。
この意味において、人生それ自体が私たちの最大の同盟者なのです。
~中略~
悟りは、ただ素晴らしい経験からのみやって来ると考えることは、
自分自身を騙すことです。
もちろん、誰かが自然発生的な目覚めを経験し、その人は見通すべきカルマ的傾向を
それほどもっていないという場合もあります。
しかし、それはまれなことです。
私たちのほとんどにとって、悟りへの道はバラ色ではありません。
私たちはこのことを認める必要があります。
なぜなら、さもないと、私たちは心地よく感じるほうへ、目覚めの道とはどうあるべきという
自分のイメージに合うほうへ、
自分が動いて行くようにするだけになってしまうからです。
~中略~
P132
目覚めたいと言うたいていの人たちは、実際は目覚めたいとは思っていないということです。
彼らは、"自分版"の目覚めが欲しいだけなのです。
彼らが本当に欲しがっているものは、この夢の状態で本当に幸福になることです。
もし彼らの進化がそこまでなら、それもOKです。
しかし、悟りへの本当の誠実な衝動とは、
自分の夢の状態をよくしたいという欲望をはるかに超える何かです。
引用しはじめたら、きりがありません
奇跡講座・ACIM実践者の方々にも、かなりおすすめします
Sさんの夢が正夢になりましたね
いや~~~~。降参です
2017年の素晴らしいときを共にすごせることを心から感謝しています。
私たちの幻想のすべてを、神の御心にお返しできますように
ここ数年ほぼずっと、実践コースに参加なさっているSさんの夢の中に
私(大橋のりこ)が出てきて、Sさんに「アジャシャンティの本を読むといいですよ。」
と何度かおすすめしていたのだそうです。
それ自体が重要な何かではないのですが、一つの象徴をとってSさんにもメッセージが来ていました。
そして、なぜかそれを思い出して私に打ち明けてくださっていました。
その頃(もしくは少し後かな)、私はムージとパパジの本を取り寄せていたところでした。
アジャシャンティには、まだほとんどアンテナが向いていませんでした。
そしてまだ、年末のインスピレーションの確信がなかったので
私自身、アジャシャンティは純粋な非二元レベルの悟りまでは
まだ至っていないカリキュラムのように感じていたのです。
しかし、あの確信が起きてからはアジャシャンティの書籍を読むしかないと思いました。
愕然でした。自我の降参です。
2013年以降
奇跡講座の学びと実践を、たゆまぬ努力と共に
ひとすじの聖霊への信頼と共に降参していった「今」だからこそかも知れません。
この書籍は、翻訳のぎこちなさが指摘されているようでしたが
その文章から聖霊が伝えたい本質が
ちゃんと翻訳し直されて私の中へと届いてゆきます。
聖霊は、本当にやる気満々で
私たちがどこを向いていようと何をしていようと
必ず私たちの心の正面に、心の中に、全体を包み込むように、そこにいてくれています。
どの道、聖霊から完全に外れることなんて不可能だったわけなんですね。
参りました。
「真ん中でいきなさい。」という聖霊のコトバ(その指し示すなにか)が
アジャシャンティの書籍やコトバの中にもあふれています。
「あなたの世界の終わり」P78で、マウイ島でのリトリートの中の質疑応答の会に参加していた
離婚寸前のご夫婦のシェア(ご主人から)に、こんな言葉がありました。
「あなたの講話を聞いたあと、私たちは帰宅し、ただ座って、お互いに真実を話しはじめました。
私たちは自分たちにとって、何が真実なのかをお互いに話し始めたのです。」
※ここで言う「真実」とか、「正直」とは
相手のご機嫌取りをしようと抑圧したところからの偽りの想いではなく。。
もう、本当に助けてもらいたい。
もう本当に正気になりたい。
と、思っているところから告白・告解することを言います。
その時、私たちは降参しています。
打ち負かすことやコントロールする動機からの言い分を言い張ることではありません。
また、離婚が悪いことでも良いことでもありません。起きるべきことが淡々と起きてゆきます。
P79
アジャシャンティ:
人に対して正直(自我レベルの想いを抑圧しないで、しかし救いを願い出る気持ちから告白する状態)であるとき、私たちは誰のこともコントロールすることができません。
私たちが人々をコントロールできるのは、半分の真実を話すとき、真実を削るときだけです。
私たちが完全な真実を語るとき、私たちの内側が突然外側に出ます。
もはや隠されているものが何もないのです。
たいていの人にとっては、それほど暴露されることは、途方もない恐れをもたらします。
たいていの人は
「ああ、もし誰かが私の中を覗いて、そこで起こっていること、私の恐れが何で、私の疑いが何で、
私の真実が何で、私が本当に認識していることが何かを見るとしたら、彼らは恐れおののくだろう」
と考えながら歩きまわっています。
( )内は、補足として書き入れました。
※ここで言う「真実」とか、「正直」とは
もう、本当に助けてもらいたい。
もう本当に正気になりたい。と、思っているところから告白・告解することを言います。
その時、私たちは降参しています。
打ち負かすことやコントロールする動機からの言い分を言い張ることではありません。
P131
人生が私たちに示そうとしていることを私たちがすすんで見なければ、
見る必要のあることをすすんで見るまで、それは強度を上げることを計画し続けるでしょう。
この意味において、人生それ自体が私たちの最大の同盟者なのです。
~中略~
悟りは、ただ素晴らしい経験からのみやって来ると考えることは、
自分自身を騙すことです。
もちろん、誰かが自然発生的な目覚めを経験し、その人は見通すべきカルマ的傾向を
それほどもっていないという場合もあります。
しかし、それはまれなことです。
私たちのほとんどにとって、悟りへの道はバラ色ではありません。
私たちはこのことを認める必要があります。
なぜなら、さもないと、私たちは心地よく感じるほうへ、目覚めの道とはどうあるべきという
自分のイメージに合うほうへ、
自分が動いて行くようにするだけになってしまうからです。
~中略~
P132
目覚めたいと言うたいていの人たちは、実際は目覚めたいとは思っていないということです。
彼らは、"自分版"の目覚めが欲しいだけなのです。
彼らが本当に欲しがっているものは、この夢の状態で本当に幸福になることです。
もし彼らの進化がそこまでなら、それもOKです。
しかし、悟りへの本当の誠実な衝動とは、
自分の夢の状態をよくしたいという欲望をはるかに超える何かです。
引用しはじめたら、きりがありません
奇跡講座・ACIM実践者の方々にも、かなりおすすめします
Sさんの夢が正夢になりましたね
いや~~~~。降参です