自分の決断が「有効だった」と思っている認識が
アンインストールされ
自分の決断が「無効だった」という認識が
インストールされる必要があるらしい。
これには、自分のコミットが必要不可欠であるが、
それを実行してくれるのは聖霊。
「有効だ」と思っている認識が
アンインストールされるには、
その「有効性」が、「何を?」もたらしているのかが、ジックリ精査され
もたらされた何かが、あまりに耐えきれないものであるが故に
自分は「決断が有効であること」を、望まなくなる。
というプロセスが必要らしい。
ということは、
はっきりシッカリ、これ以上ないほどに
自分が今、苦痛の中におり、耐え切れない惨めさ、悲惨さの中にいる
という、決断の有効性の「結果」を自覚しなければならない。
ということは、エクスプレッションセッションが、非常に有効である。
と言える。
すると、音もなく静かに粛々と
大々的なサレンダーが起き始める。
そして、「決断が無効であった」。という事実を
真に受け入れることができる。
やがて、決断そのものが「成し得ない戯言に過ぎなかった」
と知る。
そしてまた
自分の決断が「有効である」という認識上では、
間違いなくその決断のプロセスが
時系列で並べられており、(あたかも故意に)忘れられているからこそ
その時系列を、忘却の中から掘り起こして
しっかり認識してゆく必要がある。(少なくとも、奇跡講座を学び実践しているなら)
※時系列=分離のプロセス=心の4分裂の細かなプロセスの自覚
「執筆のための自分メモ」
.
アンインストールされ
自分の決断が「無効だった」という認識が
インストールされる必要があるらしい。
これには、自分のコミットが必要不可欠であるが、
それを実行してくれるのは聖霊。
「有効だ」と思っている認識が
アンインストールされるには、
その「有効性」が、「何を?」もたらしているのかが、ジックリ精査され
もたらされた何かが、あまりに耐えきれないものであるが故に
自分は「決断が有効であること」を、望まなくなる。
というプロセスが必要らしい。
ということは、
はっきりシッカリ、これ以上ないほどに
自分が今、苦痛の中におり、耐え切れない惨めさ、悲惨さの中にいる
という、決断の有効性の「結果」を自覚しなければならない。
ということは、エクスプレッションセッションが、非常に有効である。
と言える。
すると、音もなく静かに粛々と
大々的なサレンダーが起き始める。
そして、「決断が無効であった」。という事実を
真に受け入れることができる。
やがて、決断そのものが「成し得ない戯言に過ぎなかった」
と知る。
そしてまた
自分の決断が「有効である」という認識上では、
間違いなくその決断のプロセスが
時系列で並べられており、(あたかも故意に)忘れられているからこそ
その時系列を、忘却の中から掘り起こして
しっかり認識してゆく必要がある。(少なくとも、奇跡講座を学び実践しているなら)
※時系列=分離のプロセス=心の4分裂の細かなプロセスの自覚
「執筆のための自分メモ」
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