昨日、庭の草むしりをした。
昨年植えた芝桜が紫色の花を咲かせていた。
けど、芝桜の周りに、芝桜ではないけど芝桜にソックリの雑草が大量に生えていた。
芝桜が、雑草に被害にあっているかのような演出だった。
芝桜が傷つかないようにしながら、雑草をとる。
1時間しないうちに「雑草と芝桜の間に何の違いがあるのか?」
その疑問でいっぱいになった。
答えは「もちろん何の違いもない」
一応、雑草を一掃することになっているらしいから(勉強会映像の編集よりも先に)そうした。
草むしりには意味がない。
雑草と、芝桜の間に何の違いもない。
あとは、好みの問題だ。
幻想は無だけれども、芝桜をしっかり育てたければコツコツ雑草をとったりいろいろするだろう。
その好みも失せてしまったなら、また何等かの処置をするだろう。
雑草は、なぜに除外されるのか、、まったくわからなくなってしまった。
それは、なぜゴキブリが皆から嫌われるのかと似ている。
なぜだか、除外されるべき何かと、受け入れられるべき何かがあるかのように偽装されている。
何かと、何か、という境界線がある設定自体が地獄だな。悲惨だな。
草と、草をむしる私。という境界線
これが実在しているなら、悲惨すぎるな。って
境目があるなんて、地獄だな。って
ひたすら、それを学ぶための草むしりレッスンだった。
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昨年植えた芝桜が紫色の花を咲かせていた。
けど、芝桜の周りに、芝桜ではないけど芝桜にソックリの雑草が大量に生えていた。
芝桜が、雑草に被害にあっているかのような演出だった。
芝桜が傷つかないようにしながら、雑草をとる。
1時間しないうちに「雑草と芝桜の間に何の違いがあるのか?」
その疑問でいっぱいになった。
答えは「もちろん何の違いもない」
一応、雑草を一掃することになっているらしいから(勉強会映像の編集よりも先に)そうした。
草むしりには意味がない。
雑草と、芝桜の間に何の違いもない。
あとは、好みの問題だ。
幻想は無だけれども、芝桜をしっかり育てたければコツコツ雑草をとったりいろいろするだろう。
その好みも失せてしまったなら、また何等かの処置をするだろう。
雑草は、なぜに除外されるのか、、まったくわからなくなってしまった。
それは、なぜゴキブリが皆から嫌われるのかと似ている。
なぜだか、除外されるべき何かと、受け入れられるべき何かがあるかのように偽装されている。
何かと、何か、という境界線がある設定自体が地獄だな。悲惨だな。
草と、草をむしる私。という境界線
これが実在しているなら、悲惨すぎるな。って
境目があるなんて、地獄だな。って
ひたすら、それを学ぶための草むしりレッスンだった。
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