「しおがまさま」鹽竈神社に初詣で。隣町宮城県塩釜市。元始祭、松明祭(どんと祭)、節分祭、花祭り、海の日の港祭り...歳時記もにぎやか。今年は、歴史や由緒も調べて...ほぉー、なるほど!
武甕槌神(茨城・鹿島神宮主祭神)・経津主神(千葉・香取神宮)は共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場、国土平定の業をなした神。東北地方を平定する役目(コノッ!)を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)。鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ、 鹽土老翁神は塩釜の地に残り人々に製塩法を教えたとされこれが塩釜の地名の起こり。(『鹽竈神社縁起』)
鹽土老翁神は『古事記』『日本書紀』の海幸彦・山幸彦の説話に、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の船を与えワダツミの宮へ案内した事で有名、一方博識の神としても登場、古くより航海・潮の満ち引き・海の成分を司る神、左右宮の御祭神は武運・国土平定の神。
鹽竈神社は、海上安全・大漁満足・武運長久・国家安泰、人の生死は潮の満ち引き・海が産みに通じ安産守護・延命長寿、また別宮の祭神は無事道案内をされ、左右宮の祭神は東北平定を終え凱旋(無事帰還)した事から交通安全、必勝・成功(商売や営業の繁昌)等の信仰。国府多賀城の鬼門の守護神で厄除け・方除けも。
地元の方々はどんな祈願もすべて「しおがまさま」..(なんでもありか!)
南にある表参道に石鳥居、階段上に楼門。唐門内には、正面に左右宮、右手に別宮と3つの本殿を持つ。現在の社殿は元禄期、伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工。(平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財)
今年はゲンちゃんの年だからね。でも門から先はダメ、大燈籠の下にいなさい。
大燈籠・長明燈に、由来の立て札:
『仙台藩御用の米商人大阪升屋山片重芳の寄進である、重芳を育てた番頭山片蟠桃は「夢の代」を著わし近代合理主義のさきがけとなった大学者で「サシ米、検査を無料で引き受ける代わりに抜いた米をもらう、米札、藩札で米を買い上げ、現金は大阪で利を生ませるの妙策を用い藩の財政危機を救った。享和3年」御影石でつくり大阪から大船で運んできたこの大燈籠は当時の升屋の全盛を偲ばせる。(由来文は箕面市にお住まいの大阪青山短期大学講師宮田徳雄先生のお調べである)』
山片蟠桃(1748―1821)は仙台藩の恩人。著書「夢の代」で地動説を解説し宇宙には太陽系に相当するものがほかにもあると推論、地球と同様に生命が存在する星があるはずだと主張。国史の分野では神話と歴史を分けることを提唱。また霊魂や怪異を全面否定。現代人以上の徹底した合理主義者だった...司馬遼太郎さん、ひいきの人。