Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

フラニーとズーイ J.D.サリンジャー/村上春樹訳

2014-05-25 23:57:00 | 音楽・芸術・文学
フラニーとズーイ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

村上春樹さんがサリンジャーの「ライ麦畑・・」を訳してくれたというCMは見ていただけだったが、こんどは「フラニーとズーイ」を出したというのでつい買ってしまった。サリンジャーを読んでいたのはずいぶんと昔、四十数年も前、若かったな、あの知的な雰囲気と気取りというか、優しさというか、ともかくなつかしいなあ、というわけで。

あの頃は大学紛争やら奇怪な事件やら世の中、街の中、それに家の中もずいぶんと騒然としていた。友達とライ麦畑回し読みのあと、庄司さんの赤ずきんちゃんが現れて、あれっ、ライ麦とおんなじじゃないか~と。さて、グラス家の話の頃は東京での学生寮生活。サリンジャーの話が通じた中学のときの同級生塚本クンは、下宿代わりに製薬会社ビルの管理人をしていて、おお、こんなやり方もあるかと。世の燼にまみれた僕と異なり、牧師の息子の彼は青学で神学を学ぶストイックな青春を過ごしている様子であった。中村メイコのロストラブというラジオ深夜番組を聴いてたら声ですぐわかった、クラスメートのあの子がねえ・・・

フラニーちゃんは何で悩んでいるのだろう・・・今になってもよくわからない・・・何かで、どうにかして救済されるのだろうか、そもそも宗教とは何であろうか、神とはなにものであろうか・・・重そうなテーマは底に流れてはいるが、しかし表面では知的な若者たちとその時代のストーリーである。あの時代の最先端にいたものたちのスナップショットのナインストーリーズなど短編を組み立てればグラス家兄弟たちの青春と精神遍歴になる。サリンジャーという人は、解説も序文も許さない作家だ、まず生で読んで自分で何を感じるか、なのだろう。村上さんは別葉で「こんなに面白い話だったんだ」という訳者からのメッセージをつけてくれている。

いろんな方の訳で読んで、原書も持っていたがどこにいったのやら・・・鈴木武樹先生の本がくだけた感じで良かったような気もする。明治で先生のゼミにいたという会社の先輩がいて、このかたは文科系なのにコンピュータをやらされて大苦戦されていたっけ。北海道などを一緒に旅したこともあったなあ、どうしてることやら、・・・、そして40年ぶりに、ネジ巻きつつ、村上春樹訳のフラニーとズーイをよんだ。また続くのかなあ、まあ、そのまえに村上春樹さんにわるいから、これを機に今頃になってノルウェイの森やらにもお邪魔しようと思うんです。

>>>>>(「フラニーとズーイ」 J.D.サリンジャー/村上春樹 訳 新潮文庫 より 引用)

 ・・・職業的に言えばズーイは俳優であり、これまで三年あまり主演男優としてテレビ番組に出演してきた。実際のところ彼は、映画やブロードウェイで既に全国的な名声を得ているスターが副業としてテレビ番組に出演する場合を別にすれば、「テレビ番組の若き主演俳優」としてまず破格にひっぱりだこであり、また家族の耳に届いた不確かな伝聞情報によれば、破格に高額の報酬を得ているということだ。しかしそのような状況だけを、事情説明抜きでさらさら述べてしまうと、ずいぶん単純な話として受け取られてしまいそうだ。実を言えば、ズーイが公衆の前に正式に、また真剣に「演技者」としてデビューしたのは、まだ七歳のときである。彼はもともと七人いた兄弟姉妹の、下から二番目の子供だった。(*)

*脚注というのは美的見地からすると誠に興ざめなものだが、それでもやはりここでひとつ差し挟まないわけにはいかない。本書にはこのあと、七人の子供たちのうちのいちばん年若い二人しか、直接的には登場しない。しかしながら残りの年長の五人はかなり頻繁に、このプロットにひそやかに出没することになる。まるでバンクォーの亡霊(訳注『マクベス』に出てくる)がうようよいるみたいに。

そのようなわけで読者諸賢はまず最初に、一九五五年時点においては、グラス家の子供たちの最年長であるシーモアが亡くなってから約七年が経過していることを、知っておかれた方がいいかもしれない。彼は妻と共にフロリダに休暇旅行をしているときに自殺した。もし生きていたら、一九五五年には三十八歳になっていたはずだ。
二番目に年長のバディーは、大学用語で言えば「ライター・イン・レジデンス(大学在籍作家)という肩書きで、ニューヨーク州北部にある女子短期大学に所属している。彼はかなり高名なスキー場から四分の一マイルほど離れたところにある、冬のための設備もなければ、電気も通じていない小さな家に一人で住んでいる。
三番目の子供、ブーブーは結婚して三人の子供の母になっている。一九五五年十一月には彼女は夫と、三人の子供全員をつれてヨーロッパ旅行をしているところだ。年齢順にいけば、ウォルトとウェイカーの双子がブーブーに続く。ウォルトが亡くなって十年になる。彼は陸軍兵士として日本に進駐しているときに、つまらない爆発事故のために死んだ。彼の十二分後に生まれたウェイカーは、ローマ・カトリックの司祭になり、一九五五年十一月には、イエズス会の会議か何かに出席するためにエクアドルにいた。

五人の男の子と二人の女の子、彼らは子供時代にそれぞれ、適度の間隔をはさんで時期をずらし、ラジオのネットワーク番組にレギュラー出演していた。『イッツ・ア・ワイズ・チャイルド(なんて賢い子ども)』というクイズ番組だ。最年長のシーモアと、最年少のフラニーの間には、おおよそ十八年の年齢差がある。そんなわけでグラス家は、『ワイズ・チャイルド』のマイクロフォンの前に、ほとんど世襲的ともいえそうな席を確保することになった。彼らの出演は一九二七年から一九四三年まで、十六年以上続いた。

つまりチャールストンからB-17爆撃機の時代までをカバーしているわけだ。(このようなデータはそれなりに大事な意味を持っていると私には思える)。彼らがその番組でそれぞれ活躍した時期のあいだには空白や、年月の隔たりがあるものの、少数の些細な相違点を別にすれば、その七人の子供たちはすべて同じように、夥しい数の質問に対してーーそれらはリスナーから送られてきたもので、ひどく堅苦しい質問とひどく可愛らしい質問が交互に出てきたーー溌剌と、また落ち着き払って回答した。それは商業ラジオ番組としてはずいぶんユニークなものと見なされた。子供たちに対するリスナーの反応が生ぬるいものであったためしはなく、しばしば熱を帯びたものになった。一般的に言って、リスナーは奇妙に頑迷な二つに陣営に分かれた。一方はグラス家の子供たちは耐えがたいほど「鼻高々の連中」であり、生まれたときに水に沈めるか、ガスをかがせるかして始末するべきだったと考える人々であり、もう一方は、彼らは本物の神童にして賢者であり、うらやましいと思わないまでも、間違いなく傑出したものを持っていると主張した。この文章を書いている時点でも(一九五七年だ)、七人の子供たち一人一人の、それぞれの発言の多くを、おおむねのところ驚くべき正確さを持って記憶している『イッツ・ア・ワイズ・チャイルド』のかつてのリスナーがいる。そのようなグループはさすがに層が薄くなりつつあるものの、いまだに一風変わった同人的なグループを形成しており、グラス家の子供たちの中では、一九二〇年代後期から三〇年代初期にかけて活躍した長兄のシーモアがもっとも「聞き応え」があり、もっともむらなく「感心させられた」というのが、彼らのあいだでの合意事項になっている。シーモア以降では、一般的には好感度とアピール度において、末弟のズーイが二位につけている。そして我々はここでは、ズーイに実際的な関心を抱いているわけだから、このように言い切ってしまって差し支えあるまい。・・・

 ・・・

<<<<<

 

フラニーのねこちゃん、ブルームバーグくんもこんなかな!?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする