平成14年度第1学期は、
放送授業 1科目 2単位(累計 125単位)
を修得しました。4年以上在学、124単位(うち面接授業20単位、外国語科目6単位、保健体育科目2単位)以上修得。すべての卒業条件をクリアーしました。5年の学生生活と言ってきましたが実際には5年と1学期です。
最強の女神「韓国語」
私は外国語科目2単位のため涙を飲んできました。しかし何と平成14年度から放送大学の外国語科目に「韓国語Ⅰ、Ⅱ」が追加されることになったのです。そして実は私、韓国語が「ペラペラ」とまでは言いませんがかなり喋れるのです。その理由については機会があればお話ししますが「在日コリアン」というわけではありません。きちんとした学校で2年間学習しました。特に検定等は持っていませんがレベル的には職場で通訳をしたり、これまで4度の渡韓歴がありますが入国から出国までそれぞれおよそ1週間、入出国手続きからホテルでの宿泊手続き、買い物、食事、観光そのための公共交通機関の利用など何不自由なくできます。一度ぼったくられることもなく居酒屋で泥酔したこともありました。後は単位認定試験の日に仕事が入らないことを祈るだけです。
秋の卒業式
そして無事仕事が入ることもなく平成14年7月28日(日)「韓国語Ⅰ」の単位認定試験を大阪学習センターで受験しました。実はテキストは「パラパラ見」はしましたが、一度も放送授業は視聴していません(スミマセン)。そして後日送られてきた成績通知ではもちろん「マルA(100~90点)」で合格でした。自己採点では満点です。外国語科目で最後まで泣かされましたが、最後はあっけない幕引きでした。これで放送大学を「卒業」です。
放送大学の全体的な卒業式は年度末の3月、東京で行われるようですが、私は平成14年9月22日(日)大阪学習センターで行われたささやかな「卒業証書・学位記授与式」(実はこの日も仕事だったのですが無理を言って休みました。日曜日なのに)に出席。「教養学士」の学位を授与されたのです。長い道のりでした(特に誰からも祝われたわけではありませんが自分自身では「涙」「涙」)。
私が放送大学生当時、放送大学の英訳は「THE UNIVERSITY OF THE AIR」でした。これは「一般に開かれた大学」という「目的」の英訳ではなく「放送による大学」という「手段」を訳したのでしょうね。確かに当時は「首都圏」の人にしか開かれていませんでしたから(笑)。しかし今では「THE OPEN UNIVERSITY OF JAPAN」と訳されています。BS放送やインターネットにより正にすべての人に公開されました。また国によっては通学制の公開大学もあるそうですから授業媒体にこだわる必要もありませんね。日本で「どこの大学を卒業されましたか?」と聞かれ「放送大学です」と答えたところ「何それ?」と言われることが多いと思いますが、海外で「OPEN UNIVERSITYを卒業しています」と答えれば「へー、そうなんですね」と言われるのでしょうね。早く日本もそんな時代が来れば良いのですが。
再入学
実は私は令和の時代に入ってから一度「選科履修生」として放送大学に再入学しています。前職を定年退職後、縁あって「小学校」で働くことになりました。これまでとは全く異なる職種だったので3年間在籍し、主に特別支援教育関係4科目8単位を修得しました。これまでのように机上の学習ではなく、教育現場に身を置きながらの学習でしたのでとても勉強になりました。余力で「韓国語Ⅱ」も修得しています。
長らくお付き合いくださりありがとうございました。参考になれば幸いです。参考にならなければ無視してくださいね。放送大学については今回で終わりです。歩紀の合間にまたいろいろと「思いつくままに」綴りたいと思います。ただ私のブログは思想・信条や政治・社会問題について論議する場ではありませんのでよろしくお願いします。ありがとうございました。 おわり
放送授業 1科目 2単位(累計 125単位)
を修得しました。4年以上在学、124単位(うち面接授業20単位、外国語科目6単位、保健体育科目2単位)以上修得。すべての卒業条件をクリアーしました。5年の学生生活と言ってきましたが実際には5年と1学期です。
最強の女神「韓国語」
私は外国語科目2単位のため涙を飲んできました。しかし何と平成14年度から放送大学の外国語科目に「韓国語Ⅰ、Ⅱ」が追加されることになったのです。そして実は私、韓国語が「ペラペラ」とまでは言いませんがかなり喋れるのです。その理由については機会があればお話ししますが「在日コリアン」というわけではありません。きちんとした学校で2年間学習しました。特に検定等は持っていませんがレベル的には職場で通訳をしたり、これまで4度の渡韓歴がありますが入国から出国までそれぞれおよそ1週間、入出国手続きからホテルでの宿泊手続き、買い物、食事、観光そのための公共交通機関の利用など何不自由なくできます。一度ぼったくられることもなく居酒屋で泥酔したこともありました。後は単位認定試験の日に仕事が入らないことを祈るだけです。
秋の卒業式
そして無事仕事が入ることもなく平成14年7月28日(日)「韓国語Ⅰ」の単位認定試験を大阪学習センターで受験しました。実はテキストは「パラパラ見」はしましたが、一度も放送授業は視聴していません(スミマセン)。そして後日送られてきた成績通知ではもちろん「マルA(100~90点)」で合格でした。自己採点では満点です。外国語科目で最後まで泣かされましたが、最後はあっけない幕引きでした。これで放送大学を「卒業」です。
放送大学の全体的な卒業式は年度末の3月、東京で行われるようですが、私は平成14年9月22日(日)大阪学習センターで行われたささやかな「卒業証書・学位記授与式」(実はこの日も仕事だったのですが無理を言って休みました。日曜日なのに)に出席。「教養学士」の学位を授与されたのです。長い道のりでした(特に誰からも祝われたわけではありませんが自分自身では「涙」「涙」)。
私が放送大学生当時、放送大学の英訳は「THE UNIVERSITY OF THE AIR」でした。これは「一般に開かれた大学」という「目的」の英訳ではなく「放送による大学」という「手段」を訳したのでしょうね。確かに当時は「首都圏」の人にしか開かれていませんでしたから(笑)。しかし今では「THE OPEN UNIVERSITY OF JAPAN」と訳されています。BS放送やインターネットにより正にすべての人に公開されました。また国によっては通学制の公開大学もあるそうですから授業媒体にこだわる必要もありませんね。日本で「どこの大学を卒業されましたか?」と聞かれ「放送大学です」と答えたところ「何それ?」と言われることが多いと思いますが、海外で「OPEN UNIVERSITYを卒業しています」と答えれば「へー、そうなんですね」と言われるのでしょうね。早く日本もそんな時代が来れば良いのですが。
再入学
実は私は令和の時代に入ってから一度「選科履修生」として放送大学に再入学しています。前職を定年退職後、縁あって「小学校」で働くことになりました。これまでとは全く異なる職種だったので3年間在籍し、主に特別支援教育関係4科目8単位を修得しました。これまでのように机上の学習ではなく、教育現場に身を置きながらの学習でしたのでとても勉強になりました。余力で「韓国語Ⅱ」も修得しています。
長らくお付き合いくださりありがとうございました。参考になれば幸いです。参考にならなければ無視してくださいね。放送大学については今回で終わりです。歩紀の合間にまたいろいろと「思いつくままに」綴りたいと思います。ただ私のブログは思想・信条や政治・社会問題について論議する場ではありませんのでよろしくお願いします。ありがとうございました。 おわり