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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第73回) 家族で行ったシンガポールの旅

2024-01-10 06:00:00 | 海外の旅
 1994年1月の正月休みの期間、家族帯同で赴任先のタイのバンコクからシンガポール航空で正月休みを1週間、友人であるシンガポール駐在日本人夫妻を訪ねて家族で出かけた。
同じくバンコクに赴任している同僚の多くは正月期間中、日本に帰国したが我が家はタイに来てまだ半年しか経っていないので帰国せず友人が誘ってくれたシンガポールに行くことにした。


 私は1993年春からバンコクに単身で駐在していたが夏に家族を呼び寄せ、家族5人と義母の6人でバンコクに赴任していた。正月のこの時期、義母は日本に帰っていたのでシンガポールへは家族5人で出掛けたのだった。
 家族にとって初めての外国はタイだったが、シンガポールは2番目の海外経験となった。このときタイのバンコクに来て6か月の生活経験ができていたのでシンガポールはそう違和感はなかったようだ。

 シンガポールでも滞在先は友人宅だった。友人とはアフリカのザンビアにいた頃からお付き合いだったが15年も会っていなかったのに暖かく家族5人迎えてくれた。友人はオイル会社のアジアの支配人にプロモートし偉くなっていた。夫妻には二人女の子がいたがアフリカ当時は小さかったが当時既に成人となり、一人はアメリカに居住、二人目は日本の自宅にいて在日国の大使館勤務していた。夫妻はシンガポールにいたので家族が会うのは中間地点であるハワイで会うインターナショナル家族ぶりだった。

 当時、我が家の子供達は中学生と小学生だったが日本にいた頃は家族全員で海外旅行に行ったことがなく、このとき赴任先のタイと海外旅行でのシンガポールの2カ国の海外経験をしたことになる。
 狭いシンガポールであったがお決まりのマーラインの公園、熱帯物園、ゴンドラなど毎日いろんなところに出かけた。食事は毎日外食に出かけ、屋台やレストランで美味しい料理に舌鼓をした。タイのバンコクでも既に6カ月間、美味しいタイ料理に慣れていたのでシンガポールの食事にも違和感はなかった。

 また、お隣のマレーシアの「ジョホールバル」にも出かけた。ジョホールバルは観光地化していたがシンガポールの中華系(仏教)とインド系(ヒンズー教)を中心とした文化とは違ったイスラム系の文化が見たのも家族にとって経験になったのではないかと思う。
 駆け足のシンガポールの旅であったが家族にはタイとは違った文化に接した家族サービスの旅となった。これに気を良くして次の正月はまた違った国に義母も伴い家族で出かけようと思った。

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