▼おとどしの3月23日、東京からジェットでまっすぐ南下して2時間半、硫黄島にて開かれた慰霊祭で、陸上自衛隊の婦人自衛官がきりりと美しく歌われたのは、二度でした。
最初が、この写真の日米合同慰霊祭です。
同じテントのなかに、自衛隊と海兵隊、それぞれの軍楽隊が共にいます。76年まえに、たがいに真正面から戦った同士だけが生むことのできる真の信頼と友情がそこにあります。
二度目は、硫黄島の天山慰霊碑のまえで行われた、日本側だけの慰霊祭でした。それはひとつ前のエントリーをご覧ください。ここです。
参列していたぼくは、どちらも、こみあげてくる涙を抑えることはできませんでした。
いまだ、ふるさとに帰れないまま ( おとどしの時点で ) 74年が過ぎている英霊のかたがたが、どんな気持ちでお聴きになるか、誰でも胸に迫るからです。
水の無い、いつでも灼熱の硫黄島で、日本の清い水が溢れる川、青き山々が魂に甦り、そして父、母、友だちと逢いたいと、あまりにも切なく、秘かに慟哭 ( どうこく ) されるでしょう。
最初が、この写真の日米合同慰霊祭です。
同じテントのなかに、自衛隊と海兵隊、それぞれの軍楽隊が共にいます。76年まえに、たがいに真正面から戦った同士だけが生むことのできる真の信頼と友情がそこにあります。
二度目は、硫黄島の天山慰霊碑のまえで行われた、日本側だけの慰霊祭でした。それはひとつ前のエントリーをご覧ください。ここです。
参列していたぼくは、どちらも、こみあげてくる涙を抑えることはできませんでした。
いまだ、ふるさとに帰れないまま ( おとどしの時点で ) 74年が過ぎている英霊のかたがたが、どんな気持ちでお聴きになるか、誰でも胸に迫るからです。
水の無い、いつでも灼熱の硫黄島で、日本の清い水が溢れる川、青き山々が魂に甦り、そして父、母、友だちと逢いたいと、あまりにも切なく、秘かに慟哭 ( どうこく ) されるでしょう。