▼2年近く前のことでしょうか、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の記者会見を終わったあとだったと思います。
数人の記者が残って、ぼくに補足質問をしていました。
当然ながら、こうしたときも丁寧に、正面からすべて答えます。
それも終わり、会見場から出ようとしていたとき、あるテレビ局の若い女性記者が「うちの○○ ( 番組名 ) に出てもらえないですか」と仰いました。
「ご要望があれば、参加しますよ。オファーがないだけです」
ありのままに答えました。
その記者は「えっ」と驚き、「じゃ、番組に伝えていいですか」と眼がすこし輝きました。
「ええ、もちろん」
数人の記者が残って、ぼくに補足質問をしていました。
当然ながら、こうしたときも丁寧に、正面からすべて答えます。
それも終わり、会見場から出ようとしていたとき、あるテレビ局の若い女性記者が「うちの○○ ( 番組名 ) に出てもらえないですか」と仰いました。
「ご要望があれば、参加しますよ。オファーがないだけです」
ありのままに答えました。
その記者は「えっ」と驚き、「じゃ、番組に伝えていいですか」と眼がすこし輝きました。
「ええ、もちろん」
▼この番組は、BS放送のなかで評価が高い番組ではないかと思います。
いつも必ず、国会議員が出ているようでした。
そして、この番組からは一切、何の連絡もありません。
ぼくは、こうなるだろうなと予想していました。
あの女性記者は間違いなく、番組に伝えたと思います。
しかし決してオファーはありません。
▼これが、ぼくとテレビ局との現在の関係です。
別にこの番組、この局に限ったことではありません。
少なくない人が、すでにご存じのことです。
それは、モリカケ報道がいちばん盛んな頃に、予算委員会で、当事者の加戸守行・元愛媛県知事に参考人としておいでいただいて客観的な事実関係を初めて明らかにしたとき、ほとんどのメディアがこの国会審議、しかもNHKが生中継していた審議を無かったことにした、その時に、多くの主権者・国民が気づかれたのでした。
オールドメディアが青山繁晴という国会議員はこの世に居ないことにしているのは、いわば、すでに公然たる事実です。
▼そのなかで、ぼくの理解者だという趣旨を仰るかたから「あなたはメディアから逃げている。直接的反撃の少ない、本とか、独立講演会とか、動画とかだけで話して、メディアの番組を、恐れている、逃げている」、「高市さんも急にメディアの露出を増やして、すこし哀れだ」、「高市さんはなぜ、知名度を上げることを優先してこなかったのか。河野さんはそれをやって来たのに」という長文のコメントが来ています。
いずれも言葉の引用ではなく、趣旨です。元の言葉はもっと長いですから、意味を要約しました。
ただし「恐れている、逃げている」という言葉はナマのままです。正確には「恐れているか、逃げているように見えます」とお書きになっています。
▼ぼくがいつ、恐れて、逃げたのでしょうか。
この人生で、ただの一度もそのようなことをしたことがありませぬ。
また、まことに恐縮至極ながら、ぼくの命である本を書くこと、みんなの無私の志が集う独立講演会、真摯に真正面からすべての問題とぶつかっている動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」、これらを逃げだと仰ることは、申し訳ないですが、当たりませんね。
★高市さんについても、事実はまるで逆でしょう。
高市さんが積極果敢に総裁選に打って出られたから、やっとメディアがいくらかは取りあげるようになったのでしょう。
「哀れ」とは一体、何でしょうか。
毅然と、戦う、日本女子です。
▼定年にもなったと仰る人生の立派なベテランが、このように仰る世の中です。
このかたもまた、日本国の宝である主権者です。
そして、こうしたかたが最も多いということはありませんが、そう珍しいわけでもまったくありません。
暮夜、鬱屈しては、夜明けの美しさを見て、また気を持ち直す日々がずっとずっと続く背景のひとつには、これがあります。
やがてぼくが戦死したあと、ぼくのことはもう思い出さなくていいですから、この問題提起だけは思いだしてください。
社会がこうした「味方撃ち」を払拭していかなければ、腐敗権力の思うがままになります。
▼以下は余談です。
▽これも今までに何度も事実のままに申しあげたことですが、ぼくが国会議員になってからオファーを断ったテレビ番組は、「TVタックル」と「朝生」だけです。 ( 日程がどうしても合わなかった時は、当然ながら別の話です )
しかしメディアの世界は、良くいえばヨコの連絡がある、悪くいえば仲間内でツルむから、こうした情報はパッと広がります。
番組のディレクターからすれば、「受けてくれないかも知れない人」はなるべく避けたい、よく分かります。
ただし現況は、BS放送の実例を冒頭に挙げたように、すでに違います。積極的な忌避でしょう。
しかしいずれにせよ、オファーする、しないはテレビ局であれ何であれ、メディアの完全な、そして尊重されるべき自由です。
▽また、前出の人生のベテランのかたに限らず、世に意外なほど知られていないのは、テレビ番組に「出演」するひとと芸能プロダクションとの深い関係です。
非常に多くの学者・大学教授、作家、評論家がほんとうは芸能プロダクションと契約をなさるか、密接な関係を持っておられます。
ぼく自身にも、民間の時代に、ある著名な芸能プロダクションから「契約してもらえば、ギャラが格段に上がります」、「お嫌なら契約の事実は隠しますよ」とオファーがあり、即座にお断りしました。
それでももう一度ありましたが、再び、即座にかつ丁重にお断りしました。
芸能プロダクションと無縁のまま地上波のテレビ番組に参加していた頃、ある作家はいつも、「ウチの事務所が」と胸を張るように話されていました。
ウチの事務所とは、ご自分の事務所、たとえば議員会館の青山繁晴事務所のようなことを仰っているのではなく、ご自分が契約なさっている芸能プロダクションのことなのです。
作家が、良き無頼派 ( ぶらいは ) だった時代は、とっくに滅んでいます。
大手の芸能プロダクションと契約しているのが、むしろ自慢なのですね。
この人はやや違いますが、大手の芸能事務所との契約を仲間内では自慢しつつ庶民に隠す人もいます。
かつて、やしきたかじんさんが奮闘されつつ亡くなり、大規模な偲ぶ会が大阪で開かれました。
ぼくは、たかじんさんと番組をご一緒した最後という立場に過ぎませんから、会場の隅にひっそりと立っていました。
すると有名な評論家のおふたり、具体的には大学教授と新聞社の幹部が「どこの芸能プロダクションがいちばんギャラが良くて、番組に出してもらえるか」という話を、熱心にヒソヒソと話しています。
次第に声が大きくなります。誰も居ないと思っているのでしょう。
ぼくは盗み聞きになるのが嫌で、身体をひょいと前へ出しました。
そのときのおふたりの表情はなかなかに印象深いものでした。
おふたりは、おそらく、ぼくが芸能プロダクションに一切、属さないことをご存じだったのでしょう。何ともばつの悪そうなお顔になって、そそくさと離れて行かれました.
▼やがて夜が明けます。
おおきな地球、宇宙のなかではちっぽけな地球が、自転と公転を正確に繰り返してくれる。
それを想うだけで、気持ちが晴々、はればれとしてきますね、みなさん。
総裁選も、あときょうの1日だけです。
見えざる最期の努力を尽くします。議員票はまだ動いています。
オールドメディアは「議員同士で、票の引き剥がしをやっている」と手垢の付いた表現で報じています。
それは派閥の思惑の話でしょう。
派閥政治を批判するふりをしつつ、いちばん派閥政治にどっぷり浸かっているのが、メディアですね。
こちらはそんな思惑では、1ミリも動きません。
胸にあるのは、「民は宝」、その古代からの日本国の理念です。
今回の候補のなから、どなたが新総理になれば、中国製の武漢熱が日本国民にもたらした命、健康、生活、仕事、教育におよぶ危機から脱することに直結できるか、自由民主党とその政権のまつりごと ( 政 ) が、主権者・国民に「民が疎 ( おろそ ) かにされている」という憤りと悲しみをもたらしたことを、いちばん克服できるか。
それは高市早苗候補だと、静かに考えています。
いつも必ず、国会議員が出ているようでした。
そして、この番組からは一切、何の連絡もありません。
ぼくは、こうなるだろうなと予想していました。
あの女性記者は間違いなく、番組に伝えたと思います。
しかし決してオファーはありません。
▼これが、ぼくとテレビ局との現在の関係です。
別にこの番組、この局に限ったことではありません。
少なくない人が、すでにご存じのことです。
それは、モリカケ報道がいちばん盛んな頃に、予算委員会で、当事者の加戸守行・元愛媛県知事に参考人としておいでいただいて客観的な事実関係を初めて明らかにしたとき、ほとんどのメディアがこの国会審議、しかもNHKが生中継していた審議を無かったことにした、その時に、多くの主権者・国民が気づかれたのでした。
オールドメディアが青山繁晴という国会議員はこの世に居ないことにしているのは、いわば、すでに公然たる事実です。
▼そのなかで、ぼくの理解者だという趣旨を仰るかたから「あなたはメディアから逃げている。直接的反撃の少ない、本とか、独立講演会とか、動画とかだけで話して、メディアの番組を、恐れている、逃げている」、「高市さんも急にメディアの露出を増やして、すこし哀れだ」、「高市さんはなぜ、知名度を上げることを優先してこなかったのか。河野さんはそれをやって来たのに」という長文のコメントが来ています。
いずれも言葉の引用ではなく、趣旨です。元の言葉はもっと長いですから、意味を要約しました。
ただし「恐れている、逃げている」という言葉はナマのままです。正確には「恐れているか、逃げているように見えます」とお書きになっています。
▼ぼくがいつ、恐れて、逃げたのでしょうか。
この人生で、ただの一度もそのようなことをしたことがありませぬ。
また、まことに恐縮至極ながら、ぼくの命である本を書くこと、みんなの無私の志が集う独立講演会、真摯に真正面からすべての問題とぶつかっている動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」、これらを逃げだと仰ることは、申し訳ないですが、当たりませんね。
★高市さんについても、事実はまるで逆でしょう。
高市さんが積極果敢に総裁選に打って出られたから、やっとメディアがいくらかは取りあげるようになったのでしょう。
「哀れ」とは一体、何でしょうか。
毅然と、戦う、日本女子です。
▼定年にもなったと仰る人生の立派なベテランが、このように仰る世の中です。
このかたもまた、日本国の宝である主権者です。
そして、こうしたかたが最も多いということはありませんが、そう珍しいわけでもまったくありません。
暮夜、鬱屈しては、夜明けの美しさを見て、また気を持ち直す日々がずっとずっと続く背景のひとつには、これがあります。
やがてぼくが戦死したあと、ぼくのことはもう思い出さなくていいですから、この問題提起だけは思いだしてください。
社会がこうした「味方撃ち」を払拭していかなければ、腐敗権力の思うがままになります。
▼以下は余談です。
▽これも今までに何度も事実のままに申しあげたことですが、ぼくが国会議員になってからオファーを断ったテレビ番組は、「TVタックル」と「朝生」だけです。 ( 日程がどうしても合わなかった時は、当然ながら別の話です )
しかしメディアの世界は、良くいえばヨコの連絡がある、悪くいえば仲間内でツルむから、こうした情報はパッと広がります。
番組のディレクターからすれば、「受けてくれないかも知れない人」はなるべく避けたい、よく分かります。
ただし現況は、BS放送の実例を冒頭に挙げたように、すでに違います。積極的な忌避でしょう。
しかしいずれにせよ、オファーする、しないはテレビ局であれ何であれ、メディアの完全な、そして尊重されるべき自由です。
▽また、前出の人生のベテランのかたに限らず、世に意外なほど知られていないのは、テレビ番組に「出演」するひとと芸能プロダクションとの深い関係です。
非常に多くの学者・大学教授、作家、評論家がほんとうは芸能プロダクションと契約をなさるか、密接な関係を持っておられます。
ぼく自身にも、民間の時代に、ある著名な芸能プロダクションから「契約してもらえば、ギャラが格段に上がります」、「お嫌なら契約の事実は隠しますよ」とオファーがあり、即座にお断りしました。
それでももう一度ありましたが、再び、即座にかつ丁重にお断りしました。
芸能プロダクションと無縁のまま地上波のテレビ番組に参加していた頃、ある作家はいつも、「ウチの事務所が」と胸を張るように話されていました。
ウチの事務所とは、ご自分の事務所、たとえば議員会館の青山繁晴事務所のようなことを仰っているのではなく、ご自分が契約なさっている芸能プロダクションのことなのです。
作家が、良き無頼派 ( ぶらいは ) だった時代は、とっくに滅んでいます。
大手の芸能プロダクションと契約しているのが、むしろ自慢なのですね。
この人はやや違いますが、大手の芸能事務所との契約を仲間内では自慢しつつ庶民に隠す人もいます。
かつて、やしきたかじんさんが奮闘されつつ亡くなり、大規模な偲ぶ会が大阪で開かれました。
ぼくは、たかじんさんと番組をご一緒した最後という立場に過ぎませんから、会場の隅にひっそりと立っていました。
すると有名な評論家のおふたり、具体的には大学教授と新聞社の幹部が「どこの芸能プロダクションがいちばんギャラが良くて、番組に出してもらえるか」という話を、熱心にヒソヒソと話しています。
次第に声が大きくなります。誰も居ないと思っているのでしょう。
ぼくは盗み聞きになるのが嫌で、身体をひょいと前へ出しました。
そのときのおふたりの表情はなかなかに印象深いものでした。
おふたりは、おそらく、ぼくが芸能プロダクションに一切、属さないことをご存じだったのでしょう。何ともばつの悪そうなお顔になって、そそくさと離れて行かれました.
▼やがて夜が明けます。
おおきな地球、宇宙のなかではちっぽけな地球が、自転と公転を正確に繰り返してくれる。
それを想うだけで、気持ちが晴々、はればれとしてきますね、みなさん。
総裁選も、あときょうの1日だけです。
見えざる最期の努力を尽くします。議員票はまだ動いています。
オールドメディアは「議員同士で、票の引き剥がしをやっている」と手垢の付いた表現で報じています。
それは派閥の思惑の話でしょう。
派閥政治を批判するふりをしつつ、いちばん派閥政治にどっぷり浸かっているのが、メディアですね。
こちらはそんな思惑では、1ミリも動きません。
胸にあるのは、「民は宝」、その古代からの日本国の理念です。
今回の候補のなから、どなたが新総理になれば、中国製の武漢熱が日本国民にもたらした命、健康、生活、仕事、教育におよぶ危機から脱することに直結できるか、自由民主党とその政権のまつりごと ( 政 ) が、主権者・国民に「民が疎 ( おろそ ) かにされている」という憤りと悲しみをもたらしたことを、いちばん克服できるか。
それは高市早苗候補だと、静かに考えています。