▼みなさん、これはどういう人たちだと思いますか ?
もしも一発回答をした人が居たら、それは、凄い。
これは『外交官になることが決まっている学生たち』、それもイラン・イスラーム共和国から来日されたかたがたです。
その近未来外交官たちと日本の国会議員が議論する場が、国会内にセットされて出席要請があり、わたしはいったん「できるだけ参加します」と秘書さんを通じて回答しました。
ところが参加が不可能になって、それを秘書さんに連絡したら「参加する議員がふたりしか居ないので、なんとか参加して欲しいという ( 日本国外務省からの ) 要請です」ということなのです。
そこで、無理を押して参加しました。
▼会が終わり、わたしが次の、絶対に遅れることのできない公務日程に大急ぎで向かっている時、うしろからイランのベテラン外交官が追いすがってこられました。
英語で「感激しました。あなたの姿勢に感動しました。これからもよろしくお願いします」と仰いました。
▼こうしたことは、わたしの言う「五観」のうち、主として人間観に基づく行動です。
国家観、歴史観にも基づいていますが、人間観が欠けていても、わたしの行動ぶりは違っているし、そもそも、やはりこの会に参加していなかったでしょう。
わたしは、物語・小説をプロフェッショナルな仕事として書きつつ、みずからの人間観を鍛えています。
五観のなかで、実はもっとも困難な道が、人間観への道なのです。
どんなに公務や、まつりごと ( 政 ) が忙しくても、神経がすり減っても・・・すり減らないですが、たとえば小説『わたしは灰猫』のなかの咲音のこれからを頭の一隅で考えています。
その結果、生まれたのが、咲音と灰猫さんと少年運転士のその後を描いた『そして、灰猫とわたし』です。
それに合わせて、元の『わたしは灰猫』に手を入れて、ひとつの文庫本にしたのが、これです。
英語で「感激しました。あなたの姿勢に感動しました。これからもよろしくお願いします」と仰いました。
▼こうしたことは、わたしの言う「五観」のうち、主として人間観に基づく行動です。
国家観、歴史観にも基づいていますが、人間観が欠けていても、わたしの行動ぶりは違っているし、そもそも、やはりこの会に参加していなかったでしょう。
わたしは、物語・小説をプロフェッショナルな仕事として書きつつ、みずからの人間観を鍛えています。
五観のなかで、実はもっとも困難な道が、人間観への道なのです。
どんなに公務や、まつりごと ( 政 ) が忙しくても、神経がすり減っても・・・すり減らないですが、たとえば小説『わたしは灰猫』のなかの咲音のこれからを頭の一隅で考えています。
その結果、生まれたのが、咲音と灰猫さんと少年運転士のその後を描いた『そして、灰猫とわたし』です。
それに合わせて、元の『わたしは灰猫』に手を入れて、ひとつの文庫本にしたのが、これです。