▼きょう2月4日の金曜は、朝7時40分ぐらいには自由民主党本部に入りました。
「票にはならない ( 分野の ) 部会」に熱心に来られる、「神戸の関さん」こと関芳弘代議士 ( 護る会メンバー / 兵庫3区 ) の隣に座って、なぜ外交や国防に取り組むかという話をしていると、午前8時ちょうどとなり、外交部会と外交調査会の合同会議の始まりです。
まずはこのエントリーに記した「日本がODA ( 政府開発援助 ) を行ったり、日本企業が国際取引をするとき、その相手国が人権を尊重しているかどうかを判断しなければならない」という新基準を政府に求める提案、その説明がプロジェクトチームの鈴木憲和代議士 ( 写真 ) からありました。
▼ぼくは新しい取り組みとして評価したうえで、「援助や取引の事前に、必ずこの基準を満たさねばならないことを明記すべきです。事前に不可欠、となると格段に実効的になる。それが大切です」という趣旨を述べました。
ぼくのあとに、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) メンバーの閣僚経験者からさらに厳しい意見が出て、「まだまだ甘い提案だ。このままでは容認できない」という論旨を整然と、かつ熱く仰いました。
「票にはならない ( 分野の ) 部会」に熱心に来られる、「神戸の関さん」こと関芳弘代議士 ( 護る会メンバー / 兵庫3区 ) の隣に座って、なぜ外交や国防に取り組むかという話をしていると、午前8時ちょうどとなり、外交部会と外交調査会の合同会議の始まりです。
まずはこのエントリーに記した「日本がODA ( 政府開発援助 ) を行ったり、日本企業が国際取引をするとき、その相手国が人権を尊重しているかどうかを判断しなければならない」という新基準を政府に求める提案、その説明がプロジェクトチームの鈴木憲和代議士 ( 写真 ) からありました。
▼ぼくは新しい取り組みとして評価したうえで、「援助や取引の事前に、必ずこの基準を満たさねばならないことを明記すべきです。事前に不可欠、となると格段に実効的になる。それが大切です」という趣旨を述べました。
ぼくのあとに、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) メンバーの閣僚経験者からさらに厳しい意見が出て、「まだまだ甘い提案だ。このままでは容認できない」という論旨を整然と、かつ熱く仰いました。
▼議論の末、衛藤征士郎・外交調査会長 ( 写真の雛壇の中央 ) が、「このままでは容認できないということは大切な主張だ」と引き取られ、ぼくの提案も閣僚経験者の提案も容れて、書き直されることになりました。
この閣僚経験者は、行政官 ( 官僚 ) 出身です。
官庁に中堅ホープとしておられたとき、ある人口の多い県に副知事として出られたとき、そして衆院選に打って出て最初は落選され苦労されたとき、ずっと変わらずに親しくおつきあいしてきました。
そして今は、護る会72人のおひとりです。
さすがの真っ直ぐにして戦略性のある意見だと、感嘆してお聴きしていました。
ちなみに、ぼくの左隣が関さんです。
鈴木憲和代議士は、護る会ではありません。護る会は、既成派閥のような勧誘はしないのでアリマス。
▼この部会ではそのあと、ミャンマー情勢とトンガ支援について議論が行われました。いつも盛り沢山です。
ぼくは、ミャンマーで軍が自国民をおよそ1500人以上も殺害しながら、ウクライナそのほかに埋もれがちとなっているなかで日本の役割が増大していることを説き、「落ち着いた情勢となってきた」という外務省の説明に怒りを込めて改善を求めました。
外務省の担当部長からは、部会中だけではなく、部会のあとでも「強く自戒します」という話もありました。
しかしこの日本外交の弱さ、これを何とかしないと、アジアも日本も中国共産党の独裁主義に呑み込まれます。
だから声を励まして、厳しく述べました。
▼金曜ですから、朝の部会が終われば、多くの衆参両院議員はどっと地元に向かいます。
ぼくは地元をつくりませんから、そのまま仕事です。
仕事ですが、割れた歯の激痛、頭痛のないぼくに続く頭痛、事故後遺症のもともとの首の痛みのトリオと一緒に公務を果たしていると、集中力に不安があるので、すこしでも症状が改善するように努力しました。
このエントリーの訳の分からないタイトルは、そのとき、頭にふと浮かんだ言葉です。
これって、昔のハッチバックと呼ばれたスタイルの車の、宣伝コピーですね。
何だか今は「痛みの中を走るぎーん」という感じなので、この懐かしい名コピーが浮かんだのだと思います。
当時まだぼくは学生で、もちろんCMは見てるだけ、でした。
問題ありません。
耐えます。
根本的な病気があるかどうかは、毎年、人間ドックとPETで確認していますから、どうかご心配なく。
この閣僚経験者は、行政官 ( 官僚 ) 出身です。
官庁に中堅ホープとしておられたとき、ある人口の多い県に副知事として出られたとき、そして衆院選に打って出て最初は落選され苦労されたとき、ずっと変わらずに親しくおつきあいしてきました。
そして今は、護る会72人のおひとりです。
さすがの真っ直ぐにして戦略性のある意見だと、感嘆してお聴きしていました。
ちなみに、ぼくの左隣が関さんです。
鈴木憲和代議士は、護る会ではありません。護る会は、既成派閥のような勧誘はしないのでアリマス。
▼この部会ではそのあと、ミャンマー情勢とトンガ支援について議論が行われました。いつも盛り沢山です。
ぼくは、ミャンマーで軍が自国民をおよそ1500人以上も殺害しながら、ウクライナそのほかに埋もれがちとなっているなかで日本の役割が増大していることを説き、「落ち着いた情勢となってきた」という外務省の説明に怒りを込めて改善を求めました。
外務省の担当部長からは、部会中だけではなく、部会のあとでも「強く自戒します」という話もありました。
しかしこの日本外交の弱さ、これを何とかしないと、アジアも日本も中国共産党の独裁主義に呑み込まれます。
だから声を励まして、厳しく述べました。
▼金曜ですから、朝の部会が終われば、多くの衆参両院議員はどっと地元に向かいます。
ぼくは地元をつくりませんから、そのまま仕事です。
仕事ですが、割れた歯の激痛、頭痛のないぼくに続く頭痛、事故後遺症のもともとの首の痛みのトリオと一緒に公務を果たしていると、集中力に不安があるので、すこしでも症状が改善するように努力しました。
このエントリーの訳の分からないタイトルは、そのとき、頭にふと浮かんだ言葉です。
これって、昔のハッチバックと呼ばれたスタイルの車の、宣伝コピーですね。
何だか今は「痛みの中を走るぎーん」という感じなので、この懐かしい名コピーが浮かんだのだと思います。
当時まだぼくは学生で、もちろんCMは見てるだけ、でした。
問題ありません。
耐えます。
根本的な病気があるかどうかは、毎年、人間ドックとPETで確認していますから、どうかご心配なく。
▼午後になると、13時からまた、外交部会です。
今度は、外交部会に新設された「対韓国政策検討ワーキングチーム」と自由民主党「領土に関する特別委員会」 の合同会議です。
日韓の歴史問題を克服するための方策をめぐって、有識者のお話も伺って、議論しました。
積極果敢な外交部会長の佐藤正久さんが「青山さんの提案で作ったワーキングチーム」と、会議が始まる前に仰いました。聞き流さずに実現される、まさしく名部会長です。
▼そのあと、議員会館の青山繁晴事務所に歩いて戻り、防衛省の衛生官 ( 厚労省から出向されているお医者さま ) とワクチン大規模接種会場の拡大について議論しました。
▼そして、その議員会館の青山繁晴事務所が初めて募集した私設秘書について、1月末日の〆切が過ぎたので、書類選考 ( 第二次 ) に臨みました。
これについては別エントリーで記します。
▼さらに公務日程が完全に終わってから、今週2本目の配信となる東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の執筆に入りました。
第1246号が、もう全会員へ配信されました。
レポート内容は、会員以外には、絶対秘です。水面下情報が記されていますから。
会員は常に募集しています。関心のある方は、ここをどうぞ。
レポート前号のタイトルと、小見出しは、無条件に公開しています。下のボタンを押してください。
今度は、外交部会に新設された「対韓国政策検討ワーキングチーム」と自由民主党「領土に関する特別委員会」 の合同会議です。
日韓の歴史問題を克服するための方策をめぐって、有識者のお話も伺って、議論しました。
積極果敢な外交部会長の佐藤正久さんが「青山さんの提案で作ったワーキングチーム」と、会議が始まる前に仰いました。聞き流さずに実現される、まさしく名部会長です。
▼そのあと、議員会館の青山繁晴事務所に歩いて戻り、防衛省の衛生官 ( 厚労省から出向されているお医者さま ) とワクチン大規模接種会場の拡大について議論しました。
▼そして、その議員会館の青山繁晴事務所が初めて募集した私設秘書について、1月末日の〆切が過ぎたので、書類選考 ( 第二次 ) に臨みました。
これについては別エントリーで記します。
▼さらに公務日程が完全に終わってから、今週2本目の配信となる東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の執筆に入りました。
第1246号が、もう全会員へ配信されました。
レポート内容は、会員以外には、絶対秘です。水面下情報が記されていますから。
会員は常に募集しています。関心のある方は、ここをどうぞ。
レポート前号のタイトルと、小見出しは、無条件に公開しています。下のボタンを押してください。