▼きのうの7月10日土曜は、2年か3年ぶりに地上波に現れた日でした。
大阪の読売テレビの番組で、関西だけの放送でしたから、ぼく自身はまったく視ることができませんでした。
大阪の読売テレビの番組で、関西だけの放送でしたから、ぼく自身はまったく視ることができませんでした。
~ 以下、原文のまま引用 ~
( タイトル ) ニュースドライブ観ました
1時間半の番組で、青山さんのコーナーは30分少々
石垣市長の中山さんとの対談が終わった後に、MCの増田君が
「青山さんばかりしゃべってましたね」
え ? 青山さんほとんどしゃべってないよ
尖閣の緊迫したVTRと中山さんの話しがほとんどで青山さんは
ほとんどしゃべってないのに・・・
あー、カットしたんだな
増田君が最後に
「青山さん、中国のいいとこ教えて下さい」
と言った場面で、なんとなく察しはついた
青山さんの「中国の話」の部分はカットせざるを得なかったんだろうな、と
せっかく期待してのだけど
青山さん、今後テレビは生放送以外出る必要ないですよ
【ここにハンドルネーム、あるいは実名】
~ 引用、終わり ~
▼なるほど。
ぼくは、前述の通り視られなかったので、あくまで仮に上述のコメントがそのまま事実ならの話ですが、視聴者の眼は信じます。
盟友の中山義隆・石垣市長とMCの増田さん、そしてぼくの鼎談は、長いロケの最後、7月5日月曜の午後6時すぎから8時20分頃まで、2時間以上、行われました。
そのとき、MCの増田さんも中山市長も充分に発言されたと思います。
したがって、ぼく自身も「青山さんばかり喋った」という締めくくりには、ちょっとだけ驚きましたが、地上波のテレビにはいつもあることなので気にしていませんでした。
そしてたとえば、TVタックルでも、ぼくの発言がほぼ全カットされて笑っているだけの顔がずっと放送されたことが何度かあり、「あなたはなぜ、笑っているだけで何も発言しないのか。ハマコーさんの質問にも答えなくてけしからん」という視聴者からのコメントをもらったりしました。
事実は、ハマコーさんの問いにひとり、立ち向かって、まともに答えていましたが、ハマコーさんの発言はすべてそのまま放送し、ぼくの答えは全カットでした。
そうではなく、ぼくの発言もかなり放送されたことも、回数はやや少なくても、あることはありました。しかし、ほぼ全カットもありました。
それは視聴者には分かりません。当然ながら、視聴者にはまったく何の原因もないまま、推測も難しいしょう。
これが地上波の常態、ノーマルです。
だから今回も同じことが起きているだけです。
視聴者のなかに、鋭く気づかれたかた、すなわち上掲のコメントを寄せてくださったかたがいらした、ということです。
それに、国士である中山市長の発言がしっかり放送されたのなら、それで満足です。満足そのものです。
▼このロケは、早朝から夜まで終日、行われました。
ぼくは午前6時45分に、都内の自宅を出て、旭川空港でロケバスに乗ったのが、午前9時15分頃だったと思います。
そこから美瑛、富良野、自衛隊駐屯地などを回ってずっとロケ、最後は富良野のホテルで上述の鼎談でした。
ですからロケは、東京と北海道までの短くはないぼくの移動時間を除いて、中身だけで13時間35分ほどに及びました。まさしく朝から夜になるまでの1日中です。
ディレクターから「青山さんの部分を40分、たっぷり取ってありますから」という話があり、ぼくは「へえ、ずいぶんありますね」と答えました。
実際には、このロケ全体から放送する部分の尺 ( 放送時間 ) であり、ぼくの話の部分では全くなかったのですね。
なおかつ、上掲のコメントが正しければ、さらに10分短くなり、そのなかでもおそらくは、ぼくの発言は削りに削られたのでしょう。
★しかし、みなさん。
編集権はすべて、テレビ局にあります。
オファーをお受けした以上は、こうしたことは基本、すべて甘受せねばなりません。
かつて地上波のテレビに良く参加していた頃から、このこと、この考えは、繰り返し明言していました。
今回も同じです。
▼MCの増田さんも、ディレクターとプロデューサーをはじめ番組も、この世に居ないことになっているぼくという国会議員を登場させただけでも、よく奮闘されたのだと考えています。
ロケの途中、増田さんが「青山さんがアンカーを降板した理由・・・」うんぬんのことを仰り、むしろぼくはそれに内心で驚きました。
アンカーは降板していません。
関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」は9年半にわたって続いたあと、番組そのものが終了したのです。ぼくは番組の開始から終了まで、すべて務めました。
今回の番組スタッフは「アンカーの水曜日に青山さんが出ている時間帯は、いろいろやってはみたけど勝てないので、もう諦めていました」と仰っていました。
水曜アンカーは、占拠率が30%を超えるときもありました。
いわば視聴者との幸せな関係を9年半にわたって続けることができたのです。
しかし、いつの間にか「降ろされた」という伝説ができあがっているのですね。
知らないあいだに、いろいろな伝説が好きなように作られていることを、あらためて感じました。
生きにくい日本社会ですが、ぼくにとっては生きやすいだろう海外に渡ったりせずに、この祖国で踏ん張ります。みなさんと一緒に、踏ん張り続ける、それだけです。
では、公務に行ってきます。
( タイトル ) ニュースドライブ観ました
1時間半の番組で、青山さんのコーナーは30分少々
石垣市長の中山さんとの対談が終わった後に、MCの増田君が
「青山さんばかりしゃべってましたね」
え ? 青山さんほとんどしゃべってないよ
尖閣の緊迫したVTRと中山さんの話しがほとんどで青山さんは
ほとんどしゃべってないのに・・・
あー、カットしたんだな
増田君が最後に
「青山さん、中国のいいとこ教えて下さい」
と言った場面で、なんとなく察しはついた
青山さんの「中国の話」の部分はカットせざるを得なかったんだろうな、と
せっかく期待してのだけど
青山さん、今後テレビは生放送以外出る必要ないですよ
【ここにハンドルネーム、あるいは実名】
~ 引用、終わり ~
▼なるほど。
ぼくは、前述の通り視られなかったので、あくまで仮に上述のコメントがそのまま事実ならの話ですが、視聴者の眼は信じます。
盟友の中山義隆・石垣市長とMCの増田さん、そしてぼくの鼎談は、長いロケの最後、7月5日月曜の午後6時すぎから8時20分頃まで、2時間以上、行われました。
そのとき、MCの増田さんも中山市長も充分に発言されたと思います。
したがって、ぼく自身も「青山さんばかり喋った」という締めくくりには、ちょっとだけ驚きましたが、地上波のテレビにはいつもあることなので気にしていませんでした。
そしてたとえば、TVタックルでも、ぼくの発言がほぼ全カットされて笑っているだけの顔がずっと放送されたことが何度かあり、「あなたはなぜ、笑っているだけで何も発言しないのか。ハマコーさんの質問にも答えなくてけしからん」という視聴者からのコメントをもらったりしました。
事実は、ハマコーさんの問いにひとり、立ち向かって、まともに答えていましたが、ハマコーさんの発言はすべてそのまま放送し、ぼくの答えは全カットでした。
そうではなく、ぼくの発言もかなり放送されたことも、回数はやや少なくても、あることはありました。しかし、ほぼ全カットもありました。
それは視聴者には分かりません。当然ながら、視聴者にはまったく何の原因もないまま、推測も難しいしょう。
これが地上波の常態、ノーマルです。
だから今回も同じことが起きているだけです。
視聴者のなかに、鋭く気づかれたかた、すなわち上掲のコメントを寄せてくださったかたがいらした、ということです。
それに、国士である中山市長の発言がしっかり放送されたのなら、それで満足です。満足そのものです。
▼このロケは、早朝から夜まで終日、行われました。
ぼくは午前6時45分に、都内の自宅を出て、旭川空港でロケバスに乗ったのが、午前9時15分頃だったと思います。
そこから美瑛、富良野、自衛隊駐屯地などを回ってずっとロケ、最後は富良野のホテルで上述の鼎談でした。
ですからロケは、東京と北海道までの短くはないぼくの移動時間を除いて、中身だけで13時間35分ほどに及びました。まさしく朝から夜になるまでの1日中です。
ディレクターから「青山さんの部分を40分、たっぷり取ってありますから」という話があり、ぼくは「へえ、ずいぶんありますね」と答えました。
実際には、このロケ全体から放送する部分の尺 ( 放送時間 ) であり、ぼくの話の部分では全くなかったのですね。
なおかつ、上掲のコメントが正しければ、さらに10分短くなり、そのなかでもおそらくは、ぼくの発言は削りに削られたのでしょう。
★しかし、みなさん。
編集権はすべて、テレビ局にあります。
オファーをお受けした以上は、こうしたことは基本、すべて甘受せねばなりません。
かつて地上波のテレビに良く参加していた頃から、このこと、この考えは、繰り返し明言していました。
今回も同じです。
▼MCの増田さんも、ディレクターとプロデューサーをはじめ番組も、この世に居ないことになっているぼくという国会議員を登場させただけでも、よく奮闘されたのだと考えています。
ロケの途中、増田さんが「青山さんがアンカーを降板した理由・・・」うんぬんのことを仰り、むしろぼくはそれに内心で驚きました。
アンカーは降板していません。
関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」は9年半にわたって続いたあと、番組そのものが終了したのです。ぼくは番組の開始から終了まで、すべて務めました。
今回の番組スタッフは「アンカーの水曜日に青山さんが出ている時間帯は、いろいろやってはみたけど勝てないので、もう諦めていました」と仰っていました。
水曜アンカーは、占拠率が30%を超えるときもありました。
いわば視聴者との幸せな関係を9年半にわたって続けることができたのです。
しかし、いつの間にか「降ろされた」という伝説ができあがっているのですね。
知らないあいだに、いろいろな伝説が好きなように作られていることを、あらためて感じました。
生きにくい日本社会ですが、ぼくにとっては生きやすいだろう海外に渡ったりせずに、この祖国で踏ん張ります。みなさんと一緒に、踏ん張り続ける、それだけです。
では、公務に行ってきます。