▼ご存じのかたが多いと思います。
菅義偉総理が今夜、1月13日水曜の午後7時からの記者会見で、中国、韓国をはじめ特定の外国から実質的に無検査でビジネスの名のもと入国を受け容れてきたことを、「一時停止する」と表明しました。
菅義偉総理が今夜、1月13日水曜の午後7時からの記者会見で、中国、韓国をはじめ特定の外国から実質的に無検査でビジネスの名のもと入国を受け容れてきたことを、「一時停止する」と表明しました。
ぼくと護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) は、仮に2月7日に緊急事態宣言が解除されても、ビジネストラック・レジデンストラックを元に戻すべきではないと主張しています。
その時点で、外国人がビジネス ( 商用 ) を名乗るなどして入国できることになれば、2月11日に中国の春節、つまり旧正月となることも重なって、どっと中国の人々が溢れて感染のリスクが一気に高まることになるからです。
そのリスクには、変異種ウイルスによる市中感染の危険性も含まれます。
ですから、今日の菅総理の方針転換も、一歩は前進したということです。
万々歳ではありません。
▼一方で、昨年からずっと「ビジネストラック・レジデンストラックによって中国、韓国をはじめ特定の国から実際にはフリー入国があるのはおかしい」という動きを続けてきた立場からすると、やっと、一部とはいえ実ったという実感はあります。
不肖ぼくの動きは、ほかのあまりにも多種多様で数多い課題と同じく、表の動きと、水面下の動きの二本立てであり、表と水面下それぞれも重層的にたたみ掛けるということでした。
今回のビジネストラック・レジデンストラックの停止・中止については、表では、護る会が総理へ「完全中止」を求める提言を、官房副長官を通じて渡しました。
この官房副長官の公平な理解が、非常に意義を持ちました。
水面下では、閣僚を含む政権中枢に直に働きかけ、議論を繰り返して、そして閣僚らが総理に本気で諫言 ( かんげん ) なさった。これは大きかったです。
ぼくは今夜、これら閣僚らに感謝の電話をしました。
また同じく水面下の動きとして、外務省、法務省、厚労省の行政官 ( 官僚 ) たちと、これも直接に議論を重ねて、実務者の姿勢を変えようと努めました。
そのなかには、1月2日に脳内出血で突然、世を去ってしまった和田幸浩・外務省総務課長 ( 当時 ) がいました。
いや、ぼくの官僚組織との交渉において、和田さんが隠れた調整役を担ってくれていました。まさしく名捕手でした。
外務省内で秘かにぼくと共感して、かつ公平に、事態の改善に努めてくれたのでした。
こうして現職の大臣 ( 閣僚 ) から課長級あるいは課長補佐・係長のお役人まで、共鳴してくれるひとびとが、見えざるところで連携してくれたことが、トップの転換に繋がりました。
あらためて、どんなに苦しくても日々、昼も夜も朝も地道に、知られざる努力をするしかない、それだけが政府や自由民主党を内側から変えることに繋がる、それを現場で痛感しています。
菅総理が表明なさったのは「一時停止」ですが、その理由として「国民の不安が高まっている」と明言されました。
そこに、ぼくらの提言が浸透していることが、それなりに伺えました。
▼しかし、このエントリーのタイトルに記したとおり、「やっと一歩は前進」・・・に過ぎません。
これからも、さまざまな罵声に、黙して耐えつつ、この一本道を進みます。
謙虚、それがキーワードです。
盟友のなかの盟友、山田宏・護る会幹事長が喜んでくれたのが、ちと、うれしかったです。
さぁ、ここからです。
わずかに光は射しても、これからも罵声に直面していくでしょう。
なにごとも簡単にはいきません。まったくいきません。だからこそ諦めずに動いているところへ、「何も実現していないじゃないか」という罵 ( ののし ) りが、これからもふりかかる。
それがこの世です。
どうということはありませぬ。
その時点で、外国人がビジネス ( 商用 ) を名乗るなどして入国できることになれば、2月11日に中国の春節、つまり旧正月となることも重なって、どっと中国の人々が溢れて感染のリスクが一気に高まることになるからです。
そのリスクには、変異種ウイルスによる市中感染の危険性も含まれます。
ですから、今日の菅総理の方針転換も、一歩は前進したということです。
万々歳ではありません。
▼一方で、昨年からずっと「ビジネストラック・レジデンストラックによって中国、韓国をはじめ特定の国から実際にはフリー入国があるのはおかしい」という動きを続けてきた立場からすると、やっと、一部とはいえ実ったという実感はあります。
不肖ぼくの動きは、ほかのあまりにも多種多様で数多い課題と同じく、表の動きと、水面下の動きの二本立てであり、表と水面下それぞれも重層的にたたみ掛けるということでした。
今回のビジネストラック・レジデンストラックの停止・中止については、表では、護る会が総理へ「完全中止」を求める提言を、官房副長官を通じて渡しました。
この官房副長官の公平な理解が、非常に意義を持ちました。
水面下では、閣僚を含む政権中枢に直に働きかけ、議論を繰り返して、そして閣僚らが総理に本気で諫言 ( かんげん ) なさった。これは大きかったです。
ぼくは今夜、これら閣僚らに感謝の電話をしました。
また同じく水面下の動きとして、外務省、法務省、厚労省の行政官 ( 官僚 ) たちと、これも直接に議論を重ねて、実務者の姿勢を変えようと努めました。
そのなかには、1月2日に脳内出血で突然、世を去ってしまった和田幸浩・外務省総務課長 ( 当時 ) がいました。
いや、ぼくの官僚組織との交渉において、和田さんが隠れた調整役を担ってくれていました。まさしく名捕手でした。
外務省内で秘かにぼくと共感して、かつ公平に、事態の改善に努めてくれたのでした。
こうして現職の大臣 ( 閣僚 ) から課長級あるいは課長補佐・係長のお役人まで、共鳴してくれるひとびとが、見えざるところで連携してくれたことが、トップの転換に繋がりました。
あらためて、どんなに苦しくても日々、昼も夜も朝も地道に、知られざる努力をするしかない、それだけが政府や自由民主党を内側から変えることに繋がる、それを現場で痛感しています。
菅総理が表明なさったのは「一時停止」ですが、その理由として「国民の不安が高まっている」と明言されました。
そこに、ぼくらの提言が浸透していることが、それなりに伺えました。
▼しかし、このエントリーのタイトルに記したとおり、「やっと一歩は前進」・・・に過ぎません。
これからも、さまざまな罵声に、黙して耐えつつ、この一本道を進みます。
謙虚、それがキーワードです。
盟友のなかの盟友、山田宏・護る会幹事長が喜んでくれたのが、ちと、うれしかったです。
さぁ、ここからです。
わずかに光は射しても、これからも罵声に直面していくでしょう。
なにごとも簡単にはいきません。まったくいきません。だからこそ諦めずに動いているところへ、「何も実現していないじゃないか」という罵 ( ののし ) りが、これからもふりかかる。
それがこの世です。
どうということはありませぬ。