▼きょう2月16日木曜に、防衛省、経産省、原子力規制庁、環境省などとそれぞれ違うテーマで議論する、その合間を縫って、靖國神社にほど近い千鳥ヶ淵の戦没者墓苑へ向かいました。
硫黄島の戦いから78年を経て、ようやくにして祖国に戻られた英霊のご遺骨の引渡式に参列しました。
ご遺族らの献花に引き続き、わたしも名を呼ばれて、白い箱に入られた25柱のご遺骨のまえに、黄色い菊を献花しました。
そして深々と頭を垂れていると、『英霊のみなさま、みなさまに恥じない日本国に戻れますよう、力を尽くし切ります』という思い、『みなさまが硫黄島で戦い、米軍の本土空襲を遅らせてくださったからこそ、今のわたしたちが日本に生を受けることができました』、『今年のご遺骨収集も、ご遺族やボランティアのかたがたの尊い努力で4次にわたって行われました。そのおかげで、1年で75柱、今回の第4次収集では25柱の英霊が、こうしてご帰国を果たされました』、『しかし、それでもなお、滑走路の下などにおよそ1万人の英霊が取り残されています。わたしは民間人の時代からずっと、今は亡き安倍さんとともに、硫黄島の滑走路を引き剥がすための交渉に取り組んできました。しかし武漢熱で3年を喪ったこともあり、まだ実現していません。みなさま、こゝろから申し訳ございません。それでも、取り組み続けます』という思いが次々に溢れてきて、人知れず、涙しました。
献花が終わると、ご遺骨は、厚労省の係官に抱かれて、厚労省の霊安室へ向かわれました。
硫黄島の戦いから78年を経て、ようやくにして祖国に戻られた英霊のご遺骨の引渡式に参列しました。
ご遺族らの献花に引き続き、わたしも名を呼ばれて、白い箱に入られた25柱のご遺骨のまえに、黄色い菊を献花しました。
そして深々と頭を垂れていると、『英霊のみなさま、みなさまに恥じない日本国に戻れますよう、力を尽くし切ります』という思い、『みなさまが硫黄島で戦い、米軍の本土空襲を遅らせてくださったからこそ、今のわたしたちが日本に生を受けることができました』、『今年のご遺骨収集も、ご遺族やボランティアのかたがたの尊い努力で4次にわたって行われました。そのおかげで、1年で75柱、今回の第4次収集では25柱の英霊が、こうしてご帰国を果たされました』、『しかし、それでもなお、滑走路の下などにおよそ1万人の英霊が取り残されています。わたしは民間人の時代からずっと、今は亡き安倍さんとともに、硫黄島の滑走路を引き剥がすための交渉に取り組んできました。しかし武漢熱で3年を喪ったこともあり、まだ実現していません。みなさま、こゝろから申し訳ございません。それでも、取り組み続けます』という思いが次々に溢れてきて、人知れず、涙しました。
献花が終わると、ご遺骨は、厚労省の係官に抱かれて、厚労省の霊安室へ向かわれました。