絵の好きな田島さん、赤、黄、青の3色の絵の具だけで描きました。
落花生 とてもコクのある味ように感じます。
久しぶりに今年の春、ミニトマトの苗を4本購入し植えました。7月にはなり始めました。隣の畑の本多さんから、
とったワキ芽を、水につけておくと成長して、苗になり大きく成長すると教わったので、6本ぐらい植えて時々水を
あげた所、大きく成長し、8月末くらいからミニトマトがなり始めました。そして、弱くなったものの、11月15日現在も
実をならせ頑張っています。その様子を写真にしました。
ほば毎日少しですが、今も赤い実を慣らせています。
10月末に岡山県倉敷市を訪問した折に、倉敷・井上ファームよりお土産として泥付きレンコンを戴きました。
そのレンコンをテニスクラブの仲間達に少し少し分けてあげた所、絵を描くの好きな田島さんが絵手紙として描いて来てくれましたので、ここにご紹介します。
岡山県倉敷市連島のレンコン
乾燥した蓮の実 7月には大きくきれいな花でした。
倉敷市連島はレンコンの産地で、粘土のレンコン田の為に粘りのあるレンコンで、シャキシャキ感と
粘りに色々な料理に美味しく召し上がれ、地元やお客様に愛されています。
倉敷・井上ファームの泥付きレンコンは次のホームページよりお求め出来ます。(洗いレンコンもあります。) 朝掘ったレンコンをその日に発送されます。(産地直送)
群馬県伊勢崎市内にある 世界遺産候補地 富岡製糸工場関連の建物として、田島弥平旧宅 を見学する時があり、参加しました。
通風を重視した蚕(かいこ)の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が、文久3年(1863年)に建てた主屋兼蚕室です。間口25m、奥行き9mの瓦葺き総2階建てで、始めて屋根に換気用の越屋根が付けられました。この構造は、弥平が「清涼育」普及の為に著した「養蚕新論」及びその続編によって各地に広まり、近代養蚕農家の原型になりました。
1.田島弥平旧宅
外から見た田島弥平の屋敷
門の後ろの2階屋は養蚕用の家です。奥の方に母屋があります。
この島村地域は田島の性の旧家が沢山あり。わかりやすい様に屋号を持っています。読めませんが白い看板に屋号が記載。田島弥平宅の屋号は「遠山近水舎・桑拓園」です。
田島弥平旧宅
母屋は約150年前に建てられ、現在も済んでいます。
2階が養蚕のための部屋、一階が住居。この建物が当時新たに開発された養蚕・住まいの方式。
現在の当主で田島弥平の孫に当たる 田島健一氏、
今回は思いがけなく、いろいろと説明して下さいました。大正天皇の奥様が養蚕に熱心で。頻繁に訪れ、一緒に養蚕をされた事。 大正天皇の奥様に呼ばれ、皇居に何度もお伺いした事がある事、昔の様子 等。
田島邸の井戸
養蚕が活発な当時は200~300人の人を使っていたとの事、その大勢の人達の食事等の為に用いられた井戸。
2.田島弥平旧宅の周辺
農家旧家宅
島村には大規模に養蚕をしていた農家が沢山ありました。約150年前の家で現在も残る家をいくつかのせます。
多くが田島邸の為に屋号で読んだそうです。この家は146年前に建てた家
コスモスの花
旧家の庭にコスモSが咲いていました。
養蚕に使用する桑畑
養蚕農家の廻りは一面が桑畑でした。
田島弥平旧宅は 群馬県伊勢崎市境島村に有ります。
ご覧頂きありがとうございました。