今回は
日野日出志「ホラー自選集」の第9話「七色の毒蜘蛛」です。
いきなりめずらしく弱気な日野日出志先生から始まります。1コマ目の構図と妙な生活感が見事ですね。なんでも、先生は漫画を描きながら背中がチクチクと痛むそうです。そしてそういう時はなぜか記憶の糸をたぐり寄せなければならないそうです。
この次のページでは、その記憶の糸をたぐり寄せるための儀式のようなものが2ページにわたって描かれています。髪を結い、天井から紙をぶら下げ、日本刀を手入れし、ぶら下げた紙に日の丸を描き、掛け声とともに日の丸を横に真っ二つにします。さらにページをめくると、上下に斬られた日の丸の間から空襲を受ける夜の町の風景が現れて回想が始まります。この一連の流れにおける主人公の高揚感、背景がどんどん省略されて己の中へと潜るという表現、原色があふれるようなセリフまわし、最初の数ページだけでものすごい密度の演出がなされています。
ちなみに日野日出志が実際に日本刀を所有しているということは誰でも知っていることですね。
回想の中では、空襲の下を父親に連れられて防空壕へと避難する幼少の頃の主人公。そこに焼夷弾が落ちてきて、父親の背中を焼きます。火が消えた後の父親の背中には、真っ赤な蜘蛛が浮き出ていたのでした。
戦争が終わって間もなく、進駐軍が町を支配します。主人公一家が夜歩いていると、進駐軍の兵士たちが母親を暴行しようと迫ってきます。当然一家は抵抗しますが、体格のいい兵士たちに対してなす術がありません。母親はドブ川に身を投げ、父親が助け上げた時にはすでに手遅れでした。その時に、主人公は父親の背中に二度目の蜘蛛の姿を見たのでした。しかも以前より立体的に!
荒れた父親は兵士たちに喧嘩を売り、酒に溺れ、主人公を虐待します。そのような時には父親の背中には必ず毒蜘蛛が見えるのでした。
この表のネオンと父親の苦しむ姿の対比もなかなか残酷です。蜘蛛の描写もリアルです。
その後、父親は蜘蛛に支配され、あげくに雪の日にこえだめに顔を突っ込んで死んでしまいます。
ここで回想シーンの終わり。憤怒の顔、斬られた日の丸、コマ運びの間がとても印象的です。この一閃で過去を切り捨てたかったのでしょうけれど、過去はますます鮮烈になっているようです。力の無い下のコマへの転換も映画のようです。実は主人公は風呂屋に向かっているのですが、「怪奇まんがは体力消耗するからなあ…」などとぼやきながら浴場に入った時に目にした光景は……。
さてこの蜘蛛が何かを象徴しているのは明白で、それが不安・怒り・人間性の喪失・自己の放棄といったようなものを表していることもすぐにわかることでしょう。それがなぜ蜘蛛の形なのか。
そのヒントは作中にありました。一つは「蜘蛛の巣」という逃れられないものの象徴。もう一つは「蜘蛛の子を散らす」という言葉からイメージされる増殖的な連鎖性です。そして日野日出志は、蔓延している現代病こそ蜘蛛であり人々を操っている正体だ、と言いたげです。あなたの背中には蜘蛛がいるでしょうか。あなたの行動はあなたの意思によるものでしょうか。あなたの生活はあなたが望んでいるものでしょうか。そんな疑問を突きつけられるような作品です。
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