ひばりヒットコミックス「ぼくらの先生」および「幻色の孤島」は中身は全く同じ。今回はこれらに収録されている「ぼくらの先生」「おーいナマズくん」を紹介。その他に「かわいい少女」「つめたい汗」「猟人」「人魚」が収録されています。いずれの作品もドロドロのホラー描写は少なく、山村や江戸時代が舞台のややソフトなものが多くなっています。
「ぼくらの先生」の主人公は大仏先生と呼ばれていて、生徒からの人気が非常に高く、とても慕われています。授業は面白く、休み時間は一緒に遊んでくれます。また、とても動物が好きなようで、先生の家にはたくさんの動物が飼われています。
おっちょこちょいな一面もありますし、いたずらされても怒ることはありません。街の中の捨て犬を集めて家で飼ったりするような優しい先生であり、遠足のときなどは蛇に足を噛まれた女子生徒の傷から毒を吸い出すようなこともしています。責任感も強く、自分が病気のときは父親を学校によこして授業をさせます。とにかく生徒全員から大仏先生は好かれているのです。
ところが大仏先生自身は自分が本当に教育者としての資格があるのかと悩んでいます。というのも、先生には恐ろしい秘密があったのです。先生が子供の頃、今と違って病弱でした。ある時、縁側に出てあくびをしていたら偶然に蝶が口の中に飛び込んできました。すると素晴らしい味が口の中に広がったというのです。それからというもの、蝶はもちろん芋虫やネズミ、小鳥まで獲っては食べ、周囲が驚くほど丈夫な体になったのでした。
この作品は最後の2ページ以外は全て独白における回想シーンで、前半は生徒達の、後半は大仏先生の独白という構成になっています。このページの右下のコマは前の画像のコマと同じ場面であり、したがってほとんど同じ絵ですが、コピーは使わずに全て手描きのようです。よく見るといろいろ違っていますが。
大仏先生が動物をたくさん飼っているのは食べるためであり、捨て犬を集めているのも食べるためです。こんなことではいけないと考えて動物を食べるのをやめたところ、一晩で老人のような体になってしまい、やむを得ず大仏先生の父親と称して教壇に立ったこともあります。このように大仏先生はもはや生きた動物を食べなければ生きていけない体になったのです。
そして現在、遠足で蛇の毒を吸い出すと偽って口にした生徒の血の味が忘れられず、その時の女子生徒に声をかけて……、というところで話は終わります。もちろん、この期に及んで傷口から流れる血をなめると言うだけでは先生は満足しないだろうから、連れて行かれた女子生徒は生きたまま……、と想像してしまいますが、そういう描写はされずに読者へと投げられています。
もう一編の「おーいナマズくん」はハートフルでコメディタッチの少年向け漫画。主人公の太郎はここのところ毎日水風呂に入っています。それには秘密があるのでした。
なんと太郎の身体にはナマズが乗り移っていました。それには理由があったのです。太郎が住む村には学校があったのですが、生徒の減少によって廃校となり、町の学校に通学することになりました。ところが太郎の名字は鯰(なまず)といい、それをネタにいじめられていました。
太郎の村には沼があり、そこには大ナマズが生息しているといわれ、村の人々に守り神として祀られていました。このために村には鯰という名字は珍しくないのだそうです。
夏休みに入り、太郎は沼のほとりで愚痴っていると伝説の大ナマズが現れ、情けない太郎を鍛えてやろうと言います。こうして太郎に乗り移ったナマズは夏休みの間ずっと太郎を鍛え、自信を付けさせます。そして迎えた新学期。
いじめっこ達を返り討ちにした太郎はこの日からリア充に転向。スポーツで大活躍し、いじめっこ達とも仲良くなり、女子生徒にモテモテ。そして役目を終えたナマズは沼に帰っていく、というお話。日野日出志作品にはこのようなものが何編かあります。
上記二編では体格や健康に恵まれなかった少年のそれぞれの解決法が描かれています。しかしながら、「ぼくらの先生」では大仏先生が良き教師になりつつも最終的には教え子さえ食料として見てしまった一方、「おーいナマズくん」のナマズは鯰太郎に対して師であり対等な友人でもある、という大きな違いがあります。ナマズも人間も対等な共存関係であると同時に、蝶も芋虫もネズミも人間も等しく食料である、というのが日野日出志作品が持つ視点と言えましょう。
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