妊娠中のこと。
[2005年7月12日(火)]胃が痛い。
先週から胃がおかしかった。
今日は食欲がまったくない。せっかくの外食もだんはんに半分以上食べてもらうことに。
おさしみと焼き魚~食べたいが、胃が拒絶
せっかくの会社のおごりなのに。あまりに食べていないので、まわりの同僚に不審がられた。
いや妊娠とかじゃないよ、胃が痛いのだ。
[2005年7月13日(水)]胃がおかしい上に、口内炎ができ、唇の皮がこれ以上ないぐらい激しくめくれる。
べろーーん。
どうしたのだ、私の身体。
[2005年7月15日(金)]おかしい、きっちりくるはずの生理がこない
[2005年7月16日(土)]まさか?赤ちゃんできた?まさかねえ。
[2005年7月17日(日)]まさか2?赤ちゃんできた?まさかねえ。
[2005年7月18日(月)]まさか3?赤ちゃんできた?まさかねえ。
[2005年7月19日(火)]まさか4?赤ちゃんできた?まさかねえ。
[2005年7月20日(水)]こんだけ期待させといて今日とかにまさか生理こないよね?こんなに気をもむ日々にストレスたまりそう。
もう~赤ちゃんできたでしょ。
チェックしてみよう。
妊娠検査薬どこに売ってたっけ?
帰宅は24時になるなあ。
店しまってるよ。
今日は買えない。
[2005年7月21日(木)]そうだ、ちょっと早めの22時ぐらいに帰って妊娠検査薬をスーパーで探そう。
→発見!早く試したいが、まだ試す時期でない我慢我慢。
合格発表を待つ学生のようで、ストレスたまるーー。
きーー
[2005年7月22日(金)]ああ、胃が痛いん。こんだけ続くとやっぱり胃炎ではない。
試したいが、24時超えるまで我慢。
妊娠検査薬は生理予定日から1週間たたないと検査できないのですよ。
ということで、24時超えたから、試してみよう
→いきおいあまってびしょびしょになった端から、陽性マークでました。妊娠です。
→だんはんをトイレに呼ぶ。あ、この場所で告知って色気ないなあ。現実はドラマみたいにはいかない。
→見てみて!陽性だよ~というと、だんはんは、喜んでくれた。パパよ。
→夜の一時に熟睡しているであろう両家両親に妊娠報告。
おしゅうとめさんは、おたけびをあげて、めちゃ喜んでくれたが、実母は、私が生理が来ていないということを知っていたせいか、冷静だった。
そゆものなのか。
実父はふーーんって言っただけだった。
じじになるのが、いやなのか。
実母から薬は飲むな、働きすぎるなときつく言われる。
[2005年7月23日(土)]早起きして一番のりでタウンページで調べた隣町の産婦人科へ。
あまりの施設の古さにびっくりして、だんなとアイコンタクトでここを出て違う病院に行こうかと相談する。
昭和の香りがぷんぷんする昔の学校みたいな病院だ。
激しく後悔するが、タクシーで来たから、お金がもったいなくって我慢する。
9時openなのに、先生は出勤してこない。
大丈夫なのか、この病院。
我慢して待つ。
ひたすらまたされるし、客は私とだんはんしかいない。
今日は土曜日よ、会社勤めの人は土曜日に診察に来るやろ、なんでこの病院には来ない?選択ミスか。
激しく後悔する。
→9時30分やっと診察してもらえることに。
先生から5週目だけど、赤ちゃんはたぶんこの辺だろうと画面をみて説明してもらう。
まだ早すぎて特定はできないらしい。
この辺を強調される。
先生からだんはんには、たばこをやめるようにと説教してもらう。
なかなかはっきり物を言う先生で好感度大。
2週間後に来るように言われる。
だが、この病院の施設は古いので、次に行くかどうか悩みます。
先生はなかなか良さそうなのに、この古い施設に、よいしょってのぼらないといけない診察台。
診察台は「ういーーん」って自動で動くのがふつうじゃないのか。
歯医者さんだって、自動でいすが動くところがほとんだよ!と心でつっこみを入れてみる。
これは、もうかってなくって建て替えできないのか、それともアンティークを愛してやまないのかどちらかだ。
このあと、さっきの病院で子宮のがん検診をしてもらったかわからず、別の大病院に行ってがん検診をしてもらった。妊娠してるときには必ずチェックするらしい。
[2005年7月5週目あたり]つわりとの闘い。
いわゆる「食べつわり」というやつで、私の場合、口に食べ物が入っていないと吐いてしまう症状。
甘いものは苦手なのに、長持ちするアメちゃんとかを食べ続けないと仕事ができない状態に。
胃はあいかわらず、激しく痛いし、苦しい。「助けてください」と1秒おきに考えてしまう。
だんはんには、始終このつらさを訴えていた。
仕事は13時間労働。。。
13時間アメ、ガム、チョコ、干し梅、酢こんぶを食べ続けている。
こんだけ食べれば食欲はないよな。。。
帰宅はだんはんと一緒で安心なのだが、休み休み歩かないと歩けない。
やっと自宅についたとたんにトイレで吐く。
船酔い状態のつわりが毎日毎日続く。
ご飯はちょこっとしか食べれない。
だんはんに胃に優しい食べ物を毎日作ってもらう。
直立不動すると吐き気と胃の痛みとで耐えられない。横にならないとつらい。
でも、仕事は続く。。。忙しい仕事なのだ。納期はお盆。追い込みは続く。
はまってるもの
◎無印良品の種無し干しうめ→辛いものがすき~。
◎チョコレーズン→鉄分補給のため。
◎高野優のワンダホ母子手帳
◎高野優のハイパー母子手帳
◎高野優のマジカル母子手帳
◎高野優のスパーク母子手帳
◎高野優「ニンプの玉手箱」
◎井上きみどり「子供なんて大キライ!」
[2005年8月8日(月)]2週間後にあたる先週の土曜日に行くはずだった古い施設の病院に会社を午前半休して行く。
前回は5週目なので早すぎて赤ちゃんが特定できなかったので、その確認に行くのだ。
もう8週目に入ったから、赤ちゃん確認できるよ♪とうきうき行ったが、待合室は暑くて、つわりはきつくて、貧血になってしまった。
冷や汗だらだらになりながら、トイレで吐く。
あまりにもつらいが誰も助けてくれないので自力で、看護師さんに横になれる場所を尋ね、案内してもらう。
産婦人科は1時間待ちは当たり前と思わないといけないぐらい待たされるのだ。
横になってすぐに診察台に呼ばれる。
なんじゃそりゃ。
機械でみてもらうが、赤ちゃんが4週目の大きさしかないと宣言されてしまった。
すごいショック。赤ちゃんの袋しか見えないのだ。
赤ちゃんが見えない。。。からっぽだ。
からっぽ。
あかちゃんがいる袋に黒い闇がぽっかりひろがっている。
先生は、機械が平面しかみれないから、見れないだけかもしれないとなぐさめてくれるが、自分では流産の可能性が高いとわかる。。。
あと1週間後に来てくれと言われる。
もう安静にしないといけないと悟る。
午後出社しようと思ったが、仕事を休んだ。
もう赤ちゃんのことだけ考えよう。。。
自宅で安静にしていたが、今日だけ休んでも明日から仕事は無理だと思ったから、1週間の休みをだんはんを通して、願い出た。
電話で長く話せないぐらい身体がひどい状態だ。
よく病院から一人で帰ってこれたものだ。
納期1週間前に仕事から離脱してしまうので、同じプロジェクトの人ごめんと激しく後悔した。
とてもきつい仕事だったのに、私まで抜けてしまって申し訳ない。
でも、もう仕事はできない状態だからとあきらめる。
自分の身体を大事にしよう。
そこでこの問題はおいておいて、別のことを考えようと思った。
とたんに、赤ちゃんの発育状態が激しく気になった。
そうだ、別の病院で見てもらおう。
会社の同僚にきいた病院に行ってみよう!
そう思ったら、少し元気が出てタウンページで電話番号と住所を調べた。
明日タクシーで行こう!もしかしたら、古い施設の病院の超音波の機械より、良い機械で見てもらったら、赤ちゃんの状態がもっとよくわかるかもしれない。
[2005年8月9日(火)]以前ネットでもチェックしていたが、よかった普通の病院だった。中をみてほっとする。
同僚の紹介の病院だし、安心だ。
超音波の機械も前の病院よりグレードアップしていて安心安心。
だが、やはり赤ちゃんは発育していないと宣言される。
あと1週間後に来て、育っていなかったら、手術だと言われる。
2件目も同じ診断だから間違いない。
流産の手術内容について質問するが今は何も考えずに安静にしていてくださいと言われてた。
もう可能性がないのだとわかった。自分でも赤ちゃんはダメだと画面を見てわかった。
育っていない赤ちゃんのことを思うと涙が出てきて、看護師さんがすばやくティッシュをくれた。
はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月11日(木)]だんはんが、大風邪38度の熱で会社を休んだ。熱を押して私の介護をしてくれた。
世話をしてもらったけど、風邪はうつりたくないので、別の部屋に寝てもらった。
だって、つわりがつらい上に風邪までもらったら、ますますしんどいんだもん。
はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月12日(金)]だんはんは風邪で苦しそうだ。げほげほしてる。でも、ご飯も面倒もみてもらった。つわりはつらい。何もできない。
はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月13日(土)]だんはんはちょっと復活してきた。うれしい。
[2005年8月14日(日)]だんはんはちょっと復活してきた。明日会社いける?
[2005年8月15日(月)]だんはんはまたぶりかえした。だめじゃん。病院に行ってもらった。
暴れん坊将軍のかわりに銭形平次をやっていた。
ショック。
楽しみは暴れん坊将軍しかないのにぃーー。
高島礼子がお庭番なのよ!すてき。
[2005年8月16日(火)]
だんはん復活。
私は病院へ行った。
そして、先生は、けい留流産だと紙に書いてくれた。
手術の注意事項の紙もくれた。
手術費用も手術日も教えてくれた。
先生は赤ちゃんが先週の状態でも1週間たったら、9割は発育するんだけどね。
と教えてくれた。
私の赤ちゃんは1割のほうだった。流産は10人に1人の確率なのだ。
病院は明日から休みなので、出血に気をつけるよう注意された。
少しぐらいの出血はOKらしい。
診察室を出るとき、先生は写真持って帰る?と聞いてくれた。
私はどんな状態でもいいから赤ちゃんの写真がほしかったので、ありがたくもらった。
先生は気の毒そうな顔をしてくれた。
施設も問題ないし、自宅にも近いし、麻酔科もあるし、この病院で手術をしようと決めた。泣いていても冷静に考えてしまう。
やはり自分のことは自分で考えないといけない。
誰も助けてくれないのだ。
誰も受精卵を正常な状態には戻してくれない。
やっぱり赤ちゃんダメみたいと、泣きながら、だんはんと両家両親に報告した。
妊娠を喜んでくれていた親戚や友達や親友にも、気を使ってもらわないように、”残念だけど、次頑張るから心配ない”という内容のメールで連絡した。
[2005年8月19日(金)]朝おきると身体がだるい。風邪うつったか、お腹もこわした。寝たきり生活。
はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月20日(土)]だんはんとお昼ねしたりして、安静にしてた。
流産のこと。
[2005年8月21日(日)]
夕方に恐れていた出血が。
少量なので、安静に横になってたが、次にトイレに行ったときに生理のような出血になった。なんかびろーーんと出てきた。
流産か!かなりまずいと思った私は、手術日の24日(水)まではとても待てないだろうとすごい勢いで考えて、だんはんに病院に電話してもらって事情まで説明してもらった。
病院の先生は「すぐに来てください」ということだったので、だんはんは「30分以内に行きます」と言った。
私はもしかして、入院するかもしれないと思い、生理用品やらタオルやらを準備をした。
「足りないものがあったら、また取りにきてあげるし、時間がないからもう行こう!」という頼もしいだんはんに促されて、外へ出た。
こういうときに限って、タクシーはつかまらないものだ。
お腹が痛いので、立って待つのはかなりつらかった。
東京のタクシーは道を知らない。まじで知らない。
かなり遠回りされたあげく、頭にきて病院がある商店街の手前で降りた。
自力で病院まで歩くことになったが、まだ2回しかきたことないので、道がわからず、だんはんにあきれられた。
前に行った時も、家の前の掃除をしていた親切なおばさまに道を尋ねて、大変だからと病院の前まで連れて行ってもらったのだ。
今回もかなり大回りして、お弁当屋さんで道を聞いてやっとたどりつけた。。。
病院に着いて診察してもらったところ、超音波の機械には、なすの形をした赤ちゃんの袋がうつっていた。
先生は、子宮が圧迫していて、なすの頭の部分がでかかっていると説明してもらった。
やっぱり自然に流産しかかってる!来てよかった!と早い判断で病院にきたことに対して自分で自分をほめた。
先生は、次に妊娠する前に飲んだほうがいい薬の説明をしてくれた。
◎葉酸→神経系にきく。薬局で買えます
◎当帰しゃくやく散→漢方薬。病院で買えます
それからが大変だった。
昼ご飯が遅かったので、麻酔がかけられる時間まで待たないといけない。
胃が空っぽでないと、吐いたときに器官につまるそうなのだ。
病院で借りた穴があいているぼろのネグリジェを着た後、ますますお腹はいたくなってきた。
盲腸付近にくぎが5本ぐらい入って刺してるみたいな痛さだ。
看護師さんがきて、そろそろトイレいっときましょうか?と言ったので、ふらふらしながら、トイレへ。血の塊が、3個ぐらい出た。まずい!!!
いそいで戻ってきて、ベットに横になった。
やばいのだ、直立するともう流れててしまう。
横に横になっとけば、まだまし。
しばらく横になった後、看護師さんが呼びにきてくれた。
手術室まで歩ける?と言われたが、どばーーーっと何か出てきた。
下着ぬげる?と聞かれたが、どばーーと大量に出血したので、見るのが怖くて、手術台の上で看護師さんにぬがせてもらった。
甘えんぼですまない。かなり何かが出たと思う。
先生がふたり来て、ひとりが、点滴を打ってくれた。
その先生に、手術はどのくらいかかるかきいたところ、5~6分だと言われた。
そ、そんなに短いんだ~と感心した。
外で心配しているだんはんもそれなら待てるね。と思った。
その後、「冷たいの入れるよ~」と2本目の何かを点滴した。
「照明見てください~どうですか?」と聞かれたので、「ぼやーーっとしてきました」と答えた。
ああ、これが、麻酔なんだなーーと思った後は、記憶がない。
すごい早い効き具合にびっくりだった。麻酔ってマスクから吸うやつだと思っていたのに。
目がさめる直前に夢をみていた。
ウィンドウズのスクリーンセイバーの中にあるレンガの迷路みたいな夢だ。
走馬灯のように画像が過ぎ去っていく夢だった。
麻酔でみる夢はこんな夢なのか。
誰かに聞いてみたい。
だんはんが一生懸命私に呼びかけてくれていて目がさめた。
うーーん、この部屋は手術室と違うなー。
眠い~もう一回寝ようかな~もう一度見てみよう~やっぱり違う部屋だ~入院した部屋とも違うからそっちの部屋に移動しないといけないな~うーーんでも眠いな~寝てもいいかな~と繰り返し考えていると、だんはんが何か質問してきた。
がんばって「眠い~」と答えたが、やっぱりここで寝たら、だんはんも私の麻酔がさめるまで立ってなくっちゃいけないので、いすがある入院してる部屋に戻るほうがいいな~と考えて、やっぱり「起きる~」と言った。
だんはんは「自分で起きれるか?」と聞いてきたけど、私は身体に力が入らないような気がしたので、だんはんに甘えて、お姫様だっこで部屋まで連れて行ってもらった。でかい旦那はいいね!と妙に感心した。嫁をいざというときにだっこできるって
良い旦那さんをもらいましたよ。
部屋に戻ってから、面会時間の9時をすぎていたので、朝食を買ってきてもらう約束をしてだんはんには、帰ってもらった。
それからが、またつらかった。
全く寝れない。ひますぎる。
先生が帰り間際だろうか、私服で現れて、薬を2個くれた。私はなんの薬か質問しようと思ったが、聞く気力もなく言われるまま飲んだ。
その後がたいへんだった。
トイレ行こうと考えて、用心しながら歩いてトイレをした後、とたんに気持ちが悪くなって、なんと洗面台に吐いてしまった。
看護師さんは慌てて飛んできてくれて、背中をさすってくれた。
お昼ご飯を食べて10時間ぐらい経っていたのに、昼ご飯が少し出てきた。横になってばっかりだったから消化してなかったみたい。
しかも、今日は大好きな食べ物だったので、ばくばく食べたのだ。
食いしん坊がうらめしい。もう、あんなにたべなきゃよかったと激しく後悔。
看護師さんは「麻酔の影響でしょう」とやさしくしてくれた。
私は、先生がくれたあの薬だと思います。と思ったが、言わなかった。
あとで、部屋で、消化してなかった昼ご飯が麻酔中に器官やら肺やらに入らなくってよかったとため息をついた。。。
洗面台は掃除もせずにそのまま部屋へ帰ってしまった。
そんな体力もなかった。
[2005年8月22日(月)]
薬の影響か朝まで寝れず、ひまなので、親友二人にメールした。
入院したよーーって。流産の報告も。
夜勤明けで帰る昨日の優しい看護師さんに、洗面台をきれいに掃除してもらっていたのでお礼を言った。本当に申し訳ない。
8時半にだんはんが、サンドイッチとおにぎりを持ってきてくれた。前の日に先生が朝食は買ってきてもらうといいと診療中に言ってくれたからだ。
ふたりで仲良く分け合って食べた。
朝食後にすぐに診察という話だった。
しかし10時半になってもまだ診察に呼ばれない。
あまりにもひまなので、最近はまっていた暴れん坊将軍をふたりで見ていた。
ラスト10分の良い所で呼ばれてしまい、診察室に入ろうとしたところ、まだ前に患者さんがいて、看護師さんの控え室に連れて行かれてしまった。
そこで20分ぐらいすごすことに。あーーーあとラスト10分余裕でみれたのにぃ~とくやしがった。
診察してもらったところ、子宮はきれいだし、次の妊娠は問題ないよ、退院していいよ。と太鼓判をもらった。
看護師さんは、「昼食を頼んどいたから、食べていってね!」と言ってくれたので、また部屋に戻ってありがたくいただいた。
サンドイッチとシーフードシチューとサラダと牛乳。おいしくってだんはんと仲良く半分こした。
着替えて入院費を精算したところ、2万1千円強。
先日聞いていた費用2万5千円より安かった。日曜日だったし、昼食出たしで3万ぐらい行くかと思っていたから、家計が助かった。
帰りは、電車で帰り、駅からゆっくりゆっくり歩いてかえった。つわりはもうない。ただ、妊婦時期のなごりで、早く歩けない。おなかを抱きかかえるようにして帰宅した。
[2005年8月23日(火)]
水で薄めたような出血がある。心配だ。安静にしてる。
やっぱりあの病院でもらった薬を飲んだ後は、吐き気がして気持ち悪いよ。
[2005年8月24日(水)]
水で薄めたような出血がある。心配だ。安静にしてる。ひまひま。
病院に電話をかけて、なんの薬だったか、きく。
抗生物質化膿止めらしい。詳しくきいたがもう忘れた。
[2005年8月25日(木)]
水で薄めたような出血がある。心配だ~。やっぱり心配。明日病院行く決意をする。
[2005年8月26日(金)]
経過をみてもらうため、病院へ。
妊婦さんがいっぱいで、ほほえましい。あの人達の赤ちゃんは正常に育っているのだ。
ママ友とかは病院で見つけると妊娠の本には書いてあった。
この病院の患者は年齢がさまざまでしかも、イスも少なく、狭くてすわりにくく、そんな和気あいあいと話をする雰囲気ではない。
それに今の私には話しかけないでほしい気持ちでいっぱいで1時間半待っていた。聞かれて正直に流産と答えてもしょうがないしね。
もう病院はどこも待つね。それにしても、窓口の会話も診察室からの会話も聞こうと思ったら、聞こえてしまう。
この病院の環境も改善してほしい。
見せる下着をはいていてパンツがずりおちそうな格好の女の子は、窓口で「かゆくって~」と症状を話していた。かわいそうに。。。
[2005年8月27日(土)]
昨日の診察でまたまた太鼓判を押された私は、ついに念願の寿司を食べに連れて行ってもらった。
だんはんに元気になったら、回るお寿司連れて行って~とお願いしてたのだ。
その後、本屋にも連れて行ってもらった。
その本屋で買ってはまったもの
◎黒鷺死体宅配便3.4.5巻
本屋を3軒はしごしたが、1.2巻はどこにもない。
[2005年8月31日(水)]
ずっと悩んでいたブログをはじめた。
あきっぽい私に続くのやら。わからん。
妊娠→流産の話。自分の体験だけど、私と同じように”けい留流産”とはなんぞや?とネットで一生懸命調べている人の情報になるといいねと思う。
人生いろいろだしね。
明日から、仕事に復帰します。長いーー夏休みだったなあ。
もつべきものは、愛すべき夫
と両親、友人だな。
励ましてくれてありがとうございました。
悩んでるときには、ネットで調べることと、誰かに話すことに限るね。
やっぱりひとりでは生きていけないのだ。

昔の流産した人はどうしていたのだろう。
それが気になる。
[2005年7月12日(火)]胃が痛い。
先週から胃がおかしかった。
今日は食欲がまったくない。せっかくの外食もだんはんに半分以上食べてもらうことに。
おさしみと焼き魚~食べたいが、胃が拒絶

いや妊娠とかじゃないよ、胃が痛いのだ。

[2005年7月13日(水)]胃がおかしい上に、口内炎ができ、唇の皮がこれ以上ないぐらい激しくめくれる。
べろーーん。
どうしたのだ、私の身体。

[2005年7月15日(金)]おかしい、きっちりくるはずの生理がこない

[2005年7月16日(土)]まさか?赤ちゃんできた?まさかねえ。

[2005年7月17日(日)]まさか2?赤ちゃんできた?まさかねえ。

[2005年7月18日(月)]まさか3?赤ちゃんできた?まさかねえ。

[2005年7月19日(火)]まさか4?赤ちゃんできた?まさかねえ。

[2005年7月20日(水)]こんだけ期待させといて今日とかにまさか生理こないよね?こんなに気をもむ日々にストレスたまりそう。
もう~赤ちゃんできたでしょ。
チェックしてみよう。
妊娠検査薬どこに売ってたっけ?
帰宅は24時になるなあ。
店しまってるよ。
今日は買えない。

[2005年7月21日(木)]そうだ、ちょっと早めの22時ぐらいに帰って妊娠検査薬をスーパーで探そう。
→発見!早く試したいが、まだ試す時期でない我慢我慢。
合格発表を待つ学生のようで、ストレスたまるーー。
きーー

[2005年7月22日(金)]ああ、胃が痛いん。こんだけ続くとやっぱり胃炎ではない。
試したいが、24時超えるまで我慢。
妊娠検査薬は生理予定日から1週間たたないと検査できないのですよ。
ということで、24時超えたから、試してみよう
→いきおいあまってびしょびしょになった端から、陽性マークでました。妊娠です。
→だんはんをトイレに呼ぶ。あ、この場所で告知って色気ないなあ。現実はドラマみたいにはいかない。
→見てみて!陽性だよ~というと、だんはんは、喜んでくれた。パパよ。

→夜の一時に熟睡しているであろう両家両親に妊娠報告。
おしゅうとめさんは、おたけびをあげて、めちゃ喜んでくれたが、実母は、私が生理が来ていないということを知っていたせいか、冷静だった。
そゆものなのか。
実父はふーーんって言っただけだった。
じじになるのが、いやなのか。
実母から薬は飲むな、働きすぎるなときつく言われる。

[2005年7月23日(土)]早起きして一番のりでタウンページで調べた隣町の産婦人科へ。
あまりの施設の古さにびっくりして、だんなとアイコンタクトでここを出て違う病院に行こうかと相談する。
昭和の香りがぷんぷんする昔の学校みたいな病院だ。
激しく後悔するが、タクシーで来たから、お金がもったいなくって我慢する。
9時openなのに、先生は出勤してこない。

大丈夫なのか、この病院。
我慢して待つ。
ひたすらまたされるし、客は私とだんはんしかいない。
今日は土曜日よ、会社勤めの人は土曜日に診察に来るやろ、なんでこの病院には来ない?選択ミスか。
激しく後悔する。

→9時30分やっと診察してもらえることに。
先生から5週目だけど、赤ちゃんはたぶんこの辺だろうと画面をみて説明してもらう。
まだ早すぎて特定はできないらしい。
この辺を強調される。
先生からだんはんには、たばこをやめるようにと説教してもらう。
なかなかはっきり物を言う先生で好感度大。
2週間後に来るように言われる。
だが、この病院の施設は古いので、次に行くかどうか悩みます。
先生はなかなか良さそうなのに、この古い施設に、よいしょってのぼらないといけない診察台。
診察台は「ういーーん」って自動で動くのがふつうじゃないのか。
歯医者さんだって、自動でいすが動くところがほとんだよ!と心でつっこみを入れてみる。

これは、もうかってなくって建て替えできないのか、それともアンティークを愛してやまないのかどちらかだ。
このあと、さっきの病院で子宮のがん検診をしてもらったかわからず、別の大病院に行ってがん検診をしてもらった。妊娠してるときには必ずチェックするらしい。
[2005年7月5週目あたり]つわりとの闘い。
いわゆる「食べつわり」というやつで、私の場合、口に食べ物が入っていないと吐いてしまう症状。
甘いものは苦手なのに、長持ちするアメちゃんとかを食べ続けないと仕事ができない状態に。
胃はあいかわらず、激しく痛いし、苦しい。「助けてください」と1秒おきに考えてしまう。
だんはんには、始終このつらさを訴えていた。
仕事は13時間労働。。。
13時間アメ、ガム、チョコ、干し梅、酢こんぶを食べ続けている。
こんだけ食べれば食欲はないよな。。。
帰宅はだんはんと一緒で安心なのだが、休み休み歩かないと歩けない。
やっと自宅についたとたんにトイレで吐く。

船酔い状態のつわりが毎日毎日続く。
ご飯はちょこっとしか食べれない。
だんはんに胃に優しい食べ物を毎日作ってもらう。
直立不動すると吐き気と胃の痛みとで耐えられない。横にならないとつらい。
でも、仕事は続く。。。忙しい仕事なのだ。納期はお盆。追い込みは続く。

はまってるもの
◎無印良品の種無し干しうめ→辛いものがすき~。
◎チョコレーズン→鉄分補給のため。
◎高野優のワンダホ母子手帳
◎高野優のハイパー母子手帳
◎高野優のマジカル母子手帳
◎高野優のスパーク母子手帳
◎高野優「ニンプの玉手箱」
◎井上きみどり「子供なんて大キライ!」
[2005年8月8日(月)]2週間後にあたる先週の土曜日に行くはずだった古い施設の病院に会社を午前半休して行く。
前回は5週目なので早すぎて赤ちゃんが特定できなかったので、その確認に行くのだ。
もう8週目に入ったから、赤ちゃん確認できるよ♪とうきうき行ったが、待合室は暑くて、つわりはきつくて、貧血になってしまった。
冷や汗だらだらになりながら、トイレで吐く。

あまりにもつらいが誰も助けてくれないので自力で、看護師さんに横になれる場所を尋ね、案内してもらう。
産婦人科は1時間待ちは当たり前と思わないといけないぐらい待たされるのだ。
横になってすぐに診察台に呼ばれる。
なんじゃそりゃ。
機械でみてもらうが、赤ちゃんが4週目の大きさしかないと宣言されてしまった。
すごいショック。赤ちゃんの袋しか見えないのだ。
赤ちゃんが見えない。。。からっぽだ。
からっぽ。
あかちゃんがいる袋に黒い闇がぽっかりひろがっている。
先生は、機械が平面しかみれないから、見れないだけかもしれないとなぐさめてくれるが、自分では流産の可能性が高いとわかる。。。
あと1週間後に来てくれと言われる。
もう安静にしないといけないと悟る。
午後出社しようと思ったが、仕事を休んだ。
もう赤ちゃんのことだけ考えよう。。。

自宅で安静にしていたが、今日だけ休んでも明日から仕事は無理だと思ったから、1週間の休みをだんはんを通して、願い出た。
電話で長く話せないぐらい身体がひどい状態だ。
よく病院から一人で帰ってこれたものだ。
納期1週間前に仕事から離脱してしまうので、同じプロジェクトの人ごめんと激しく後悔した。
とてもきつい仕事だったのに、私まで抜けてしまって申し訳ない。
でも、もう仕事はできない状態だからとあきらめる。
自分の身体を大事にしよう。
そこでこの問題はおいておいて、別のことを考えようと思った。
とたんに、赤ちゃんの発育状態が激しく気になった。
そうだ、別の病院で見てもらおう。
会社の同僚にきいた病院に行ってみよう!
そう思ったら、少し元気が出てタウンページで電話番号と住所を調べた。
明日タクシーで行こう!もしかしたら、古い施設の病院の超音波の機械より、良い機械で見てもらったら、赤ちゃんの状態がもっとよくわかるかもしれない。
[2005年8月9日(火)]以前ネットでもチェックしていたが、よかった普通の病院だった。中をみてほっとする。
同僚の紹介の病院だし、安心だ。
超音波の機械も前の病院よりグレードアップしていて安心安心。
だが、やはり赤ちゃんは発育していないと宣言される。
あと1週間後に来て、育っていなかったら、手術だと言われる。
2件目も同じ診断だから間違いない。
流産の手術内容について質問するが今は何も考えずに安静にしていてくださいと言われてた。
もう可能性がないのだとわかった。自分でも赤ちゃんはダメだと画面を見てわかった。
育っていない赤ちゃんのことを思うと涙が出てきて、看護師さんがすばやくティッシュをくれた。

はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月11日(木)]だんはんが、大風邪38度の熱で会社を休んだ。熱を押して私の介護をしてくれた。
世話をしてもらったけど、風邪はうつりたくないので、別の部屋に寝てもらった。
だって、つわりがつらい上に風邪までもらったら、ますますしんどいんだもん。
はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月12日(金)]だんはんは風邪で苦しそうだ。げほげほしてる。でも、ご飯も面倒もみてもらった。つわりはつらい。何もできない。
はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月13日(土)]だんはんはちょっと復活してきた。うれしい。
[2005年8月14日(日)]だんはんはちょっと復活してきた。明日会社いける?
[2005年8月15日(月)]だんはんはまたぶりかえした。だめじゃん。病院に行ってもらった。
暴れん坊将軍のかわりに銭形平次をやっていた。
ショック。
楽しみは暴れん坊将軍しかないのにぃーー。
高島礼子がお庭番なのよ!すてき。
[2005年8月16日(火)]
だんはん復活。
私は病院へ行った。
そして、先生は、けい留流産だと紙に書いてくれた。
手術の注意事項の紙もくれた。
手術費用も手術日も教えてくれた。
先生は赤ちゃんが先週の状態でも1週間たったら、9割は発育するんだけどね。
と教えてくれた。
私の赤ちゃんは1割のほうだった。流産は10人に1人の確率なのだ。
病院は明日から休みなので、出血に気をつけるよう注意された。
少しぐらいの出血はOKらしい。
診察室を出るとき、先生は写真持って帰る?と聞いてくれた。
私はどんな状態でもいいから赤ちゃんの写真がほしかったので、ありがたくもらった。
先生は気の毒そうな顔をしてくれた。

施設も問題ないし、自宅にも近いし、麻酔科もあるし、この病院で手術をしようと決めた。泣いていても冷静に考えてしまう。
やはり自分のことは自分で考えないといけない。
誰も助けてくれないのだ。
誰も受精卵を正常な状態には戻してくれない。
やっぱり赤ちゃんダメみたいと、泣きながら、だんはんと両家両親に報告した。

妊娠を喜んでくれていた親戚や友達や親友にも、気を使ってもらわないように、”残念だけど、次頑張るから心配ない”という内容のメールで連絡した。
[2005年8月19日(金)]朝おきると身体がだるい。風邪うつったか、お腹もこわした。寝たきり生活。
はまってるもの
◎暴れん坊将軍3
[2005年8月20日(土)]だんはんとお昼ねしたりして、安静にしてた。
流産のこと。
[2005年8月21日(日)]
夕方に恐れていた出血が。

少量なので、安静に横になってたが、次にトイレに行ったときに生理のような出血になった。なんかびろーーんと出てきた。
流産か!かなりまずいと思った私は、手術日の24日(水)まではとても待てないだろうとすごい勢いで考えて、だんはんに病院に電話してもらって事情まで説明してもらった。
病院の先生は「すぐに来てください」ということだったので、だんはんは「30分以内に行きます」と言った。
私はもしかして、入院するかもしれないと思い、生理用品やらタオルやらを準備をした。
「足りないものがあったら、また取りにきてあげるし、時間がないからもう行こう!」という頼もしいだんはんに促されて、外へ出た。
こういうときに限って、タクシーはつかまらないものだ。
お腹が痛いので、立って待つのはかなりつらかった。
東京のタクシーは道を知らない。まじで知らない。
かなり遠回りされたあげく、頭にきて病院がある商店街の手前で降りた。
自力で病院まで歩くことになったが、まだ2回しかきたことないので、道がわからず、だんはんにあきれられた。
前に行った時も、家の前の掃除をしていた親切なおばさまに道を尋ねて、大変だからと病院の前まで連れて行ってもらったのだ。
今回もかなり大回りして、お弁当屋さんで道を聞いてやっとたどりつけた。。。
病院に着いて診察してもらったところ、超音波の機械には、なすの形をした赤ちゃんの袋がうつっていた。
先生は、子宮が圧迫していて、なすの頭の部分がでかかっていると説明してもらった。
やっぱり自然に流産しかかってる!来てよかった!と早い判断で病院にきたことに対して自分で自分をほめた。
先生は、次に妊娠する前に飲んだほうがいい薬の説明をしてくれた。
◎葉酸→神経系にきく。薬局で買えます
◎当帰しゃくやく散→漢方薬。病院で買えます
それからが大変だった。
昼ご飯が遅かったので、麻酔がかけられる時間まで待たないといけない。
胃が空っぽでないと、吐いたときに器官につまるそうなのだ。
病院で借りた穴があいているぼろのネグリジェを着た後、ますますお腹はいたくなってきた。
盲腸付近にくぎが5本ぐらい入って刺してるみたいな痛さだ。
看護師さんがきて、そろそろトイレいっときましょうか?と言ったので、ふらふらしながら、トイレへ。血の塊が、3個ぐらい出た。まずい!!!
いそいで戻ってきて、ベットに横になった。
やばいのだ、直立するともう流れててしまう。
横に横になっとけば、まだまし。
しばらく横になった後、看護師さんが呼びにきてくれた。
手術室まで歩ける?と言われたが、どばーーーっと何か出てきた。
下着ぬげる?と聞かれたが、どばーーと大量に出血したので、見るのが怖くて、手術台の上で看護師さんにぬがせてもらった。
甘えんぼですまない。かなり何かが出たと思う。
先生がふたり来て、ひとりが、点滴を打ってくれた。
その先生に、手術はどのくらいかかるかきいたところ、5~6分だと言われた。
そ、そんなに短いんだ~と感心した。
外で心配しているだんはんもそれなら待てるね。と思った。
その後、「冷たいの入れるよ~」と2本目の何かを点滴した。
「照明見てください~どうですか?」と聞かれたので、「ぼやーーっとしてきました」と答えた。
ああ、これが、麻酔なんだなーーと思った後は、記憶がない。
すごい早い効き具合にびっくりだった。麻酔ってマスクから吸うやつだと思っていたのに。
目がさめる直前に夢をみていた。
ウィンドウズのスクリーンセイバーの中にあるレンガの迷路みたいな夢だ。
走馬灯のように画像が過ぎ去っていく夢だった。
麻酔でみる夢はこんな夢なのか。
誰かに聞いてみたい。
だんはんが一生懸命私に呼びかけてくれていて目がさめた。
うーーん、この部屋は手術室と違うなー。
眠い~もう一回寝ようかな~もう一度見てみよう~やっぱり違う部屋だ~入院した部屋とも違うからそっちの部屋に移動しないといけないな~うーーんでも眠いな~寝てもいいかな~と繰り返し考えていると、だんはんが何か質問してきた。
がんばって「眠い~」と答えたが、やっぱりここで寝たら、だんはんも私の麻酔がさめるまで立ってなくっちゃいけないので、いすがある入院してる部屋に戻るほうがいいな~と考えて、やっぱり「起きる~」と言った。
だんはんは「自分で起きれるか?」と聞いてきたけど、私は身体に力が入らないような気がしたので、だんはんに甘えて、お姫様だっこで部屋まで連れて行ってもらった。でかい旦那はいいね!と妙に感心した。嫁をいざというときにだっこできるって
良い旦那さんをもらいましたよ。

部屋に戻ってから、面会時間の9時をすぎていたので、朝食を買ってきてもらう約束をしてだんはんには、帰ってもらった。
それからが、またつらかった。

全く寝れない。ひますぎる。
先生が帰り間際だろうか、私服で現れて、薬を2個くれた。私はなんの薬か質問しようと思ったが、聞く気力もなく言われるまま飲んだ。
その後がたいへんだった。
トイレ行こうと考えて、用心しながら歩いてトイレをした後、とたんに気持ちが悪くなって、なんと洗面台に吐いてしまった。

看護師さんは慌てて飛んできてくれて、背中をさすってくれた。
お昼ご飯を食べて10時間ぐらい経っていたのに、昼ご飯が少し出てきた。横になってばっかりだったから消化してなかったみたい。
しかも、今日は大好きな食べ物だったので、ばくばく食べたのだ。
食いしん坊がうらめしい。もう、あんなにたべなきゃよかったと激しく後悔。

看護師さんは「麻酔の影響でしょう」とやさしくしてくれた。
私は、先生がくれたあの薬だと思います。と思ったが、言わなかった。
あとで、部屋で、消化してなかった昼ご飯が麻酔中に器官やら肺やらに入らなくってよかったとため息をついた。。。
洗面台は掃除もせずにそのまま部屋へ帰ってしまった。
そんな体力もなかった。
[2005年8月22日(月)]
薬の影響か朝まで寝れず、ひまなので、親友二人にメールした。
入院したよーーって。流産の報告も。
夜勤明けで帰る昨日の優しい看護師さんに、洗面台をきれいに掃除してもらっていたのでお礼を言った。本当に申し訳ない。

8時半にだんはんが、サンドイッチとおにぎりを持ってきてくれた。前の日に先生が朝食は買ってきてもらうといいと診療中に言ってくれたからだ。
ふたりで仲良く分け合って食べた。
朝食後にすぐに診察という話だった。
しかし10時半になってもまだ診察に呼ばれない。
あまりにもひまなので、最近はまっていた暴れん坊将軍をふたりで見ていた。
ラスト10分の良い所で呼ばれてしまい、診察室に入ろうとしたところ、まだ前に患者さんがいて、看護師さんの控え室に連れて行かれてしまった。
そこで20分ぐらいすごすことに。あーーーあとラスト10分余裕でみれたのにぃ~とくやしがった。

診察してもらったところ、子宮はきれいだし、次の妊娠は問題ないよ、退院していいよ。と太鼓判をもらった。
看護師さんは、「昼食を頼んどいたから、食べていってね!」と言ってくれたので、また部屋に戻ってありがたくいただいた。
サンドイッチとシーフードシチューとサラダと牛乳。おいしくってだんはんと仲良く半分こした。
着替えて入院費を精算したところ、2万1千円強。
先日聞いていた費用2万5千円より安かった。日曜日だったし、昼食出たしで3万ぐらい行くかと思っていたから、家計が助かった。
帰りは、電車で帰り、駅からゆっくりゆっくり歩いてかえった。つわりはもうない。ただ、妊婦時期のなごりで、早く歩けない。おなかを抱きかかえるようにして帰宅した。
[2005年8月23日(火)]
水で薄めたような出血がある。心配だ。安静にしてる。

やっぱりあの病院でもらった薬を飲んだ後は、吐き気がして気持ち悪いよ。
[2005年8月24日(水)]
水で薄めたような出血がある。心配だ。安静にしてる。ひまひま。

病院に電話をかけて、なんの薬だったか、きく。
抗生物質化膿止めらしい。詳しくきいたがもう忘れた。
[2005年8月25日(木)]
水で薄めたような出血がある。心配だ~。やっぱり心配。明日病院行く決意をする。
[2005年8月26日(金)]
経過をみてもらうため、病院へ。
妊婦さんがいっぱいで、ほほえましい。あの人達の赤ちゃんは正常に育っているのだ。
ママ友とかは病院で見つけると妊娠の本には書いてあった。
この病院の患者は年齢がさまざまでしかも、イスも少なく、狭くてすわりにくく、そんな和気あいあいと話をする雰囲気ではない。
それに今の私には話しかけないでほしい気持ちでいっぱいで1時間半待っていた。聞かれて正直に流産と答えてもしょうがないしね。

もう病院はどこも待つね。それにしても、窓口の会話も診察室からの会話も聞こうと思ったら、聞こえてしまう。
この病院の環境も改善してほしい。
見せる下着をはいていてパンツがずりおちそうな格好の女の子は、窓口で「かゆくって~」と症状を話していた。かわいそうに。。。

[2005年8月27日(土)]
昨日の診察でまたまた太鼓判を押された私は、ついに念願の寿司を食べに連れて行ってもらった。

だんはんに元気になったら、回るお寿司連れて行って~とお願いしてたのだ。
その後、本屋にも連れて行ってもらった。
その本屋で買ってはまったもの
◎黒鷺死体宅配便3.4.5巻
本屋を3軒はしごしたが、1.2巻はどこにもない。
[2005年8月31日(水)]
ずっと悩んでいたブログをはじめた。
あきっぽい私に続くのやら。わからん。
妊娠→流産の話。自分の体験だけど、私と同じように”けい留流産”とはなんぞや?とネットで一生懸命調べている人の情報になるといいねと思う。
人生いろいろだしね。
明日から、仕事に復帰します。長いーー夏休みだったなあ。
もつべきものは、愛すべき夫

励ましてくれてありがとうございました。
悩んでるときには、ネットで調べることと、誰かに話すことに限るね。
やっぱりひとりでは生きていけないのだ。


昔の流産した人はどうしていたのだろう。
それが気になる。