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個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

毎日話すことができてありがたいなあ

2020-09-21 22:11:45 | ひきこもり
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私も執筆者の1人として参加させていただいている本が今年の2月に出版されたことは、このブログでも報告させていただきました。出版イベントなどがコロナウイルスの影響で次々と中止になったにもかかわらず、たくさんの方々に買っていただきました。大阪に住んでいる方だけでなく、関東や中部地方などからも注文がたくさんあったようです。こうして多くの方々に読んでいただけることはとても嬉しいことですし、さらに本の感想を送ってくださったり、「気持ちが少し楽になった」や「とても共感できた」などという声もいただいたりし、ますますこれからの活動に力をもらえました。

先日本を読んでくださった方の1人から連絡がありました。この方も私と同様、数年の「ひきこもり」の経験があり、現在は大学院で勉強されているのですが、その一方で不登校やひきこもりの子たちのサポート機関に関わったり、立ち上げたりしているような、とても行動的な方です。

私に連絡をくださったのは、「大学院で「ひきこもり」についての論文を書かれていて、そのテーマの軸となるのが当事者とその家族との間の「ズレ」や社会との「ズレ」だそうです。そこで私に、「学生時代~ひきこもり時代~現在」までの流れや、そのときそのときの気持ちや、家族や周囲とのかかわり方などについて詳しくインタビューさせていただきたいということでした。

私は本の中にも書きましたが、家族との「ズレ」を感じたことがほとんどなく、「家族のこういう言動によって傷つけられた」などという経験がほとんどないため、参考になるかどうかわかりませんとお伝えしましたが、それでもぜひお話を聞きたいと言っていただいたので、私も喜んでインタビューを受けることになりました。

約1時間半の予定でしたが、インタビューのされ方が上手なのと、私がまたつい調子に乗ってしまったこともあり2倍の3時間ほどペラペラと話してしまいました。途中からはインタビューというより、私の独演会みたいになってしまい、ご迷惑をかけてしまいました。こういうところ、本当に気をつけないといけないですね。

冒頭にも書きましたように、コロナの影響でたくさんのイベントが中止になったこともあって、塾で生徒たちに勉強を教えたり、いろんな雑談をすることはさせていただいていましたが、「ひきこもり」というテーマについて話す機会がありませんでした。しかし今回ガッツリと思い存分話をさせていただけましたので、頭の中がずいぶんと整理された感覚になりました。常日頃から、塾に来てくださっている生徒たちのことはもちろん、不登校のことやひきこもりのことについても考えることが多いです。そしてときどき競馬のことも(笑)
ただやはり、考えるというインプットだけでは整理がうまくできなく、話すというアウトプットの重要性を改めて感じました。相手に伝えようと話すことで、考えがまとまっていき、自分自身の本当の気持ちに気づいたり、新しい発見があったり、話す前と比べてインタビュー後はまったく異なった感覚を得ることができました。

ブログなどで書くこともアウトプットのいい方法だと思いますが、やはり話すこと、特に相手にわかってもらおうと話すことが一番いい方法だと思います。勉強もそうですよね。授業を聞いて、ノートを写すというインプット作業だけだは効果が薄い。この授業で習ったことを誰かに教えようとして授業を聞き、そして実際に誰かに教えてみる。教えるためには自分は100%理解していなと相手に伝わりくいのです。だからこういう勉強方法の方が効果が高いとよく言われます。

不登校やひきこもりの子で話す機会がない子たちは毎日インプットだけをしているため、頭の中が混乱状態になっていることが多いです。あまり整理できずに、本当の自分、自分が本当は何で悩んでいるのか、本当にやりたいことはなんなのか、そういうことも気づくことができないかもしれません。だからこそアウトプットの場が必要なんだと思います。これまでの生徒の中にも、1時間や2時間ぶっ通しで話す子もいました。でも彼らはその後すっきりした表情になり、気持ちも落ち着きます。ひきこもりの子たちが集まる場所でも、いろんな気持ちを話すことで本当の気持ちに気づいてホッとする子たちもいます。

そういう意味では様々な種類の場所が必要なんだと思います。たとえば塾のように勉強する場所も必要でしょう。たくさん自分の話ができるところも、逆に他の人の話を聞くところも必要です。体を動かしたりする場所や、社会に出るために必要なスキルを身につける場所も大切です。これらはだれか1人では作ることはできません。たとえばフリースクールを開校するにもどれほどたくさんの費用と人が必要か。だからこそ、より多くの人たちが協力し合って、より大きなネットワークをつくっていく、その中には行政も必要かもしれません。民間と行政を分ける必要なんてないんです。いいものを作るためには協力しあわないといけないのですから。

今回私にインタビューしてくださった方もいろんな活動をされています。いろんな情報を共有することに喜んで賛同してくださりました。また近いうちにお話しできることを楽しみにしております。貴重な経験を本当にありがとうございました。

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気持ちをわかってもらいたいというのは理解できるけど

2018-12-19 10:21:01 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私はサッカーや競馬が好きでテレビでもよく見ます。サッカーの試合では、バルセロナの試合のときにはそれほどでもないのですが、日本代表の試合を見ると「下手くそやなー。なんや今のパスは?」「なんでそこでシュートにいくかなあ?こっちに、どフリーの選手がいるやん!」「守備が軽すぎるわ!」などど評論家気取りで批判してます。

競馬になるともっと言葉はキツくなり(お金がかかってますんで(笑))、「仕掛けんのが遅いねん!だからお前は2流なんや!」「外国人騎手にばかり勝たれて悔しくないんか!意地を見せろや!」など負けたときは自分の予想の反省をせず、騎手のせいにします。家族からは「そんなに言うんやったら、あんたできるんか?」などとわけのわからないツッコミを入れられますが、当然できるはずもなく、こういう文句を言うのも含めて、エンターテイメントとして楽しんでいるんですよね。ですから、サッカー選手や騎手の方とお会いできたときには、普段あれほど文句ばかり言っているのに、「いつもすごいプレーで感動してます!頑張てっください!握手してください!」と態度を急変させます(笑)。

それは心の中では、サッカー選手や騎手をとても尊敬していますし、私の想像なんかはるかに超える努力をされているのだろうなと思ってるからです。

それはべつにプロのスポーツ選手に限らず、他の職業の人に対してもそうです。私は塾の講師をしていますから、同業者の方々がどういう仕事をしていて、どういう苦労をされているのかは、だいたいわかりますが、それでもやはり個人差もありますので、細かいところまではわかりません。それが異なる業種の人だったら、なおさらわかりません。ですから、私は自分自身が経験したことのない仕事をしている人たちに対して「楽そうな仕事でええなー」「ストレスなんてないやろ?」なんてことは言えません。いくら楽そうに見えたとしても、私が知らないだけで、絶対にいろんな苦労をされているはずなんです。

そういう意味では、私は「ひきこもり」の人に対しても「毎日が休みでええなあ」とは言うことができません。「ひきこもり」の人たちも、彼らなりの苦しさやしんどさが必ずあるからです。特に、私は「ひきこもり」を経験しています。大学卒業後の約3年間ひきこもっていました。ひきこもっている状態の苦しさや不安、寂しさなどは経験しており、彼らの気持ちもある程度はわかっているつもりです。

だれかが私に「塾の仕事って楽でええよなあ。授業も夕方からやし、毎年同じこと教えるだけやしな。それで夏期講習や冬期講習っていう臨時収入もあるんやから」なんてことを言われたら、私もカチンとくるでしょうね。私は塾の仕事をしたいからしていて、自分では天職だとも思っています。ストレスもほぼないですし、基本的に毎日楽しく仕事をさせていただいています。ですが、授業の準備や問題作成など、授業時間以外での作業が多く時間的な余裕がありません。また座っている時間も長いので腰痛が酷くなっています。「授業だけしているわけでもないし、その授業もどれほど力を入れてしてるのかわからんやろ?」と心の中では思うでしょうが、それをいちいち相手には言わないでしょうね。

それは言ったところで、経験したことのない人にどこまで伝わるのか疑問ですし、なによりだれかに認めてもらいたいから仕事をしているわけでもありませんから。自分で好きな仕事を選び、やりたいことをしているわけですから、それで十分なんです。だから、だれかに俺の苦労や頑張りをわかってほしいなんて、これっぽちも思いません。

先日テレビで「ひきこもり」問題をあつかっている番組がありました。たまたま録画していたのを見たのですが、その中で1つ気になった言葉がありました。それは、「元・ひきこもり」の方の意見なのですが、「ひきこもりだって辛くて苦しいんだ。なのに、世間からは「甘えているだけ」や「毎日が休みでいいよな」など言われる。一度ひきこもりをしてみてほしいよ。どれだけ辛くてしんどいか!だれもが、ひきこもりをできるわけじゃないんだよ!」細かくは覚えていませんが、だいたいこんな内容だったと思います。

私はこの言葉を聞いたとき「だから、「ひきこもり」の偏見はいつまでたっても変わらないんだよ!」と思いました。同じ「ひきこもり」経験者として気持ちはよくわかります。「ひきこもり」の中には、ただの「甘えやサボり」ではなく、本当に自分ではどうしようもなく、苦しくてもがいていて、毎日悩み続けている人もいるでしょう。ですが、だからといって、あなたは「毎日、一生懸命何かのため、何かを守るために歯を食いしばって働いている人の気持ちはわからないでしょう?だってあなたは働いたことがないから」

自分の今の苦しさやしんどさを、だれかにわかってもらいたい、その気持ちは十分に理解できます。冷たい世間に対しての怒りもあるでしょう。ですが、もっと言い方を考えなければなりません。「自分だけが苦しい」のではありません。「自分も苦しい」のです。

それなのに、「自分だけが苦しい」という表現の仕方をすれば、そりゃ反発は起きてしまいますよね。「ひきこもり」に対する世間の見方を変えていくのなら、まずはその当事者・元当事者・支援者の人たちが、ここを変えていかなければならないでしょう。私は心から「ひきこもり」に対する偏見が変わってほしいと心から望んでいるからこそ、よけいに今回はそう思いました。

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なぜ就職活動失敗したか今考えてみる

2018-11-01 10:27:39 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

高校や大学受験だけでなく、私たちは人生において様々な試験を受けますよね。就職試験もそうですし、英検や漢検などの検定試験や各種資格試験もあります。そのすべてに合格していくというのは、まずふつうの人間には不可能なのではないでしょうか。

私の場合ですと、学生時代に柔道をしていまして、昇段試験というのがありました。柔道では初段から黒帯をもらえるのですか、実はこの黒帯というハードルは決して高くありません。一般的に高校になってから柔道を始めたとしても、早くて半年、遅くても1年以内にはほとんどの子は初段に合格します。ですが、私はこの昇段試験に何度も落ちて、結局黒帯をとるのに1年半かかっていましました。原因は当時からわかっていてメンタルが弱く、返し技をくらうのが怖くて自分から技をしかけられなかったためです。

ただ、この柔道の場合のように自分でしっかりと原因がわかっていればそれからの課題も見えてきますので、少しは上達します。

次に不合格を経験したのは大学受験です。私は2浪していますので、たくさんの大学受験に失敗しました。現役時は2校、1浪のときは4校落ちました。2浪しても2校不合格となりました。2浪で落ちた2校のうちの1校は今でも正直原因はまったくわかりませんが、他は全部わかります。現役・1浪のときは完全な勉強不足。あんな勉強で合格するほど甘くありません。2浪のときは私の能力不足。努力は十分にしたと思いますが、能力の限界でした。これも原因がはっきりとわかっていましたので、第一志望には合格できませんでしたが、どこかスッキリしていましたし、今後の自分の進路を考えるにおいてもこの不合格はとても役に立ちました。自分の能力を正確に把握することは大切なことだと思うからです。

そしていよいよ就職試験の失敗です。何度か書いています、私が「ひきこもり」になるきっかけになった就活の失敗の話です。大学受験の失敗で自分の能力の限界を知った私は、就職は大学で勉強した専門分野以外で働こうと決めていました。私の力では、とても専門分野で勝負できないと判断したためです。そして大学で学んだこととはまったく別分野、真逆と言ってもいいところを志望しました。それなりに勉強して、対策もしたつもりでしたが結果は散々でした。たった1つ合格したところに就職するも2週間で退職し、その年にもう一度就活をしました。1年目と同じ業種を今度はたくさん受験しました。それでも結果は見事に全部不合格でした。

ここから私の「ひきこもり」が始まるのですが、どうして私は合格することができなかったのでしょうか。学歴の問題ではありません。詳しくは言えませんが、私より偏差値の低い大学の子たちがたくさん合格していました。受験会場でも、私より偏差値の高い大学にいってる子に出会ったことがほとんどありませんでした。

就職試験がこれまでの試験と大きく違うのは、面接が重視されたことです(大学受験でも一部はありましたが)。この面接で、学歴というアドバンテージをあっさりと逆転されたのです。当時の私はこのブログでも書いてきたように、話すのが苦手で、思っていることや伝えたいことがうまく面接の場でも言うことができませんでした。「だから落ちた」そう思っていました。

「たかが話が下手なだけで、なんで俺を落とすねん!」「話が下手でも仕事はできるっちゅうねん!」「面接での発言は、俺以外のやつは、どうせ建前論ばかりで、マニュアルにそった答え方しかしてないはずや!本音でしゃべって何が悪いねん!」「ホンマ面接官は見る目がないな!」そんなことを本気で考えていました。だから私は、ひきこもったのです。

しかし面接官の人は見る目がないどころか、履歴書の学歴に惑わされずに正しい判断をされたと思います。私が不合格になった大きな原因は、熱意と真剣さが足りなかったのだと思います。「ここでどうしても働かせてほしい!」そんな気持ちが見えなかったはずです。なぜならそもそもそんな気持ちはなかったのですから。消去法で選んでいき、「なんとなく受かりやすそうだし、仕事も楽そうだ」というふざけた気持ちからですし、どういう仕事内容をしているのかすら調べてもいませんでしたし、「ここでこういう仕事をしたい!」というプランなんて何一つ持っていませんでした。

私が今、面接官の立場でそんな学生が来たら、2秒で帰らせるでしょうね(笑)。当時の私はそんな簡単なことにも気づかず、すべて他人のせいにして、社会を恨んでいました。失敗したりうまくいかなかったりするときに、その原因が自分:それ以外の比率が0:10なんてことはまずありません。ほとんどが、8:2や9:1のように自分自身に原因があるんです。10:0も少なくないでしょう。それなのに、自分は悪くなく0:10で他人や社会が悪いんだと考えるから、そこから何も進歩も成長もしませんし、いつまでも不満ばかり言うことになってしまうのです。

私は運よく、ひきこもっていたときに、それに気づくことができ、前に進むことができました。何か失敗したとしても、まず自分自身を見つめなおします。そもそも他人や社会に期待をしないようにしています。あの人がこうしてくれないから、社会が悪いから、言いたくなる気持ちはよくわかります。でもそれでは前に進むことができないんです。怖いことかもしれないし、落ち込むことかもしれないけれど、他人のせいにするのではなく、自分を変えようとする勇気こそが大きな1歩となるはずです!

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高等遊民という生き方

2018-04-12 10:23:05 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

新学期が始まり、新しい環境に慣れるまで不安でいっぱいの子や、たくさんのストレスを抱えている子もいるでしょうが、このまま1年間学校でやっていけるかなと遠い先のことを考えるのではなく、まずは目の前の1日1日を過ごすことに集中し、しんどいときには無理せず休みながら自分のペースでしっかり頑張っていってほしいと思います。

話は変わりますが、私はひきこもり時代には睡眠以外の時間のほとんどを、ゲームと映画鑑賞、読書に使っていました。テレビはお笑いは好きでしたのでコントや漫才のネタ番組以外はあまり見ることはありませんでした。そのためか、仕事を始めてからもそれほどテレビを見ることがなく、特にドラマは「古畑任三郎」くらいしか見たことがありませんでした。

そんな私が、たまたま何かのきっかけで数年前に久しぶりにテレビドラマを見ました。ご存知の方も多いかと思いますが、そのドラマの主人公は30歳代半ばで無職、いわゆる「ひきこもり、ニート」なんです。ですが彼は自分のことを「高等遊民」と称し、自らその道を選んで生きているんだ、俗世間で生きている周りの人間とは違い、自分はもっと高尚な生き方をしているのだと言い張るのです。

「高等遊民」とは明治から昭和初期にかけて、大学で高等教育を受け卒業したけれども、労働することなく、読書などをして教養を高める生活をしている人のことをいうらしいです。高等遊民は生産的な活動を行わないので、形式上は現代では「ニート」と同じですね。

私も大学卒業後、約3年間のひきこもりの生活をしていましたので、「高等遊民」の言葉には実際共感できる部分もあり、「うんうん、わかるぞ、その気持ち」なんて思いながら見てました(笑)

ひきこもり時代のある日、病院の帰りに小学校の同窓生たちと出会ってしまいました。中学校を卒業してから一度も会っていなかったので約10年ぶりの再会でした。できるだけ冷静なふりをして彼らと話していましたが、当然話題は現在何をしているのかという話になりました。「俺は○○で働いているねんけど、松下は今何してるん?」これを聞かれるのが嫌だから外に出なかったのに。「俺、今ニートやねん」と言えるほどメンタルが強くもなく「大学卒業して、いったん就職したけれど俺には合わんから辞めてん。それで、自分で事業をしようと思って、今はその準備段階やねん」と精一杯の出まかせを、必死で見栄を張りました。こうでも言わないと、現在のみじめな自分自身が今にも押しつぶされそうで、おそらくもう立てない、必死で踏ん張って立っておくためには、今のみじめな自分を「俺は違った生き方をしているんだ」と自分に言い聞かせておくしか方法がありませんでした。

このドラマの中で一番印象に残っている「高等遊民」の言葉に「道行く社会人がすごく立派に見えて自分には無理だ、あんな風には絶対になれないと思った」というのがありました。

ひきこもっていたときの私の気持ちはまさにこれでした。これまで一緒に遊んでいた友達が、将来のことなど何も考えずにバカなことしたり、バカな話をしたりしてきてた友達が働いている姿を見て、とても立派に見え、とても遠くに感じました。「どうして、みんなは働けるの?どこでそんなスキルを身につけたの?どうして自分だけ何もできないのだろう? みんなと同じように生きてきたはずなのにどうして?どうして?」

みんなが当たり前のように行っているすべてのことが、自分にはとてもハードルが高いことのように思えて、「絶対自分にはできない」と思っていました。

今、こうして塾の講師として働くことができています。もちろん社会人としてスタートしたばかりのときは、ものすごく苦労しましたし、今もまだできないことなんて山のようにあります。ですが、ひきこもり時代の私が今の私を見ていたら「なんでこんなことができるんだろう。自分には絶対できない」と思っていたはずです。社会人になって20年ほど経過し、その間ずっと塾の経営そして講師としての技術を磨くことを一生懸命してきたつもりです。まだまだできないことは山のようにありますが、できることも少しは身につきました。何か1つでも、「これならできる」というものがあるのは、とても心強いものです。ひきこもり時代にあった劣等感がまったくなくなり、「他のことはできないけれども、塾の講師としてはそこそこできてるはずや」と思えるようになりました。

おそらく現在ひきこもっている人や不登校の子たちの中には、同じような気持ちになっている人もいるのではないでしょうか。
「面接で緊張してしゃべれない」「人との接し方がわからない」「人前で話すなんてできないし、電話すらでれない」「得意なものがなにもない」「仕事が覚えられない」「みんなが当たり前のようにしていることが、どうして自分にはできないのだろう?」

うんうん、そうなんだ。そういう気持ちになって当然なんだ。これまですべてのことを当たり前にできてきた人にはわからないだろうけれど、うまくできなかったり、うまくとけこめなかったり、そんな人も多くいるんだ。ブランクがある人は、よけいにその気持ちが大きくなって当然なんだ。でもこれは、自分で勇気を持って飛び込んでいくしかないんだ。とっても怖いことだけれども。初めはしんどくて苦しくて辛いだろうけど、きっといつの間にか自信に変わってくるはず。どうしても苦しくて耐えられない時には、そこから離れてもいいんだ。そこは、あなたの居場所ではなかっただけで、また別の場所を探せばいいんだ。

「どうしてそんなこともできないの?」と自分の物差しで判断して冷たく突き放すだけでなく、「そんなことはできないかもしれないけれども、あんなことはできるかもしれない」「まだ経験が足りないのだからしかたのないことだ」と理解し、1歩踏み出した勇気を大きく評価してあげれるような人間になりたいと思います。そしてまたそのような優しい社会になっていくことを望んでいます。みんな自分からなりたくて「高等遊民」になってるわけではないのですから。

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あの人は「ひきこもり」だから、、それをやめましょう

2017-10-17 11:02:43 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

「不登校」や「ひきこもり」に対して良い印象を持っている人はわずかでしょう。いろいろな原因はありますが、ニュースなどでいわゆる「ひきこもり」の人が大きな事件を起こしているのが取り上げられるのもそのうちの1つでしょう。しかし、「ひきこもり」の人が犯罪を犯す確率はそんなに高いのでしょうか?統計をとったわけではありませんが、それほど差はないのではないのでしょうか。一部の「ひきこもり」の犯罪で「ひきこもりの人=危険な人」というイメージが出来上がっています。

私自身が大学卒業後ひきこもっていた経験があることから、何か役に立てればという気持ちで、ひきこもりの支援をしている場所や、ひきこもりの方の会議などに顔を出すことがあります。そこでわかったのは、「ひきこもり」と1つの枠でくくるのは危険だということです。

世間で「ひきこもりは甘え」という意見があります。私も一部賛成なんです。というのは、たとえばこんなことがありました。ひきこもりの人たちが集まる場所でいろいろ話をしているときに、あるひきこもりの方が、「今のひきこもりの小遣いの平均って知ってますか?」と。私は「うん?小遣い?」と一瞬思いましたが、その方は続けて「月2万円なんですよ。サラリーマンの平均の小遣いよりも少ないんですよ!」と怒っていました。「何を言ってるんだこの人は。毎日汗水たらして働いているサラリーマンの人の方が多くて当たり前だし、そもそも小遣いもらってるん?そっちの方がビックリやわ」と唖然としました。

なぜこのような思考になるのか。私なりに考えたのですが、おそらく長い間ひきこもっていたことにより、感情がネガティブになります。そして自分の現状を無理やり納得させるために、いろいろと言い訳を考えます。私も経験がありますが、ひきこもった原因は自分が悪いのではなく社会が悪いのだと思い込むことで、なんとか倒れずに立っていられるのです。そして同じ感情を持った仲間や、そういった場所に集まることで不満をぶちまけます。そこまでは社会復帰の第一歩として必要だと私は思いますが、あまりに長い時間そういう場所にいることで不満しかでてこなくなり、すべてを人のせいにしてしまうようになります。そうなると社会復帰は程遠く、どこに行っても不満ばかり言って、まったく好転しません。ですから次のステップに進めるための場所や、導いてあげる人が必要なんでしょうね。

ですが一方では、ひきこもりの状態からなんとか脱出しようと毎日もがいて、必死で戦っている人もいます。ひきこもった原因を他人や社会のせいにするのではなく、しっかり自分自身を見つめなおし、新たな人生を歩もうと頑張っている人もたくさんいます。職歴がなく、30代半ばでアルバイトをし、仕事に慣れていないため、ずいぶんと年下の子から毎日怒鳴られたり、それでも1日でも早く仕事を覚えようと歯を食いしばって頑張った。でもやっぱりしんどくなってやめてしまった、こんな人も甘えなんでしょうか?

勤務されている会社などが突然倒産になって、働く場所を失ったとします。生きていくためには働かなければなりません。これまでの仕事とはまったく別の分野の仕事しかなく、仕事を1から覚えなくてはなりません。さらに労働条件も以前と比べてずいぶんと厳しいものになったとします。ほとんどの方はストレスなどで苦しくなり、体調を崩したり、あるいは精神面をやられてしまったりするでしょう。仕事を続けることができない人もいるかもしれません。ほとんど社会経験のない「ひきこもり」の人の場合は、それの何倍もしんどいのだと思います。それを「甘えだ」や「それまで働かずにひきこもっていたのが悪いのだ」と突き放すことは私にはできません。

確かにひきこもっていた時期は甘えていた部分もあったのでしょう。ただ、そういった甘えていた自分を反省し、これから再スタートをしようと必死になって頑張り、もがいている人たちを、もっと受け入れサポートする社会になるべきだと私は思います。

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