個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

賛成はしたいんだけれども・・

2021-03-22 11:54:18 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

2020年7月に文科省が中学生の学校へのスマホ持ち込みを条件付きで許可したことで、学校現場は大きく変わろうとしています。コロナウイルスの影響でオンライン授業の需要が高まり、大阪の高校でもオンライン授業をおこなった学校も多く、小中学校ではタブレットが配布されました。私はコロナ以前から、オプションとしてのオンライン授業の必要性や授業のデジタル化を訴えてきましたので、学校の在り方というものを考えることができたことはよかったと思っています。

文科省が中学校のスマホの持ち込みを許可したのも、東日本大震災をはじめ、近年地震だけではなく台風や大雨による自然災害が多発しており、子どもたちの安全を確保するためという理由が一番大きかったと思われます。ですから子どもたちの安全を守るためという面に関してはもちろん賛成なのですが、他に方法はなかったのか、あるいはもっと細かくルールを決めることができなかたったのかという不満は残ります。

どうしてもルールを守ることができない子がでてきます。持ち込み禁止という校則があっても持ってくる子がいるのですから、持ち込み許可した段階で、いくら「こういう時しかスマホは使ってはいけません」というルールを定めたところでみんながみんな守れるはずがありません。授業中にスマホで遊ぶ子がでてくるでしょうし、先生の負担が増えるのは間違いありません。現時点ではメリットよりもデメリットの方が多いと言わざるを得ません。

私には70歳を過ぎた母がいます。母は携帯はガラケーを使っていますが、私の兄がオーストラリアに移住していて、その兄と連絡を取りやすくする目的でタブレットをあげました。初めのうちは、兄や友だちとのLINEしか使っていなかったのですが、いろいろと使い方を覚え、今ではどっぷりYouTubeにハマっています。寝る前に見るのが日課になっているようですが、日に日にタブレットを使用する時間が増え、寝る時間も遅くなり必然的に体調を崩すことが多くなりました。「きちんと時間を決めないと健康にもよくないから使用時間を決めよう」と言っても、守っているのは数日だけでいつの間にか元通りになってしまいます。一度動画を見ながら寝てしまったことがあり、タブレットがベッドから落ちたのでしょう、液晶が割れてしまい使用不可能になったときがありました。「いい機会だから使うのをやめよう」と言ったのですが、そのときの落ち込み方がひどく、また「絶対に使用時間は守るから」ということでまたタブレットを与えてしまったところ、ほんの1週間ほどで元の状態に戻ってしまいました。立派な依存症ですね。

アルコール中毒やギャンブル中毒など、様々な依存症がありますが、これらを脱することはとても難しいと言われています。それ専用の病院や施設もあります。私も約20年間喫煙しておりましたが、やはりタバコをやめようと思って禁煙にチャレンジしても何度も失敗しました。もちろん私の意志の弱さが大きな原因でしたが、私にとってはかなりキツイことでした。海外では(日本でも少しずつ増えてきていますが)、スマホ依存やゲーム依存から脱するための病院や施設があり、特に若い年代の患者が増加しています。

大人であっても、車の運転中にスマホをさわる人がいたり、子どもを乗せているのに自転車をこぎながらスマホをさわっている人を見かけます。もう抑えることができないのでしょうね。それが子どもの場合は、さらに自制するのが難しいでしょう。もちろんメリハリをつけてスマホと共存している子もたくさんいます。でも一方で完全に依存症になっている子も増加し続けているのです。

最近増加しているのは、集中力が続かない子どもだと聞きます。勉強していても、ほんの10分ほど前に教えた英単語を覚えていなかったり、計算ができなかったりするのです。覚えていないというより、勉強しているようで実は頭の中は別のことを考えているため、初めから頭に入っていないのです。もちろん私たち大人であっても、何か作業をしているときに、ふと別のことを思い出してボーっとすることはあると思いますが、そんなレベルではなく、常に頭の中は「好きなYouTuberの動画がアップされた頃かなあ?」とか「オンラインのゲームのイベントが始まる時間やなあ」など、動画であったりゲームで会ったりSNSであったり、人間の興味を引くものがスマホには溢れかえっていますので、頭の中はそれらでいっぱいなんです。ですから授業を聞いていても頭には何も入っていない、勉強しても点数がまったく上がらないということが起きているのだそうです。さらに問題なのは、ボーっと頭の中で別のことを考えているだけで、授業はきちんと受けていて勉強も一見しているように見えますから、成績が上がらない原因が発見しにくいのです。

もしかすると成績が伸び悩んでいる子は、スマホが原因であるかもしれません。うまく使えばとても勉強にも役に立ちますし、やはり便利なものです。ですからスマホを取り上げるのではなく(取り上げても反発するだけで逆効果でしょうから)、依存症になる前にしっかりと話し合って使用時間を決めたり、ルールを決めることが大切だと思います。

こういった背景もありますので、私は中学校へのスマホの持ち込みには反対です。その前にもっと議論しなければいけないことがたくさんあります。現場の先生たちの意見を聞くことも大切ですし、医学的な立場からの意見を取り入れることも必要だと思います。with コロナもそうですが、with スマホの社会をどう生きていくかを大きなテーマとして議論をするべきです。それほどこれからの日本がどうなるかに影響を及ぼす大きな問題であると思います。ですから安易な発想で決定することだけはやめていただきたいですね。

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難しいのはわかるけど、一律ではなく個別に判断するべき

2018-06-12 10:36:01 | 教育問題
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

学級崩壊の定義はいろいろありますが、私は授業を受けたい生徒がきちんと受けることができない状態だと考えています。私語だらけで騒がしかったり、先生が怒って授業が中断したり、勉強しようと思っている生徒が何をしに来ているのかわからなくなってしまってるのですから。

こういう状態を学級崩壊と考えるならば、それがない学校を見つけるのが難しいかもしれませんね。

小学校でも周りの友達としゃべっている子もいれば、立ち歩いている子もいるようなクラスもあります。中学生になるともっとタチが悪く、怖くて強そうな先生の授業は静かですが、女性の先生やおとなしい先生の授業では騒ぎまくりで、ときには先生に向かって暴言を吐くことさえあります。先生に向かって「お前!」と言うこともあり、そんな話をきくたびに「いつから学校がこんなふうになってしまったのだろう」と悲しくなります。

義務教育でこのようなことが許されているので、彼らの中には高校生や大学生になっても考え方や態度が変わらない子たちもいます。高校でも授業中にずっとスマホで遊んでいたり、騒いだり、教師に暴力をふるったり。先日、関東のある大学でも授業中に学生が床に寝そべって、スマホを触りながらワイワイしゃべっていたので、教授が注意したのですがまったく言うことをきかなかったため、教授があきれて授業を途中でやめて出ていったというニュースがありました。この大学は偏差値もある程度高く知名度もある有名私大です。

こんな子たちの授業料をどうして国民が負担しなければいけないのでしょうか!

私はいつもこのようなニュースを見るたびに、「真面目にしている子がかわいそう」と思います。小学校でも中学校でも学校の授業をちゃんと聞きたいという子どもは必ずいます。ですが学級崩壊しているクラスではまともに授業を受けることができません。それを野放しにしておくということは、この子たちから教育を受ける権利を奪ってるんですよ。

せめてそんな子どもたちがきちんと授業を受けることができる環境を整えてあげてください。今の学校制度ではそれができないのであれば、勉強は塾に任せてください。子どもたちに学校で勉強するか塾で勉強するのかを選ばせてあげてください。授業を妨害している子たちばかりの権利を守ろうとするせいで、真面目な子がいつも損をしています。

そして、高校や大学がこのような有様にもかかわらず、高等教育無償化が始まろうとしています。おそらく家庭の年収によって補助の大小が決まるでしょう。ですが私はこの方向には基本的に反対です。

年収が低い家庭の子どもはどうして無条件に無償化にするのでしょう。上で書いたように、高校でも大学でも勉強する意欲がないだけでなく、他の生徒の授業を邪魔するような、こんな子が家庭の年収が低いからといって完全無償化されるなんて間違っていると思います。逆に年収が高くても、一生懸命頑張っている子に対しては無償にしてあげればいいのではないでしょうか。年収が高くても兄弟が多かったり、借金があったりする家庭もあるわけですから、収入で線引きするというのはやっぱりおかしいです。

「収入が低い家庭の子でも安心して大学に進学できるように」その意図はわかりますが、安易に実施するべきではなく、もっと議論を重ねるべきですね。教育というのはその国の柱だと思っています。ですから、しっかりとした教育を子どもたちに受けさせるというのはとても大切なことで、教育が崩壊してしまうと国の存亡にかかわります。そういう意味では教育に国がお金を使うというのは正しいことです。

ただし、その教育が価値のあるものである必要があります。ただの時間つぶしのため、やる気もなくただ遊びに行くため、大卒という肩書が欲しいだけで何も学ぶ姿勢がない大学生に1円たりとも投資する必要はありません。

なにも偏差値の高い大学に入らないと無償化にするなと言ってるわけではありません。上記のように、偏差値の高い大学であっても、なにをしに大学に来ているのかわからない学生はたくさんいます。肝心なのは学ぶ姿勢・意欲があるかどうかだと思います。そのハードルは低く設定しない方が絶対にいいです。大学の1回生は無償でも、2回生で授業をサボってばかりいたり、授業の態度が悪かったりすると無償制度を打ち切るべきです。

そうすることによって、中途半端な気持ちで大学に進学しようという生徒は減るでしょうし、大学が本当に価値のあるところになっていくはずです。そしてまた、これまでなんとなく目的のないままとりあえず大学に行っとこかという気持ちでダラダラと4年間無駄な時間を過ごしていた学生が中学卒業や高校卒業したらどうしようかと真剣に自分の将来を考えるようになるでしょう。

真面目に学びたい子にしっかりとした支援ができる国にならなければなりません。現状のように、小・中・高・大学がすべて安心して、学ぶことができるような環境になっていないことをもっと危機感を持って受け止め、今こそ変えていかなければならないときだと思います。

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だれのための支援? そこは慎重に議論しなくては

2018-04-19 10:39:54 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

以前から国会などで議論されていましたが、先日文科省は妊娠した高校生の学業継続支援を強化することを決めました。

これまで妊娠した高校生は、学校から自主退学をすすめられることが多く、高校中退という形となってしまうため、就職で苦労してしまい、子どもの貧困につながっているからという理由で、体育の授業の実技に参加しなくてもよいなどの措置の他、過去数年間にさかのぼって、復学を望んでいれば就学支援金を案内するなど学びやすい環境を整えるという方針です。

いろいろな意見はあるかと思いますが、私は学校が自主退学をすすめるのはしかたのないことだと思います。やはり他の生徒への影響を考えると、そうせざるを得ないという学校もあるでしょう。また、しばらく休学して落ち着いてから復学という手段をとることもできます。厳しい言い方をすれば、それらを承知で妊娠したのですから、「みんなと同じ時期に卒業したい!もっと考慮してほしい!託児所をつくってほしい!」と要求ばかりするのは、さすがに虫が良すぎるのではないでしょうか。

いろんな事情で、高校進学をしていない子どもや、高校中退をしている子はたくさんいます。彼らの中には高卒認定試験を受験し、高校卒業と同等の資格を得て、大学や専門学校に進んでいる子もいます。ですから、本当にやる気があれば、そういう方法もあるんです。一生懸命勉強を頑張って、高卒認定試験に合格すればいいんです。逆にそれくらいの気持ちがなく、子育てなんてできるのでしょうか。

そもそも、子どもを産んで高校に通い続けて卒業したり、大学や専門学校に進学するということは、子育ては誰がするのでしょうか。育児には、お金も時間も愛情もたくさん必要です。それほど大変な育児と学業の両立なんて簡単にできません。よほどの覚悟と決意が必要です。

今や高校も多様化しており、通信制の高校もたくさんあります。全日制の高校に通わなくても、高校を卒業することはできます。つまりは本人の気持ちの問題、やる気の問題、自覚の問題です。

ですが、だからといって支援しないというのは間違っていると思います。というのも、高校生というまだなにものでもない状況で出産するというのは、大きなリスクを伴い、苦労するのはある意味しかたがありません。しかし、生まれてくる子どもには何の責任もありません。子どもが必要な愛情を注がれず、必要な教育も受けさせてもらえず(ここでの教育とは幼児教育とかたいそうなものではなく)、そんな状況で成長していく子どもの将来に光を見つけることは私にはできません。

私が学生の頃、友人が「日本ってめっちゃ公平な国やな。いくら生まれた家が貧しくても、勉強して東大にでも入れば、一発逆転できるんやもんな」と言ってました。確かにその通りです。家柄とか関係なく、そうなれば一流企業に就職できたり、官僚になれたりして社会的地位も収入も高いものが得られます。ですが、そのスタートラインにすら立ててない子どもが年々増加していることをもっと国は気づくべきです。小学校に入学するような年になっても、まったく勉強の環境など整っていない子がたくさんいるんです。経済的な貧困とともに問題なのは、「人とのつながりの貧困」です。たとえば、周りにアドバイスしてくれたり、そういう知恵を与えてくれる人がいればいいのですが、それがいないのです。だから負の連鎖が続いていくのです。

経済的に苦労している人に、就学のため・進学のため・育児のためという形でなんらかの支援金を渡したとしても、それを自分の遊びに使ってしまっている人がどれほど多いことか!

一生懸命頑張っている人、特に子どもたちの将来のためにはもっと支援が必要です。ですが、その支援の仕方をもっともっと考えていかなければなりません。本当に必要なところに届かなくては意味がありません。こんな簡単な政策で「これで子どもの貧困対策はできた。しかも少子化対策にもなるし」などと思っているのなら大きな間違いですね。

生まれた瞬間から、その子の人生がほぼ決まってしまうようなことは絶対になくしていかなければなりません。そのために必要なこととはなんでしょうか?本当に必要な人に届くような支援はもちろん必要ですが、私は学校教育をもっと幅広い知識を身につける場所に変わっていくべきだと思います。せっかく義務教育というものがあり、全員に教えることができる唯一の機会なのですから、そこでもっとこれから生きていくために必要な知識・知恵を植え付ける場所になっていくべきです。歴史の年号を覚えるよりも子どもを育てることの大変さや大切さを学ぶことの方が重要なのではないでしょうか。音楽の記号を覚えるよりも、もっと自分の将来について考える時間をつくり考える力を養うことの方が大切なのではないでしょうか。必要な科目や分野は残していく、そうでない部分はバッサリ捨てて、新しいものに変えていく勇気が必要だと思います。それは、小学校からの英語やプログラミングの導入では決してないと私は思います。

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今の時代は大学ってとりあえず行っとこかというノリでいくもんじゃないですよね

2018-04-14 10:36:50 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾(ワンズ)の塾長の松下です。

バルセロナがヨーロッパのCLの準々決勝でローマに負けてしまいました。圧倒的に有利な状況での敗戦でしたので、めちゃくちゃショックで2時間ほど動けませんでした。とサッカーの話はとりあえずおいといて、今日は最近よく耳にする気になるニュースを取り上げてみます。それは大学進学などで奨学金を借りたが、その後返済が困難になりかなり苦しい生活に追い込まれたり、場合によっては自己破産する人までいるというものです。

調べてみると実際奨学金を借りる学生の割合も20年前と比べて約2倍になっており、50%以上の大学生が奨学金制度を利用しています。国民全体の所得がそれほど上がっていないのに、授業料は上がり続け、国立大学でも平成元年は授業料が約35万円(大卒初任給平均は約16万円)、平成26年には国立の授業料は約55万円(大卒初任給平均は約20万円)と、かなり厳しい状況になっています。

なぜここまでのリスクを背負ってまで大学に進学する人が多いのでしょうか?

それはまず社会全体が、「いまどき、大学くらい卒業していて当たり前だ」という風潮があるからです。

ですが本当に大学進学するということに、そこまでの価値があるのでしょうか?

大学に進学しないと就けない職業はたくさんあります。医者や弁護士や学校の先生もそうかな? などの専門的な職業は高卒では難しいでしょう。民間企業にしても、ある程度の偏差値以上の大学を卒業していないと、面接すらしてくれないところもあります。そういう意味では偏差値の高い大学を卒業し、学歴という武器を持つということは選択肢が広がり、有利に就職活動も進めることができ、その結果安定した暮らしに繋がっていく可能性も高くなるのです。

しかし、気をつけなければいけないのは、今や大学全入時代です。大学進学を希望すれば、受験勉強をしなくても入れる大学なんていくらでもあります。中学校の授業をしているのかと間違えるほどレベルの低い授業をしている大学もあります。子どもの数はどんどん減っているのに、大学の数は減るどころか増えています。「大学くらい行っておいた方がいいよ」という言葉を信じて、ほとんど受験勉強も必要のない大学で4年間貴重な時間とお金を使い、それが果たして武器となりえるでしょうか。

本来ならば大学は、将来こういう仕事をしたいからという目的を持って、大学そして学部を選んで受験するものだと思います。「それが見つからないからとりあえず大学にでも行って探す」というのも理解できますが、大学進学するのに時間とお金がどれだけ必要で、それを使う価値があるのかどうかをしっかり考えてから決めるべきです。

また、より偏差値の高い大学に合格するための競争が激化しています。中高一貫コースの私学もたくさんあり、小学校や中学校の頃からすさまじい勉強量をしている子もたくさんいます。私は、こういった競争そのものは否定しません。一生懸命勉強し、有名大学に合格したときの喜びは格別でしょうし、優秀な人が増えるのは日本にとってプラスになるはずです。努力するというのはどの分野においても素晴らしいと思います。ただ、これだけ競争が激しいということは、その競争に負けてしまう子もたくさんいるということを、特に親は忘れてはいけません。

小学生の頃から勉強をさせ続けて、ほとんど遊ばせることもなく、中学そして高校と勉強をさせた結果、志望していた大学とはずいぶん差のある大学にしか合格できなかったとしたら、この子はどうなってしまうでしょうか。メディアや予備校で登場する大学生は、この激しい競争に勝ってきた子ばかりです。この子の後ろには、多くの敗者がいるんです。

本人が希望し、そして親もそれを望んでいるのなら、この競争に飛び込むことは素晴らしい挑戦だと思います。ただ、「○○大学に合格することが人生のすべてだ」というような考え方を植え付けてしまっては、その大学に合格できなかったときのダメージが大きくなりすぎます。合格できなかったときでも「頑張ったけれどもあかんかった。でも、こっちの大学でまた頑張るわ」と前向きな気持ちで受験が終えれるような環境を整えてあげることも親の大事な役目だと思います。そうすると受験勉強に費やした努力が、志望校には不合格になったけれども、きっと報われるはずです。

そしてもう1つ大切なことは、大学合格がゴールではありません。そこからがスタートなのです。大学に合格するために勉強だけに集中しすぎて、他の能力が十分に育っていないケースもよくあります。有名大学を卒業している「ひきこもり」や「ニート」の人が大勢いることはご存知でしょうか? 将来の安定のために勉強を続けて、目標の大学に合格できたのに、勉強以外の能力が成長してないせいで社会からはじき出されてしまっては本末転倒です。学歴というものは社会人になるときの初年度に使用できる最高の武器ですが、それ以降は職種にもよりますが、学歴そのものは武器にはなりません。勉強面だけでなく、バランスよく他の能力を磨いていくことも大切にしてほしいと思います。



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このおかしな流れを食い止めないと

2018-03-27 10:41:45 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私たち人間が生きている社会にはたくさんのルールがあり、そのルールを守らなければペナルティがあります。だらかほとんどの人は、ルールを守ろうとするのです。ルールというのは、長い人間の歴史の中で、よりよい生活を送るために考えに考え抜いてきたものであって、ルールを守って生きているからこそ安心して楽しく暮らせるのであり、ルールを破った者はときには排除されることもあります。

当然学校には校則というルールがあります。最近話題になっているようなブラック校則、「地毛が茶色いのに何度も黒く染めさせられた」「日焼け止めやリップクリームの禁止」「下着の色の指定」など「なぜ?」と先生に質問しても納得できないようなおかしな校則は確かに存在します。

だからといって、そっちにばかり目がいってしまって、「校則なんて子どもの自由を奪うものなんだ!もっと子どもに自由と権利を与えないとだめだ!」と決めつけるのは間違っています。

たとえば「授業中に携帯電話やスマートフォンの使用を禁止する」「タバコを吸ってはいけない」「同級生や先生に暴力をふるってはいけない」など安心して学校生活を送るためには、なくてはならない校則もあります。しかし、そんな大事な校則を守らせることに積極的になれない学校もあり、校則違反している生徒を見つけても軽い注意ですませたり、見て見ぬふりをしている先生もいます。

「学校は勉強だけを学ぶところではない!」そうなんです。ルールは守らなければならないということを教えるところでもあるのです。しかしそれが機能していません。

ある学校では、授業中に生徒がスナック菓子を食べています。授業中にスマホでゲームをしています。授業中に大きな声でワイワイしゃべっています。注意する先生もいますが、注意しない先生もたくさんいます。注意しない先生の気持ちもわかります。気が弱くて、強く言えない先生もいるでしょうし、そうして注意したり怒ったりすることで授業が止まってしまうのを避けるためだという先生もいるでしょう。ですが、このまま放置していていいのでしょうか?

私の基本的な考え方は以前も書きましたが「真面目にしようとしている生徒が損をする」ことだけはなくしてほしいと思っているのです。授業中にスナック菓子を食べようがスマホをしようが、その子の勝手かもしれませんが、そんなことをされると授業に集中できません。周りの生徒がうるさかったら先生の話を聞くこともできません。先生が注意して怒ると、授業が止まってしまうこともありますが、教室の雰囲気が重くなり、なんだか自分まで怒られている気分になり、勉強しようという気持ちがなくなってしまいます。

学校でタバコを吸ったり、金髪にしたりして騒いでいる生徒がいれば、自分が何もされていなくても、気の弱い子は怖くて近寄りがたかったり、ビクビクしながら学校に行かなくてはなりません。

校則を破っている生徒に対して、見て見ぬ振りをしたり、軽い注意だけですませてしまっていては、校則なんて守らなくてもいいと誰もが思ってしまいますよね。そうなると、学校に秩序がなくなっていき、ますます安心できる場所ではなくなってしまいます。勉強だけでなく、それ以外のことも何も学べないどころか、最悪の環境になってる学校に行く価値なんて私には見出せません。

校則を守ることを強制せず、好き勝手させることが子どもを守ることではありません。自由や権利を与えてもらうためには、最低限守らなければならない義務があることを教えることが必要なんです。子どもの権利や自由という言葉を取り違えているように感じます。

また、公立の小中学校は校区で決められているので選択の自由はありませんが、高校からは自分で選ぶことができます。自分にとって耐えることができない校則があるのなら、その学校を受験しなければいいのです。自分で選んでおきながら、校則に文句を言い、さらにその校則を破り周りの人間に迷惑をかけるなんて、めちゃくちゃですよね。

ルールを守ることの大切さや、周りに迷惑をかけないことなど、社会に出てからも基本となるようなことを、きちんと指導できなくなってから、ますます学校が崩壊していき、存在価値がなくなっていると思います。子どもたちも、そしてまた保護者の方も安心して学校に任せることができるようになることを願っています。


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