おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
来週から新年度が始まり、塾でも卒業生を見送り、新入生を迎える準備が続いています。
卒業生の中には、不登校の子もいました。中学校には最後まで行くことができなかったけれども、環境もまったく変わる高校でもう一度学校生活を始めてみるんだという、不安の中であっても強い決意で大きな1歩を踏み出します。久しぶりの集団生活や同年代とのコミュニケーションで、数日、あるいは数週間は疲れるかもしれませんが、きっと苦しい不登校の期間を乗り越えた君たちなら大丈夫だ。でも、もし体や気持ちがしんどくなって、ちょっと休みたいと思ったときには、無理せず休んで、そしていつでも話をしに来てくれればいいからね。
不登校の子どもの割合は、年々増加しています。今や、1学年に何人というのではなく、1クラスに何人というレベルにまで達しています。不登校という言葉を当たり前のように聞くようになりましたが、不登校生に対する見方はまだまだ厳しいものがあります。
「ただの甘え」「なんか、ややこしい奴」「親が悪い」など、子どもにとっても親にとっても傷つく言葉が投げかけられます。
確かに、甘えている部分もあるかもしれません、少し人と違って変わっているところがあるかもしれません、子どもを育てていく中で、押し付けすぎたり、甘やかしすぎたりあったかもしれません。しかし、ただ学校に行かないという選択をしただけで(しかも本当は行きたいけれども、行かなくてはいけないこともわかっているのですが、行けないのです)、そこまで言われなくてはいけないのでしょうか、肩身の狭い思いをして生活しなければならないのでしょうか。
子どもは、家族や周りの人間に不満を吐き出しますが、本当は「自分が悪いからや。自分に学校で生活していく能力が足りないからや。」と自分を責めています。親もそんな子どもと衝突しながら「育て方が悪かったのかな。かわいそうなことをしてしまった」と自分たちを責めます。しかし、もちろんどちらにも、なんらかの原因があったのでしょうが、何も罪を犯したわけでもなく、他人に迷惑をかけているのでもなく、ただ学校に行けないというだけでどうして世間から厳しい目を向けられなければならないのでしょうか。しかも、そういった目で見られてしまうため、よけいに自分たちを責め、子どもも親も誰にも相談できない状態になってしまうのです。
これだけ多くの不登校の子どもや、ひきこもりの人がいるということは、それぞれ個人の問題ではなく社会構造に問題が生じてきていると考えるのが自然です。どの子にも、不登校やひきこもりになる可能性はあるんです。だれもが「まさか、自分が」「まさか、うちの子が」と不登校になったときに思うのです。
不登校になっている子ども、そしてその親もこの複雑化する社会の被害者なのです。そしてまた、不登校になったからといって、その子の人生が終わってしまうわけではありません。それどころかまだ始まったばかりなのです。ちょっとスタートでつまずいただけなのです。何一つ道が閉ざされたわけではありません。大勢が進む道にまた戻ってくることもできますし、別の道を進んでいくこともできます。まだ10代の子どもなのですから、将来何にだってなれる可能性はあるんです。
不登校生だから、何か特別な道を進まなくてはならないことはなく、学校に通っている子と同じ道を進んでいいはずなんです。本当は、このONE-Sのホームページやチラシにも、わざわざ「不登校の子どもの勉強も指導します」なんて言葉は入れたくないのです。だって、勉強をしたいと思う気持ちは学校に通えている子どもも不登校の子どもも同じだから。区別する必要性がまったくないんです。ですが、現状では「不登校生=特別な子ども」という認識が広がっているため、不登校の子どもも親も「塾では勉強をみてもらえないだろう」と思っている人も多いですし、実際不登校の生徒の受け入れをしていない塾もありますから「不登校生も指導できます」という言葉を入れないと、そういう塾を見つけることが困難なのが現実です。塾の方針としてそういう考え方もあるかもしれませんが、私個人は「不登校生だからどうとか、学力低いからどうとか」はまったくありません。どんな状況の子であっても、一緒に学びたいと思ってくれているなら大歓迎です。
いつか世間での不登校や引きこもりに対する偏見がなくなり、現在不登校の子どもたちを指導されている塾においても、「不登校の子どもたちも指導します」というような言葉をわざわざ入れなくてもいいような環境。そして不登校の子どもたちや親も、「今は、いろいろあって不登校やねん。でも、勉強しなおして高校・大学に進学しようと思ってるねん」「不登校になったけれど、将来したい仕事見つかったから、そのための勉強してるねん」などと明るく話せるような環境、世の中がそんなふうに変わるのを心から望んでいますし、私なりに精一杯できることをしていきたいと思っています。
ONE-SのHP
来週から新年度が始まり、塾でも卒業生を見送り、新入生を迎える準備が続いています。
卒業生の中には、不登校の子もいました。中学校には最後まで行くことができなかったけれども、環境もまったく変わる高校でもう一度学校生活を始めてみるんだという、不安の中であっても強い決意で大きな1歩を踏み出します。久しぶりの集団生活や同年代とのコミュニケーションで、数日、あるいは数週間は疲れるかもしれませんが、きっと苦しい不登校の期間を乗り越えた君たちなら大丈夫だ。でも、もし体や気持ちがしんどくなって、ちょっと休みたいと思ったときには、無理せず休んで、そしていつでも話をしに来てくれればいいからね。
不登校の子どもの割合は、年々増加しています。今や、1学年に何人というのではなく、1クラスに何人というレベルにまで達しています。不登校という言葉を当たり前のように聞くようになりましたが、不登校生に対する見方はまだまだ厳しいものがあります。
「ただの甘え」「なんか、ややこしい奴」「親が悪い」など、子どもにとっても親にとっても傷つく言葉が投げかけられます。
確かに、甘えている部分もあるかもしれません、少し人と違って変わっているところがあるかもしれません、子どもを育てていく中で、押し付けすぎたり、甘やかしすぎたりあったかもしれません。しかし、ただ学校に行かないという選択をしただけで(しかも本当は行きたいけれども、行かなくてはいけないこともわかっているのですが、行けないのです)、そこまで言われなくてはいけないのでしょうか、肩身の狭い思いをして生活しなければならないのでしょうか。
子どもは、家族や周りの人間に不満を吐き出しますが、本当は「自分が悪いからや。自分に学校で生活していく能力が足りないからや。」と自分を責めています。親もそんな子どもと衝突しながら「育て方が悪かったのかな。かわいそうなことをしてしまった」と自分たちを責めます。しかし、もちろんどちらにも、なんらかの原因があったのでしょうが、何も罪を犯したわけでもなく、他人に迷惑をかけているのでもなく、ただ学校に行けないというだけでどうして世間から厳しい目を向けられなければならないのでしょうか。しかも、そういった目で見られてしまうため、よけいに自分たちを責め、子どもも親も誰にも相談できない状態になってしまうのです。
これだけ多くの不登校の子どもや、ひきこもりの人がいるということは、それぞれ個人の問題ではなく社会構造に問題が生じてきていると考えるのが自然です。どの子にも、不登校やひきこもりになる可能性はあるんです。だれもが「まさか、自分が」「まさか、うちの子が」と不登校になったときに思うのです。
不登校になっている子ども、そしてその親もこの複雑化する社会の被害者なのです。そしてまた、不登校になったからといって、その子の人生が終わってしまうわけではありません。それどころかまだ始まったばかりなのです。ちょっとスタートでつまずいただけなのです。何一つ道が閉ざされたわけではありません。大勢が進む道にまた戻ってくることもできますし、別の道を進んでいくこともできます。まだ10代の子どもなのですから、将来何にだってなれる可能性はあるんです。
不登校生だから、何か特別な道を進まなくてはならないことはなく、学校に通っている子と同じ道を進んでいいはずなんです。本当は、このONE-Sのホームページやチラシにも、わざわざ「不登校の子どもの勉強も指導します」なんて言葉は入れたくないのです。だって、勉強をしたいと思う気持ちは学校に通えている子どもも不登校の子どもも同じだから。区別する必要性がまったくないんです。ですが、現状では「不登校生=特別な子ども」という認識が広がっているため、不登校の子どもも親も「塾では勉強をみてもらえないだろう」と思っている人も多いですし、実際不登校の生徒の受け入れをしていない塾もありますから「不登校生も指導できます」という言葉を入れないと、そういう塾を見つけることが困難なのが現実です。塾の方針としてそういう考え方もあるかもしれませんが、私個人は「不登校生だからどうとか、学力低いからどうとか」はまったくありません。どんな状況の子であっても、一緒に学びたいと思ってくれているなら大歓迎です。
いつか世間での不登校や引きこもりに対する偏見がなくなり、現在不登校の子どもたちを指導されている塾においても、「不登校の子どもたちも指導します」というような言葉をわざわざ入れなくてもいいような環境。そして不登校の子どもたちや親も、「今は、いろいろあって不登校やねん。でも、勉強しなおして高校・大学に進学しようと思ってるねん」「不登校になったけれど、将来したい仕事見つかったから、そのための勉強してるねん」などと明るく話せるような環境、世の中がそんなふうに変わるのを心から望んでいますし、私なりに精一杯できることをしていきたいと思っています。
ONE-SのHP