個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

動き始めるまでが大変なんです

2017-11-30 10:55:37 | 不登校
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-Sの塾長の松下です。

何か重たいものを押したり、引っ張ったりして動かすときに、動き始めるまではめちゃくちゃ大変だったが、いったん動き始めると、意外とそれほど力をいれなくても簡単に動かせるという経験をされたことはないでしょうか?

これは、物理の法則で、簡単にいうと静止しているものを動かすために必要な力は「静止摩擦係数」、動き出してから必要な力は「動摩擦係数」というものが関係します。そして、「静止摩擦係数>動摩擦係数」であるため、静止している物体を動かす力の方が、もうすでに動いている物体をその速度で動かし続ける力よりも大きな力が必要になるのです。

日本の社会というのは、基本的に休憩することが難しい仕組みになっています。小学校~中学校の9年間は義務教育で、ここまでは全員がすでに敷かれたレールの上を足並みをそろえて歩くことが求められます。そして中学卒業後、ようやく自分の足で歩けるようになるのですが、ここでも高校に進学するのが当たり前という風潮ですので、子どもの感覚としては、自分で選択したというものではなく、義務教育の延長という意識の方が圧倒的に強いでしょう。そして高校卒業後はすぐに就職するか、大学・専門学校に進学するのかを決めなくてはなりません。うーん、あわただしいですね。さらに、進学した場合は卒業後すぐに就職を決めなければなりません。卒業して2、3年ボーっとしていると、就職先が新卒のときと比べて激減してしまいます。

少し休憩をしていると、自分の置かれている状況がどんどん悪くなってしまい、またそれを許してもらいにくい社会ですから、疲れてきたり苦しくなったりしても立ち止まることができなく、必死で歩き続けるのです。ですが、だれもがみな、疲れや苦しみに打ち勝って歩き続けることができるほど強くありません。力尽きて立ち止まってしまう子どももいるのです。少し休んでまた歩き続けることができればいいのですが、「立ち止まること=いけないこと、許されないこと」と信じて歩いてきましたので、それでも立ち止まってしまうということは、完全にエネルギーを使い果たしてしまっていて、もう1歩も前に進むことができない状態になってしまっているのです。

疲れたり、しんどくなったらすぐに休んでもいいというのを認めてしまうと、それこそ社会や学校が成り立たないのはよくわかります。過剰になってしまうとただの甘やかしになってしまいますから。

私たち大人の役目としては、子どもの状態がどれくらいなのかをしっかり把握することではないでしょうか。子どもが疲れやストレスでSOSを出しているのに気づかずに、無理に歩き続けさせた結果、長期のひきこもりになることはよくあることです。他の子ができているのだから、自分の子も大丈夫ではなく、他の子は他の子、自分の子は自分の子でまったく異なった人間です。子どもは自分が苦しいことや辛いことを口に出しては言えないのです、特に親に対しては。それは、恥ずかしいということもあるでしょうが、自分がこういう状況になっているということを親が知ってしまったら、親を悲しませてしまう、失望させてしまうと考えているからです。だから、誰にも言わずに、もう限界なのに頑張り続けた結果、エネルギーが切れて、そしてそうなってしまうと親を悲しませてしまうという思考ができるほど力も残っていませんので、親の言うことも聞かなくなり、ただ自分自身に絶望してしまうのです。

こうして完全に止まってしまうと、次に動き出すためのエネルギーは今まで使ったことがないくらいの大きなものが必要となってきます。ちょっとやそっとではビクともしません。動くのに必要なエネルギーがたまるのを待つしかありません。

そうなってしまう前に、子どもの様子が少しおかしいなと感じたときには、子どもの気持ちを聞いてあげたり、少し休ませてあげたりしてあげなければなりません。そうするだけで、子どものエネルギーがまた充電され、無理なく歩くことができます。大切なのは、調子がいいときには走らせてあげればいいのですが、調子が悪いときには少しくらい歩く速度が遅くなってもいいんだよということを子どもに伝えることではないでしょうか。ゆっくりでも動けている間は、少しのエネルギーでまた走り出すこともできるはずですから。

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読めない漢字たくさんありますが

2017-11-28 10:34:37 | 教室から
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日、何気なくテレビを見ていたら、その番組中に考えさせられる場面がありました。

ある問題についてコメンテーターの方が様々な意見を発言して議論する番組でした。その中の1人の方が「これはきっと、【いず的】なものだと思います」とコメントしました。

一瞬「?」となりましたが、話の流れからすぐに【意図的】であることはわかりました。共演している方々も私と同じような感覚になったのか、現場の空気が急に変わりました。それについて、ツッコンだ方がいいのかどうか、しかし発言したのはお笑い芸人さんでもない方ですし、ボケたわけでもありませんでしたので、ツッコまずに流した方がいいと判断を全員が選択したのでしょうが、一瞬異様な緊張感のある空気になっていました。見ている私も少しハラハラしました。

その後も司会者の人がその人にコメントを求めるときも、共演している方々が少し緊張している雰囲気になっていました。

「そうか、こんな感じになるねんな」と。友だち同士の集まりで、ワイワイしているときでなく、真面目な会議や話し合いのときに、こういう間違いをしてしまったら、周りの人はこれほど気をつかわなければならないんだな。そして、この言い間違いをしたコメンテーターの方の【いず的】以降の発言も、どこか説得力が欠けるように聞こえてしまうのです。おそらくこの方は、「意図的=いず的」とずっと勘違いしてこられたのでしょう。たった一言の勘違いですが、これによって印象がずいぶんと変わってしまいます。

だれにだって間違いや勘違いはあります。どちらかというと、私もあまり言葉を知らない方で、何度か恥ずかしい思いをしてきましたし、これからもするでしょう。何十年もこうだと信じてきたものが実は全然違っていたってことはよくありますよね。それこそ漢字の書き方や読み方なんてたくさんあると思います。このブログにだって、間違った言葉遣いをしているところが何か所もあるかもしれません。

ただそれを、公の場で言ってしまうと、周りの人に気を遣わせてしまったり、信頼をしてもらいにくくなったりします。

たとえば就職の面接の試験や討論の場で、このような間違いをしてしまったら、採用してもらいにくくなりますよね。「こんな言葉も知らないのか」と思われますので、やはり良い印象を与えることができません。そう考えると言葉をたくさん知っているというのは、とても強力な武器になりますよね。

棋士の藤井四段は、とても難しい言葉を使って表現されますよね。正直私にはわからないことが多いです(笑) この方と同じレベルになる必要はないでしょうが、やはり小・中学校で学ぶ言葉くらいは知っていた方が絶対に得をしますね。

テレビでのコメンテーターの方で、何かについて話をするときに、これでもかとばかりに英語を多用する人がいますよね。「そこは、わざわざ英語で言わなくても日本語でええやん」と思うときはよくありますが、ああいうのも1つの武器ですよね。一般の人にとっては、専門用語に聞こえて、専門家らしいと思わせることもでき、説得力が増しますよね。

学校でもそうですが、社会に出るとますます話す力というものが求められます。それは話し方というよりは、話す内容です。しゃべりのプロではないのですから、スラスラとたまに冗談を入れながら話す必要はありませんが、何を伝えたいのか、何を言いたいのか、それができないと社会に出てから苦労する場面が多くなります。そういった意味では、近年の子どもたちは心配です。本を読まない(マンガすら)、そして会話もしない。国語の読解ができていない子どもが増えてきているというニュースをよく目にしますが、読解というよりは、言葉そのものを知らない子どもが増加しているのでしょう。言葉を知らなく、そして会話にも慣れていないため、自分の気持ちや言いたいことをうまく相手に伝えることができなく、そして長い会話ができません。

普段からたくさん会話をするだけでも、言葉の使い方や、言葉の意味、そして何かを伝えるためにはどういう順序で話すのがよいのかを学べます。そして、勘違いしている言葉があれば、会話の相手がそれを注意してくれ、その場で正しい言葉を覚えることができます。確かに本を読むというのは、小中学生にとってはハードルが高いかもしれませんが、会話をすること、できるだけ友だち同士という同じレベルの人たちとだけでなく、両親など自分より言葉をよく知っている人との会話を続けるだけでも効果はずいぶんと現れると思います。子どもに「勉強しなさい」と勉強させることも大切ですが、もっと親子間での会話を重視するような生活も必要なのではないでしょうか。

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同じ方向を目指して

2017-11-25 10:22:23 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

学習塾の講師として働いてもうすぐ20年になりますので、これまでたくさんの子どもたちを指導させてもらうことができ、そして多くの子どもたちと仲良くなることができました。話すのが苦手だった私が、話好きになったのは、子どもたちの存在があったからこそなんです。

生徒だけでなく、講師として一緒に働いてくれた人もたくさんいました。ほとんどが大学生の方でしたので、私とは年齢も離れていましたが、ずいぶんと慕ってくれ、授業の後、夜遅くまでワイワイと話をすることも何度もありました。もともと、かなりいい加減な性格ですので、働きにくかったとは思いますが(たとえば、問題集の解答を決まった場所に置いていなかったので、生徒の答え合わせをするときに、講師のみんなはまず必死で解答をあちこち探しまわってくれていました)、みんな文句も言わずに途中でやめることもなく、大学を卒業するまで働いてくれました。そんな彼らとは今でも連絡を取り合ったり、会って話したりしています。

先日、ある卒業生と会いました。彼は卒業生でもあり、一緒に働いた講師の仲間でもあります。彼が入塾してくれたのは中学1年生のときでした。とても真面目な性格で、さらに負けず嫌いなところもあり、「これだけの量の宿題はさすがにできんやろう」というほどの宿題を出しても、頑張って毎回してくれるのでとても驚いたことを覚えています。そんな真面目で努力家の彼が無事高校合格し、これでお別れやなと少し寂しく思っていたところ、「高校生になっても、ここに塾に来たい」と言ってくれました。当時の塾は小・中学生対象にしており(理由は、私がもう高校の勉強をほとんど忘れてしまっていたから)、「嬉しいんやけど、月謝を頂けるほどの指導はできないわ」とお断りしたところ「自習のような形になってもここの塾に来たい」と言ってくれましたので、彼が私が指導した初めての高校生となったのです。

その後見事大学に合格し大学生になった彼は松下塾の講師として来てくれることになりました。大学を卒業するまでの4年間一緒に働くことができ、彼とは生徒時代と合わせて10年間の付き合いとなりました。塾のシステムや私の考え方など、完全に理解してくれていましたので、一緒に働きやすく私もずいぶんと助けられました。

一方で、10年も毎週のように顔を合わせ、授業が終わった後には、教育のことから社会問題、そしてプライベートなことなど様々な話をすることで、彼は私の影響を少なからず受けたと思います。10代の多感な時期ですし、なおさらだったでしょう。

私は前述の通り、かなりいい加減な性格で、「まあ、なんとかなるやろう。まあ、いっかあ」というところがあり、私自身は長所でもあるとおもっているのですが(笑) 一方、彼はとても真面目な性格で、というより真面目すぎるところがあり、それが原因でしんどくなってしまうこともあったと思います。それが、私と10年も一緒に過ごすうちに、私のいい加減さが、彼をだんだんと侵食していき、大学を卒業する頃には、いい加減さだけでなく、考え方や価値観なども私と似るようになっていました。彼にとってよかったかどうかは、わかりませんが(笑)

そんな彼も、今では立派な社会人となっており、私では到底できないような仕事をこなしています。真面目な部分を残しながらも、いい加減さを兼ね備えた、ある意味最強の人種になりつつあります(笑)

彼は塾で一緒にいた10年間をとても貴重なものと考えてくれていて、今でも教育問題や子どもの学力についてもかなり関心を持っています。「必要であれば、いつでも声をかけて下さい。すぐにでも転職してONE-Sで働きます」と言ってくれてます。彼ならきっと、私と同じように、私以上にしっかりとしてくれるでしょう。うーん、後継者問題はこれで安心安心。

組織やネットワークがきちんと機能するためには、損得ではなく理念で繋がってる必要があると私は考えます。目指す方向が異なる人たちとでは、組織はもちろん、ネットワークすら機能しなくなるでしょうし、なにより長続きしません。社会の役に立つ組織ができたとしても、それが持続可能でなければ意味がありません。そういった意味では、彼のように同じ志を持った人こそが貴重な存在であり、理想的な組織やネットワークを構築する上で必要不可欠な人なのです。

私にとっては、私が指導してきた子どもたち、そして一緒に働いてきた講師の人たちは大きな宝です。ONE-Sそのものを大きくするのではなく、幅広いネットワークを作っていくためにも彼らの助けが必要になるでしょう。みんなー、また力を貸してくれよー!

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おい!そこのメガネ!

2017-11-23 10:50:23 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

ONE-Sでは黒板授業はいっさいなく、完全個別指導で、同じ時間帯に生徒は最大3人までですので、私語が多くなったりはしませんし(話すときは生徒同士ではなく、私と話しています)、生徒1人1人の様子を細かく見ることができます。ですがこれが黒板授業で、30人以上の生徒にわかってもらおうとなると、それは大変な作業であることは想像できます。それが塾ではなく学校ですとなおさら、やる気のない生徒もいるでしょうし、寝ている生徒、しゃべっている生徒など考えただけでもしんどいですね(^_^;)

先生もいちいち注意していると授業が進まなくなってしまいますし、もし怒ったとしても、今度はその間真面目に授業を受けていた生徒が嫌な気持ちになりますよね。ですから、先生たちもどうやったら全員が真面目に授業に取り組んでくれるのだろうと試行錯誤しながら頑張っておられるのだと思います。

私が高校に入学してすぐにこんなことがありました。悪夢のような中学校の3年間がようやく終わり、「ここで中学校時代の失われた3年間を取り戻そう」と合格してから、もうあの中学校には行かなくてもいいんだという嬉しさでいっぱいでした。入学式が終わり授業が始まってからも学校やクラスの雰囲気も中学校時代とはまったく異なっていて、おだやかーな空気に包まれていました。

どの教科でも最初の授業は先生が自己紹介されて、こんな感じで授業は進めていきますよーという説明など軽い内容の授業で終わったのですが、忘れもしません、それは保健体育の最初の授業のことでした。

教室に入ってきた先生は、身長も180ほどあり、いかにもスポーツができそうな男の先生で、他の授業と同じように自己紹介の後、授業の進め方などの説明をされていましたが、突然「おい!そこのメガネ!」という怒鳴り声が教室に響きました。先生の方を見ると、なんだか私の方をにらんでいるようでしたが、何も悪いことはしていないはずなので自分ではないと思い、周りにメガネをかけている子がいないかキョロキョロしていると、もう一度「お前やお前!そのメガネのお前や!」と怒鳴ってこっちに近づいてきました。

目の前に来たその先生に「おい!立てっ!」と言われたので、よくわからないけれど立ち上がった瞬間に、胸ぐらをつかまれ、教室の後ろの壁までその状態で壁ドンされ、そのまま廊下に連れていかれました。なんでこの先生はこんなにもブチ切れているのか、まったくわからなかったのですが、胸ぐらをつかんだまま「お前、さっきよそ見しとったやろ!」と怒鳴られました。「ああ、そういえばちょっと窓の外のグランドの方を見てたかな」とそのとき気づきましたが、それにしても「なんでそれだけのことで、ここまでされなあかんねん」と思いながら「ちょっと窓の外を見ていました」と返事をすると、「メガネとれ~!」と叫び始めたのでしかたなくメガネをはずすと、その瞬間プロレスラーの蝶野選手のようなビンタがとんできました(笑)。

その後教室に戻されましたが、みんな何がおこったのかわからなかったのでしょう、静まり返った状態でした。だってやられた私ですら何が起こったのか理解できなっかのですから(^_^;) 授業が終わってからクラスのみんなが集まってきて「いったい、何があったん?」と聞いてきましたが「いやいや、ようわからんねん。ちょっとよそ見しとったら、いきなりブチ切れてきて、ビンタされたんや。なんやねん、あの教師」と答えるしかなく、私がビンタされたのが廊下でしたので、他のクラスの子もこの事件の現場を見ていたそうで(あんな大声で怒鳴っていたら聞こえますよね)、その日のうちに学年全体に「あの保健の先生めっちゃ怖いらしいで。メガネの子がしばかれたらしい」という話が広まりました。

それから私のクラスはもちろん、他のクラスでも保健体育の授業はシーンと静まり返っていて、居眠りや私語はもちろん誰一人なかったです。その先生の「ぶちかまし」が成功したんですね。最初の授業で見せしめに、ちょっと調子の乗ってそうな生徒をガツンと怒ることで「この先生は怒らせたらヤバい。」という印象を植え付けたかったのでしょう。そりゃ先生はそれで気持ちよく授業ができたかもしれませんが、その見せしめに選ばれた私はたまったもんじゃないですよね(怒)。

中学校時代にさんざん先生の理不尽さに失望と絶望していた私は、この事件でさらに先生に対して敵対心を持つようになりました。これっぽっちも、よそ見していて悪かったとは思えなく、ただ先生の都合のいい道具として扱われたのだという怒りしか残らなかったです。結局高校生活は楽しく過ごせましたが、先生たちとは3年間うまくいかず、特に3年生のときには先生との対立がひどくなりました(どの先生に対しても不信感しかありませんでした)。

結局こういった「ぶちかまし」作戦は、その先生は気持ちよく授業ができるでしょうが、いい方法ではありません。というのも、緊張状態を保ったまま何時間も授業を受けることなんて普通の人間はできませんので、保健体育の授業で力を使い果たした生徒は、他の授業で集中力が切れて寝てしまったりします。授業にストレスを感じると、それがどこか違う場所で発散されるのです。授業が崩壊するのはよくありませんが、ほどほどの緊張感、どちらかといえばリラックスしている状態で授業を受けるのがベストではないでしょうか。まあ、そういう授業を学校でするのは、ほぼ不可能なんでしょうね。

ONE-Sでも、この点については気をつけており、いかにリラックスした状態で真面目に勉強に取り組める空気を作り出すかというところを重視しております。そう考えると私の目指している塾というのは、私が学校で経験してきたさまざまな嫌なことや非効率的なことの真逆を進んでいるように感じます。うーん、学校での嫌な経験が今役立ってるのかなー。だからといって、これまでの先生たちに感謝なんてまったくありませんが(笑)特に「おい、メガネ!」の先生だけは絶対に許しません(笑)

道路が汚いのはどうしてだろう

2017-11-21 11:09:01 | 教室から
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

小学生や中学生のとき、友達と一緒にいて「あれ?」って思ったことはありませんか?

たとえば、私の場合は「先生にだけでなく、友達にもきちんと挨拶するなあ」「人の悪口言わへんなあ」と感心することもあれば、「信号無視めっちゃするやん」「ゴミ箱探さずに、めっちゃポイ捨てするやん」「道路につば吐きすぎやで。何歳やねん!」と腹立つこともありました。

その頃は深く考えていませんでしたが、年齢を重ね、いろいろな人と出会い、そしてまた、こうして塾という仕事をすることで、多くの子どもたちと関わるようになって改めて感じることは、子どもは親や家庭の影響を受けるもんなんやなあということです。

言葉遣いや口癖、食べ物などの好み、考え方や価値観なども似ていることがありますね。ある年頃までは家族との時間が圧倒的に多いのですから、当たり前かもしれませんね。私の場合も、母親がとても教育熱心で「勉強できる子=いい子、素晴らしい子」といった価値観を持ってましたので(もちろん今では変わりましたが)、当然勉強はたくさんさせられましたし、私も母と同じく「勉強がすべて」というような考え方を持っていて、正直勉強できない同級生たちを見下していたところはありました。今考えるとめちゃめちゃ嫌な奴ですね。そりゃ友だちができなかったのは当たり前です。

「最近の子どもは・・・」とよく言われますが、子どもは周りにいる人、特に大人を見て成長していきます。最近の子どもがどこかおかしくなっているだとしたら、その一番大きな原因は大人にあるのでしょう。

街を歩けば、お菓子の袋や空き缶、タバコの吸い殻などゴミだらけ。これって子どもだけではないですよね。道路にゴミやタバコをポイポイ捨ててる大人、唾を吐きまくってる大人、店員さんに大声で怒鳴っている大人・・・たくさんいます。一番信じられないのは、自分の子どもと一緒にいるときに、そういう行為をしている親です。それを見た子どもは、一番身近な先生である親がしていることなんで、この行為は別に間違ったものではないんだと思ってしまいます。いけない行為だとわかったとしても、親もしていることなのでそれほど悪いことだとは考えず軽い気持ちでしてしまっています。子どもの最初の善悪の判断は親の影響が最も大きいのです。

だからといって、すべてのことを言葉で子どもに伝えていくことは難しいです。だから、行動で大人は子どもに示さなければなりません。

子どもがスマホばかりで全然勉強もしない・・・お母さんやお父さんがスマホに夢中になっていませんか? 子どもとの会話よりもスマホの時間が多いということはありませんか? 食事中や移動中にスマホを見ていませんか?

子どもが学校の先生の言うことをきかないし、暴言をはく・・・ご家庭で先生の悪口を言っていませんか?ご両親が先生に敬意を示さないと、子どもは先生のことをなめてしまいます。親子喧嘩や夫婦喧嘩のときに、つい使ってはいけない言葉を使っていませんか?


子どもが何に対してもやる気がない・・・やる気がでるような話をされていますか? 誰かと比較したり、子どもの気持ちを聞いてあげずに押し付けてばかりいませんか?

生徒が言うことをきいてくれない・・・生徒に信頼されるような言動をしていますか? 子どもたちはわかっていますよ。目の前にいる大人が信頼できる人かそうでない人かを。

ご家族だけでなく、もちろん学校の先生や私たち塾の講師もそうです。子どもが自分たちの真似をするものだという自覚を持って接するべきです。といっても、そんな堅苦しいことではありません。私だって、子どもたちのお手本になるような人間ではありませんし(反面教師にはなりますが(笑))、出来の良い人間でもありません。いつもいつも正しいことを言ったり、行動しているわけでもありません。ただ1つ心がけているのは、子どもたちは私と接することで少なからず私の影響を受けるはずです。だから、こういうことをする大人、こういう言葉を使う大人にはなってほしくないなと思うことは、絶対にしませんし言葉にもしません。ときには、調子に乗っていろいろとおバカな話もして、生徒から「先生。それはむちゃくちゃや」と注意されることもありますが(笑)、私なりに線引きして自信を持って子どもたちと向き合っているつもりです。

子どもの変化を社会の変化のせいだけにするのではなく、私たち大人が気づき、正していくことも必要かと思います。

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