こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-Sの塾長の松下です。
何か重たいものを押したり、引っ張ったりして動かすときに、動き始めるまではめちゃくちゃ大変だったが、いったん動き始めると、意外とそれほど力をいれなくても簡単に動かせるという経験をされたことはないでしょうか?
これは、物理の法則で、簡単にいうと静止しているものを動かすために必要な力は「静止摩擦係数」、動き出してから必要な力は「動摩擦係数」というものが関係します。そして、「静止摩擦係数>動摩擦係数」であるため、静止している物体を動かす力の方が、もうすでに動いている物体をその速度で動かし続ける力よりも大きな力が必要になるのです。
日本の社会というのは、基本的に休憩することが難しい仕組みになっています。小学校~中学校の9年間は義務教育で、ここまでは全員がすでに敷かれたレールの上を足並みをそろえて歩くことが求められます。そして中学卒業後、ようやく自分の足で歩けるようになるのですが、ここでも高校に進学するのが当たり前という風潮ですので、子どもの感覚としては、自分で選択したというものではなく、義務教育の延長という意識の方が圧倒的に強いでしょう。そして高校卒業後はすぐに就職するか、大学・専門学校に進学するのかを決めなくてはなりません。うーん、あわただしいですね。さらに、進学した場合は卒業後すぐに就職を決めなければなりません。卒業して2、3年ボーっとしていると、就職先が新卒のときと比べて激減してしまいます。
少し休憩をしていると、自分の置かれている状況がどんどん悪くなってしまい、またそれを許してもらいにくい社会ですから、疲れてきたり苦しくなったりしても立ち止まることができなく、必死で歩き続けるのです。ですが、だれもがみな、疲れや苦しみに打ち勝って歩き続けることができるほど強くありません。力尽きて立ち止まってしまう子どももいるのです。少し休んでまた歩き続けることができればいいのですが、「立ち止まること=いけないこと、許されないこと」と信じて歩いてきましたので、それでも立ち止まってしまうということは、完全にエネルギーを使い果たしてしまっていて、もう1歩も前に進むことができない状態になってしまっているのです。
疲れたり、しんどくなったらすぐに休んでもいいというのを認めてしまうと、それこそ社会や学校が成り立たないのはよくわかります。過剰になってしまうとただの甘やかしになってしまいますから。
私たち大人の役目としては、子どもの状態がどれくらいなのかをしっかり把握することではないでしょうか。子どもが疲れやストレスでSOSを出しているのに気づかずに、無理に歩き続けさせた結果、長期のひきこもりになることはよくあることです。他の子ができているのだから、自分の子も大丈夫ではなく、他の子は他の子、自分の子は自分の子でまったく異なった人間です。子どもは自分が苦しいことや辛いことを口に出しては言えないのです、特に親に対しては。それは、恥ずかしいということもあるでしょうが、自分がこういう状況になっているということを親が知ってしまったら、親を悲しませてしまう、失望させてしまうと考えているからです。だから、誰にも言わずに、もう限界なのに頑張り続けた結果、エネルギーが切れて、そしてそうなってしまうと親を悲しませてしまうという思考ができるほど力も残っていませんので、親の言うことも聞かなくなり、ただ自分自身に絶望してしまうのです。
こうして完全に止まってしまうと、次に動き出すためのエネルギーは今まで使ったことがないくらいの大きなものが必要となってきます。ちょっとやそっとではビクともしません。動くのに必要なエネルギーがたまるのを待つしかありません。
そうなってしまう前に、子どもの様子が少しおかしいなと感じたときには、子どもの気持ちを聞いてあげたり、少し休ませてあげたりしてあげなければなりません。そうするだけで、子どものエネルギーがまた充電され、無理なく歩くことができます。大切なのは、調子がいいときには走らせてあげればいいのですが、調子が悪いときには少しくらい歩く速度が遅くなってもいいんだよということを子どもに伝えることではないでしょうか。ゆっくりでも動けている間は、少しのエネルギーでまた走り出すこともできるはずですから。
ONE-SのHP
何か重たいものを押したり、引っ張ったりして動かすときに、動き始めるまではめちゃくちゃ大変だったが、いったん動き始めると、意外とそれほど力をいれなくても簡単に動かせるという経験をされたことはないでしょうか?
これは、物理の法則で、簡単にいうと静止しているものを動かすために必要な力は「静止摩擦係数」、動き出してから必要な力は「動摩擦係数」というものが関係します。そして、「静止摩擦係数>動摩擦係数」であるため、静止している物体を動かす力の方が、もうすでに動いている物体をその速度で動かし続ける力よりも大きな力が必要になるのです。
日本の社会というのは、基本的に休憩することが難しい仕組みになっています。小学校~中学校の9年間は義務教育で、ここまでは全員がすでに敷かれたレールの上を足並みをそろえて歩くことが求められます。そして中学卒業後、ようやく自分の足で歩けるようになるのですが、ここでも高校に進学するのが当たり前という風潮ですので、子どもの感覚としては、自分で選択したというものではなく、義務教育の延長という意識の方が圧倒的に強いでしょう。そして高校卒業後はすぐに就職するか、大学・専門学校に進学するのかを決めなくてはなりません。うーん、あわただしいですね。さらに、進学した場合は卒業後すぐに就職を決めなければなりません。卒業して2、3年ボーっとしていると、就職先が新卒のときと比べて激減してしまいます。
少し休憩をしていると、自分の置かれている状況がどんどん悪くなってしまい、またそれを許してもらいにくい社会ですから、疲れてきたり苦しくなったりしても立ち止まることができなく、必死で歩き続けるのです。ですが、だれもがみな、疲れや苦しみに打ち勝って歩き続けることができるほど強くありません。力尽きて立ち止まってしまう子どももいるのです。少し休んでまた歩き続けることができればいいのですが、「立ち止まること=いけないこと、許されないこと」と信じて歩いてきましたので、それでも立ち止まってしまうということは、完全にエネルギーを使い果たしてしまっていて、もう1歩も前に進むことができない状態になってしまっているのです。
疲れたり、しんどくなったらすぐに休んでもいいというのを認めてしまうと、それこそ社会や学校が成り立たないのはよくわかります。過剰になってしまうとただの甘やかしになってしまいますから。
私たち大人の役目としては、子どもの状態がどれくらいなのかをしっかり把握することではないでしょうか。子どもが疲れやストレスでSOSを出しているのに気づかずに、無理に歩き続けさせた結果、長期のひきこもりになることはよくあることです。他の子ができているのだから、自分の子も大丈夫ではなく、他の子は他の子、自分の子は自分の子でまったく異なった人間です。子どもは自分が苦しいことや辛いことを口に出しては言えないのです、特に親に対しては。それは、恥ずかしいということもあるでしょうが、自分がこういう状況になっているということを親が知ってしまったら、親を悲しませてしまう、失望させてしまうと考えているからです。だから、誰にも言わずに、もう限界なのに頑張り続けた結果、エネルギーが切れて、そしてそうなってしまうと親を悲しませてしまうという思考ができるほど力も残っていませんので、親の言うことも聞かなくなり、ただ自分自身に絶望してしまうのです。
こうして完全に止まってしまうと、次に動き出すためのエネルギーは今まで使ったことがないくらいの大きなものが必要となってきます。ちょっとやそっとではビクともしません。動くのに必要なエネルギーがたまるのを待つしかありません。
そうなってしまう前に、子どもの様子が少しおかしいなと感じたときには、子どもの気持ちを聞いてあげたり、少し休ませてあげたりしてあげなければなりません。そうするだけで、子どものエネルギーがまた充電され、無理なく歩くことができます。大切なのは、調子がいいときには走らせてあげればいいのですが、調子が悪いときには少しくらい歩く速度が遅くなってもいいんだよということを子どもに伝えることではないでしょうか。ゆっくりでも動けている間は、少しのエネルギーでまた走り出すこともできるはずですから。
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