個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

チャレンジテストの問題点①~変わりすぎる大阪の入試制度

2017-05-31 17:02:36 | 教育問題
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

6月の中旬には、3年生のチャレンジテストがあり、各中学校や塾でもその対策を始めているのではないでしょうか。もちろんONE-Sでもチャレンジテスト対策をしますが、個人的にはこの欠陥だらけの制度を早くなくさなければならないと思っています。

考えてみれば、大阪の公立高校の入試制度はコロコロ変わっています。私ですら混乱するほどですから、中学生はもちろん、その保護者の方々も勘違いされていることが多くなっています。最近ですと、公立高校の普通科が前期でも後期でも受験できるようになりました。詳しいことは書きませんが、この制度も普通に考えればよい点など何もなく、悪い点だらけの改革でしたので、わずか数年でこの制度はなくなりました。もちろん良くするために制度を変えているのでしょうが、もっと慎重に議論して実行に移してもらいたいと強く願います。なぜなら、その制度変更によって一番影響を受けるのは子どもたちなんですから。どういう決定方法をしているのか知りませんが、現場の声などを取り入れているとは思えないですね。

そこで今回のチャレンジテストです。

本題に入る前に、大阪の公立高校の入試制度について簡単に説明します。大阪では、中学校での成績(内申点)が9教科で450点、本番の入試の得点が5教科で450点の合計で900点満点で合否判定されます。細かく言えば、高校によって内申点と当日の入試の得点の比率が5:5だけでなく3:7や6:4になったりします。(3:7の高校は、内申点が270点、当日の入試が630点の合計900点満点となります)。いずれにせよ内申点が入試の合否に大きくかかわるということは、ご理解いただけると思います(7:3の高校なんて、ほぼ内申点で決まってしまいますから)。

そしてこの内申点の決め方ですが、以前は各科目10段階で相対評価によって各中学校が決めていました。学年全体の上位3%が10点、下位3%が1点となり、次の4%が9点と2点になるという仕組みでした。この相対評価の欠点は、中学校間の学力レベルの差によって内申点が大きく変わってくることです。たとえば、生徒数が100人のA中学とB中学があったとします。同じテストを実施したとしてA中学は100点が3人で99点が4人いました。B中学は90点~100点が1人もいなくて最高得点が80点でした。この場合、A中学では内申点が10点3人、9点が4人と決まっているため、98点とっていても内申点は8点になってしまいます。一方B中学では80点でもトップですので、内申点はもちろん10点もらえるわけです。98点の生徒が内申点が8で、80点のの生徒の内申が10になってしまうのです。大阪の入試における内申点の比重はとても大きいので、さすがにこのようなことがあっては公平性が保てないので、ようやく大阪でも数年前に相対評価から絶対評価に変わりました。

ですが、この絶対評価も問題がないわけではなく、評価基準が中学校によってばらつきが出ます。現在は内申点は10段階だけではなくて5段階となっていますが、中学校によっては内申点の1がほとんどいなくて4や5の生徒が半分以上の学校もあれば、その逆の場合もでてきます。学校によってテスト内容が違いますので、その難易度によってもずいぶんと内申点に差がでてきてしまいます。すごく簡単な試験の90点と難しい試験の90点を同じ評価にするのは問題がありすぎます。こういった不公平を正すために導入されたのがチャレンジテストだと思います。

内容としては、簡単に言うとチャレンジテストで20点しかとれなかった生徒は、学校の定期テストでいくら90点以上とっていても、内申点は5や4はもらえず、3以下になってしまうというものです。つまり、すべての生徒が同じテストであるチャレンジテストが学力を評価するのに最も適しているため、チャレンジテストの結果を重視して内申点が決まるのです。そうすれば、学校間で定期テストの難易度が違っていても、より公平な内申点がつけれるのではないかというものなのです。

私は以前から中学校間の学力差が大きな問題で、通っている学校が異なれば内申点も異なってしまうというのは制度としておかしいとずっと思っていましたので、そういった意味ではそれをなくそうとするチャレンジテストの導入は賛成なのです。問題は、きちんと議論してから導入していないのではないかと思われるほど欠点が多いことなのです。

続きます。

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ボランティアから感じること

2017-05-30 16:30:53 | 活動報告
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

一昨日は、NPO法人 堺 子育て・教育ネットワークの定例会議に出席してきました。会議ではさまざまな活動をどうやっておこなっていくかなどを話し合ったり、方向性を決めたりみんなが自由に発言できる場となっています。私も教育についての意見をみなさんに聞いたりすることがあります。どうしても、私のように塾の講師だったり、学校の先生だったり教育に関わっている人だけでは、気をつけていても偏ってしまう傾向がありますので、教育関係者でない彼らの意見というのは、とても参考になることが多いです。この日は、毎月おこなっているボランティアのイベントを何にするかなどの議題が中心でした。

私が感じたのは、とにかく「すごいな」ということです。彼らはみな、それぞれ別々の場所で働いています。そして仕事が休みの日に、こうして会議に参加したり、ボランティアのイベントに参加するだけでなく、企画・準備・運営などすべて行っています。中途半端な気持ちではなかなかできないことだと思います。実際に、同じイベントに参加していたボランティアの団体はすべて撤退してしまいましたから。ですが、それを批判しているのではなく、冷静に考えればそうなるだろうなと。長い期間、仕事をしながらボランティアをクオリティを維持しながら続けていくというのは、ほぼ不可能ではないでしょうか。こういったボランティアの活動で、本当に救われている方も多いと思います。もちろん厳しい審査などは必要だと思いますが、本当にいいことをしている方たちが継続できるようなサポートを行政ができるようになっていけばいいのですが。

私は毎回そういったイベントに参加することができませんが、会議などに参加させていただいたり、時々お手伝いに行かせてもらったときなど、とてもいい刺激をもらえます。ボランティアで頑張っている人たちを知ることで、もっともっと頑張らなくては、という気持ちになります。ボランティアだからできること、仕事だからできること、それぞれの良さがあります。お金をいただいているからこそ、絶対に手を抜かずに、全力で取り組んでいくという初心をいつまでも忘れないようにしてくれている、そういう会議に参加させてもらえることは私にとってとても有難いことです。会議などに参加できたときには、私なりの意見や考えをできるだけ伝えて、より有意義なものにしていくことで恩返しできればと思っています。
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したいことが見つけやすい場所に

2017-05-27 17:20:56 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日、塾の卒業生と食事する機会がありました。彼は卒業してもう10年近くになって大学院生となっていますが、今でも年に数回連絡をくれて、ちょくちょく話をします。中学生の頃から勉強はとても優秀で、特に数学に関してはすばらしい才能があったと思います。どんな問題に対しても解けるまであきらめない粘り強さと、独特の方法で解を見つける発想力やひらめき。中学3年生の受験期には、もう私など抜かされていたのではないでしょうか。

高校に入学してからも、数学や物理の成績は良いことは聞いていましたので、大学進学は理系の工学部か医学部かそのあたりに進むものだと思っていましたが、彼は文系の学部を選びました。かなり意外なことでしたが、話を聞いてみるとなるほどと思いました。彼は小学生の頃からの将来の夢があり、それを実現するには他の学部では難しいとのことでした。受験には得意な数学や物理ではなく、どちらかといえば苦手な科目で勝負しなければならない道を選択しました。当然受験勉強は苦労しましたが、努力と根性で突破し、今は夢の実現にもう1歩のところまできています。大好きだった数学は、学校の授業で習うことはありませんが、趣味というか気分転換として今でも問題を解いたりしているようです。私と会うときにもよく数学のクイズやパズルのような問題を持ってきてくれます。ほとんど解くことはできませんが(笑)。

自分の得意なものや好きなものが、自分のしたい仕事になるのが理想ですが、なかなか現実にはそうなっている人は少ないでしょう。ただ、得意だからといって好きでもない仕事を選ぶよりは、不得意なことであっても自分が本当にしたい仕事や人生をかけれる仕事を選ぶことは素晴らしいことなんだと彼と会うといつも感じます。情熱はいといろなものを乗り越えることができる原動力になりますし、大学まで進んだとしても、そこまでわずが20年です。卒業後、定年の時期まで40年もあります。40年という時間を有効に生きていくためには、楽しく仕事ができるというのは大きなカギとなりますね。

高校生などからよく理系か文系かどちらに進んだ方がいいのか、また大学の学部をどれにすればいいのかの相談をされます。そのときにはいつも「将来何したいんや? 具体的じゃなくてもいいから言ってみ?」という話からします。そうやって進むべき道がだんだんと決まってくる子もいますが、なかなか決まらないことの方が多いです。将来のことなんてわからない、どんな仕事があるのかわからない、そういった返事が多いですね。確かに学校で授業を受けているだけでは、世の中にはどんな職業があって、どんな仕事をするのか教えてもらえる機会はほとんどないですもんね。将来したい仕事を見つけるきっかけがないのですから、高校生や大学生になっていきなり職業見つけろと言われても困ってしまいます。やりたいことが見つからないまま適当に就職して、「これは自分のしたい仕事じゃない」と気づいても、なかなかやり直すことが難しいのが日本の社会です。ですから、日本ではなおさら、したい仕事が見つけることができるようなきっかけを多く与えてあげる場を作っていかなければいけないように感じます。そして、私たちのように子どもと関わっている人間も、自分の価値観だけを子どもに押し付けるのではなく、いろんな可能性を考え、一緒に寄り添って見つけていくというサポートをしなければいけないと思います。

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ひきこもりについて⑥~今だから思えること

2017-05-26 16:32:42 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

長くなりましたが、ひきこもりについての最後の回になります。

塾の仕事を始め、経営も軌道に乗って来てすべてが変わったように感じました。人と話すこともそれほど得意ではありませんが(塾の講師としてそれはどうかと思いますが(笑))、どちらかというと楽しいと感じますし、将来の自分に対して不安になることもなくなりました。あの悪夢のような、ひきこもっていた時間はいったいなんだったんだろうかと、たまに考えたりします。

塾での仕事も、初めの2年ほどは問い合わせの電話がかかってくるとドキドキしました。問い合わせの電話をいただくのは嬉しいことなのですが、うまく話せなかったらどうしようとか、頼りないと思われたらどうしようとかいろいろ考えてしまってました。塾に来ていただいて直接お話をするときは、緊張しすぎて汗だくになることもありました。しかし、3年を過ぎたころから、生徒たちに冗談を言って笑わせている自分がいたり、保護者の方と緊張せずにリラックスして話をすることができている自分に気づきました。

ですが、上手に話せるようになったわけでもなく、積極的に発言できるようになったわけではありません。自分にとって塾が居心地のいい場所になっただけのことだと思います。以前書いたように、「松下塾」は立ち退きによって閉鎖しなければならなくなり、今のONE-Sを開校するまで約1年間無職の時期がありました。その間に、いろいろな活動をされている企業やNPO法人の方とお話させていただく機会があり、会議などにも出席させてもらえたのですが、自分でもびっくりするくらい緊張してうまく話せないんです。また、3ヵ月ほど小学校の学童保育のアルバイトをしましたが、このときもスタッフの輪になかなか入ることができず、仕事も早く覚えることができませんでした。そして今年の3月に、大阪狭山市で講演をさせていただきました。それほど多くの人数ではなく約40人ほどの前で30分話をしたのですが、この日の数日前からものすごく緊張して何度も何度も録音して話す練習をしたにもかかわらず、当日もいくつか話がとんでしまうほど緊張していました。

つまり、ひきこもっていた時期と基本的な能力はほとんど変わっていないのです。滑舌はよくありませんし、話も上手ではありません。ただそれを認めて受け入れることができるようになったことが大きな違いです。いろいろな方と話をさせてもらったり、講演などを聞いてくださった方は、「話をすることに、そんな悩んでいた人とは思えないよ。すごく話がわかりやすかったし、聞きやすかったです」と言ってくださります。もちろんお世辞で言ってくださっている部分もあるのでしょうが、おそらく自分が気にしているほどひどくはないのでしょう。そうでなければ18年も塾の講師なんてできていませんよね。もともと話すことに対してコンプレックスを持っていて、それが就職試験の面接や集団討論で失敗したことによって、ものすごく大きな欠点だと思ってしまったのです。誰だって人前で話すときは緊張しますし、うまく話せないときぐらいあるはずや、今になってようやくそう思えます。

ひきこもっていた時間は、私に多くのことを教えてくれました。そういう意味では、ひきこもっていた時間は無駄ではなく、私がいろんな部分で成長したり、自分にとって居心地のいい場所を見つけるために貴重な時間だったと言えます。こうして働けることの喜び、何もすることがない時間の辛さ、仕事があり忙しいことがどれほどありがたいことなのか、ひきこもっていなかったら気づけなかったことかもしれません。

不登校のこどもたちはもちろん、成人してひきこもっている人も多く知っています。私の場合はこういった経験によって社会に出ることができましたが、これがすべての人にあてはまるはずもありません。ですから、「こうすれば絶対に大丈夫」「その気持ち、すっごくわかるよ」などとは言えません。不登校にしても、ひきこもりにしても、自ら好んでその道へ進むケースは少ないはずです。にもかかわらず、その道を選ぶしかなかったのは、それ相応の理由があります。他人からしたらちっぽけに思われるようなことでも、本人にとってはとてつもなく大きな問題であり、頂上の見えない山が立ちふさがっているようなものなのです。それを「そんなことで悩むなよ」と「甘えすぎやろ」というのは、私にはできません。

社会に出て生きていくには「人間力」というものが必要だと思います。現在の日本のひきこもりや不登校の人数を考えたとき、何かがおかしくなっていて、何かを変えていかなければならないことは明確です。不登校やひきこもりの問題を、「ただの甘え」とするではなく、誰にでも起こりうる問題であり、それらを生み出さなくするにはどうすればよいか、それを解決することでどれほど社会全体の利益になるのかを考えていかなければいけない時期だと思います。



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ひきこもりについて⑤~塾のスタート

2017-05-24 15:36:06 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

ひきこもりについて書こうと思ったとき、自分の経験をいれることが必要だと感じ書き始めましたが、ずいぶんと長くなってしまい申し訳ありません。もう少しで終わりますので最後までお付き合いください。

約3ヵ月間のオーストラリアでの生活は初めの2週間ほどは不安で不安でたまらなく、もう日本に帰ろうかと何回思ったかわからないほどでしたが、それ以降はとにかく楽しく一度もホームシックにはならないほどでした。帰りの飛行機の中でぼんやりと「日本帰ったら何しようかなあ」と頭に浮かびましたが、それよりも「もう一度必ずオーストラリアに行こう!」という気持ちが強かったのは覚えています。

関空に到着したときになって、家族にお土産を買っていないことに気づきました。これはまずいと思って、関空のお店で適当に何か買って帰ろうと思い、お店に入りました。「いらっしゃいませ」という言葉が聞こえてきた瞬間、ものすごーくホッとした感覚におおわれ、「うわ、話してる言葉めっちゃわかる!」と嬉しくなりました。気がつけば、その店員さんと少しの間雑談していたのです。あれほど家族以外と話をすることができなかた私が、見知らぬ店員さんと笑顔でしゃべれたのです。このときに、おそらく私の中では何かが変化していたのだと思います。

「何かしたい。オーストラリアに行く前の生活には戻りたくない」そう強く思いました。ですが具体的に何をすればよいのか思いつきませんでした。帰国したのが4月だったのでもう1度公務員試験というのも考えましたが、当時私は26歳になっており年齢制限などで受験資格のないものが多く諦めました。また、民間企業なども職歴のない(2週間だけはありますが)26歳の私など採用してくれないだろうと思い就活をする気にはなれませんでした。そんなとき、高校時代の友人から選挙に出るから手伝ってくれないかという連絡がありました。選挙はもちろん、政治のことなんてまったくわかりませんでしたが、時間はたっぷりあるし、何かしたい気持ちも強いし、なにより友だちが頼ってくれてるのが嬉しくその日から毎日その友人の事務所に顔を出すようになりました。とにかく少しでも役に立ちたいという気持ちから、早朝の街頭演説の周囲でビラ配りしたり、ポスティングしたり、事務所の掃除をしたりと無我夢中で手伝っていました。そうしているうちに、こんな職歴や社会経験のない私でも役に立ててるんだという喜びとともに、同級生の友人がこんなにも頑張っているんだから、自分ももっと頑張ってみようという勇気がどんどん湧いてくるようになって、ますます何かを始めたいという気持ちが強くなりました。

その年の12月頃だったと思いますが父親から「お前、塾やってみないか?」と言われました。私は少しも迷うことなく「やってみる」と返事しました。ちょうど父親が事務所として借りていたアパートの隣の部屋が空いたから、そこを使えばいい。家賃などの初期費用はなんとかしたるから。私の家は決して裕福ではありませんでした。それでも3兄弟を大学に行かせてくれて、そのせいで父親はかなりの借金を背負っていました。そんな父親がそこまで言ってくれた言葉はとてもありがたく、今もずっと心に残っています。オーストラリアへ行ったときと同じく、このときもほぼノープランでした。塾を始めるといってもどこから始めればいいのかなにもわからず、思いついたことから始めていきました。本棚やソファなどは高校時代の友人がプレゼントしてくれ、チラシは自分で作って印刷したものを、また友人が一緒にポスティングしてくれました。こうして、多くの人に支えてもらいながら「松下塾」という塾を始めることができたのです。はたして生徒が集まるかという不安はありましたが、こうして社会に出てスタートラインに立てたという喜びが大きかったです。そして初めて入塾してくれた生徒(今でも顔と名前をはっきり覚えています)から、お月謝をいただき、授業が終わった後その月謝袋からお金を取り出した時のあの喜びは一生忘れません。「よっしゃー!」と何度もガッツポーズをしました。言葉では表現できないほどの、感動と喜びといろんな感情が全身からふきでてくるような、そんな瞬間でした。

あと1回続きます。
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