こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
少し前になりますが、中学3年生の25%が教科書レベルの基本的な読解力が身についていないというニュースがありました。これまで、このブログでも書いてきたように、近年深刻な学力低下問題について心配していましたが、これは限られた地域だけでなく日本全国共通の問題になっているのだと改めて問題の大きさに気づきました。
これはおそらく教育現場にいる人間にしかわからないことですが、世間のみなさんが考えている以上に問題は深刻です。読解力というと、なにやら難しいように感じますが、簡単に言えば教科書を読んでも何を書いているのかわからないということです。
もちろん程度の差はありますが、中には数学の文章問題や社会の問題であっても、何を質問されているのかわからないというレベルの子どももたくさんいます。読解力と言うか、語彙力がなさすぎて何を書いているのかが理解できないのですね。
そもそも義務教育とは何のためにあるのでしょうか。まずは、国として国民が一定の水準を維持することで発展につながる。国家としてまとまって成長するためには、一定の基盤となる資質をもった国民を育成することが必要です。また、個人として考えた場合、人それぞれが人生をよりよく生きていく土台をつくるという意味もあります。よりよく生きていくというのは、いいかえれば社会で自立して生きていくことだとも言えます。
こうして考えた場合、義務教育を終えた時点で教科書レベルの文が理解できないというのは、国にとっても本人にとっても悪い影響しかなく、義務教育の本来の目的が達成されておらず、ただ9年間が終わりましたというだけになっているのです。
さらに問題なのは、このような状態の子どもであっても、高校に進学は十分できますし、大学にさえ合格することができるということなんです。高校や大学に行って、いったい何を学ぶというのでしょうか?義務教育の勉強がほとんど理解できていないまま、高校や大学に進学したとして、基礎学力が上がるはずもありません。時間だけが経過し、基礎学力のないまま社会に出ることになります。そこで困るのは、その本人でしょうし、結果的に国家の停滞にもつながります。
私が言いたいのは、学力の低い子どもは高校に行くなといっているわけでもなく、受験戦争という競争を煽っているわけでもありません。義務教育でしなければいけないことが、できなくなってきていることが明らかなんですから、一刻も早く改革をしなければいけないということです。そうしなければ、一番の被害者は子どもたちです。
義務教育の期間を9年間にする必要はあるでしょうか? 人にはそれぞれ得意不得意があります。義務教育の内容を6年間でマスターできる子もいれば、10年以上かかってしまう子もいます。でもそれでいいんじゃないでしょうか? 時間がかかってしまう子どもはいじめられますか? 「自分はできない人間だ」と落ち込んでしまいますか?
私はそうは思いません。それならば高校の偏差値なんか全部なくせばいいんです。現実に高校のランク一覧のようなものがある中で、「子どもに競争させるのはよくない」などと叫ぶのは無意味です。勉強ができない子どもが落ち込んだりしているとしたら、そういう価値観を与えている大人が原因です。
現在のように学力低下が問題になってから、もうずいぶんと時間が経過しています。大きな改革もしないまま、ほったらかしにした結果どうなったでしょう? 学力の二極化が進み、特に学力の低下がひどく、高校やさらに大学の授業でも信じられないほどレベルの低い授業をしている学校もあります。学級崩壊は当たり前のように起こり、小学校、中学校だけでなく、高校でも授業にならない学校もあります。そして日本の経済は良くなったでしょうか?国際競争に勝つことができているでしょうか?
今のシステムだと、最低限の水準に到達できない子どもが増えるだけでなく、優秀な人材も育ちにくくなっています。このままにしておくと、さらに10年後にはえらいことになるでしょう。何が小学校からの英語授業ですか、何がプログラミング授業ですか!もっと変えなくてはいけないことが山ほどあります。
まずは、社会に出て困らない最低限度の学力をしっかりと義務教育で身につけるようにすること(最低限度というのは議論が必要でしょうが)。何年かかってもそれを身につけるまでは卒業できないようにします。かわいそうではありません。身につけずに卒業させる方がかわいそうなんです。逆に早くマスターできた子どもは5年であっても義務教育は終了でいいんじゃないでしょうか。
義務教育を終えて、さらに勉強したい子どもが高校、そして大学に行く。学力が高くても低くても関係ありません。学びたいと思う子どもが進学すればいいのです。もう勉強はしたくないという子どもは、就職のための専門学校に行く。それを自由に選ばせてあげればいいんですよね。勉強をしたくもない、やる気もない子どもが高校や大学に行くから、学級崩壊が起こったりするんです。「いい仕事に就くためには大学くらいは卒業しないといけない」という幻想をはやく壊すべきです。すべての職業が大卒が有利なわけがありません。ましてや、ほぼ試験なしで合格できる大学卒がそこまで価値があるはずもありません。大学に進学せずに、専門学校で経験を積んだ人の方が採用されやすい職業もだんだんと増えてきています。
勉強をしたい子どもには、義務教育を終えてもしっかり支援する。もっともっと勉強しやすい環境を作ってあげる。そうではない子どもには、無理に勉強させるのではなく、別の道に行くことも教えてあげる。大学に進学することがすべてで、そうしなければ負け組になるという風潮ができていますが、絶対にそんなことはありません。そういった間違った考え方を子どもに押し付けてはいけません。日本の大学の数は約800もあります。1990年代と比較しても300校ほど増加しています。少子化が進んでいる中、これは異常な数字だと思います。「とりあえず大学だけは」という流れの中で増加しているのでしょうが、当然質も低下しますし、すべての大学を支援するというのはあまりにもリスクが大きいと感じます。
偏差値の高い高校や大学に進学したいという生徒の気持ちは素晴らしく、私も全力でその実現のために指導しています。一方、なんとか学校の勉強についていきたいと頑張っている生徒の気持ちも同じくらい素晴らしく、同じく全力で指導しています。一生懸命頑張っているという面ではどちらも同じくらい素晴らしいのであって、学力が高いからとか低いからとか関係ないんです。問題は今の文科省の教育方針ですと、どの子どもにとっても、その頑張りが報われにくく、効率も非常に悪いということです。
もっと現実を見て、将来のことを考え、真剣に教育について話し合っていきませんか?
子どもたちのためにも、日本のためにも。
ONE-SのHP
少し前になりますが、中学3年生の25%が教科書レベルの基本的な読解力が身についていないというニュースがありました。これまで、このブログでも書いてきたように、近年深刻な学力低下問題について心配していましたが、これは限られた地域だけでなく日本全国共通の問題になっているのだと改めて問題の大きさに気づきました。
これはおそらく教育現場にいる人間にしかわからないことですが、世間のみなさんが考えている以上に問題は深刻です。読解力というと、なにやら難しいように感じますが、簡単に言えば教科書を読んでも何を書いているのかわからないということです。
もちろん程度の差はありますが、中には数学の文章問題や社会の問題であっても、何を質問されているのかわからないというレベルの子どももたくさんいます。読解力と言うか、語彙力がなさすぎて何を書いているのかが理解できないのですね。
そもそも義務教育とは何のためにあるのでしょうか。まずは、国として国民が一定の水準を維持することで発展につながる。国家としてまとまって成長するためには、一定の基盤となる資質をもった国民を育成することが必要です。また、個人として考えた場合、人それぞれが人生をよりよく生きていく土台をつくるという意味もあります。よりよく生きていくというのは、いいかえれば社会で自立して生きていくことだとも言えます。
こうして考えた場合、義務教育を終えた時点で教科書レベルの文が理解できないというのは、国にとっても本人にとっても悪い影響しかなく、義務教育の本来の目的が達成されておらず、ただ9年間が終わりましたというだけになっているのです。
さらに問題なのは、このような状態の子どもであっても、高校に進学は十分できますし、大学にさえ合格することができるということなんです。高校や大学に行って、いったい何を学ぶというのでしょうか?義務教育の勉強がほとんど理解できていないまま、高校や大学に進学したとして、基礎学力が上がるはずもありません。時間だけが経過し、基礎学力のないまま社会に出ることになります。そこで困るのは、その本人でしょうし、結果的に国家の停滞にもつながります。
私が言いたいのは、学力の低い子どもは高校に行くなといっているわけでもなく、受験戦争という競争を煽っているわけでもありません。義務教育でしなければいけないことが、できなくなってきていることが明らかなんですから、一刻も早く改革をしなければいけないということです。そうしなければ、一番の被害者は子どもたちです。
義務教育の期間を9年間にする必要はあるでしょうか? 人にはそれぞれ得意不得意があります。義務教育の内容を6年間でマスターできる子もいれば、10年以上かかってしまう子もいます。でもそれでいいんじゃないでしょうか? 時間がかかってしまう子どもはいじめられますか? 「自分はできない人間だ」と落ち込んでしまいますか?
私はそうは思いません。それならば高校の偏差値なんか全部なくせばいいんです。現実に高校のランク一覧のようなものがある中で、「子どもに競争させるのはよくない」などと叫ぶのは無意味です。勉強ができない子どもが落ち込んだりしているとしたら、そういう価値観を与えている大人が原因です。
現在のように学力低下が問題になってから、もうずいぶんと時間が経過しています。大きな改革もしないまま、ほったらかしにした結果どうなったでしょう? 学力の二極化が進み、特に学力の低下がひどく、高校やさらに大学の授業でも信じられないほどレベルの低い授業をしている学校もあります。学級崩壊は当たり前のように起こり、小学校、中学校だけでなく、高校でも授業にならない学校もあります。そして日本の経済は良くなったでしょうか?国際競争に勝つことができているでしょうか?
今のシステムだと、最低限の水準に到達できない子どもが増えるだけでなく、優秀な人材も育ちにくくなっています。このままにしておくと、さらに10年後にはえらいことになるでしょう。何が小学校からの英語授業ですか、何がプログラミング授業ですか!もっと変えなくてはいけないことが山ほどあります。
まずは、社会に出て困らない最低限度の学力をしっかりと義務教育で身につけるようにすること(最低限度というのは議論が必要でしょうが)。何年かかってもそれを身につけるまでは卒業できないようにします。かわいそうではありません。身につけずに卒業させる方がかわいそうなんです。逆に早くマスターできた子どもは5年であっても義務教育は終了でいいんじゃないでしょうか。
義務教育を終えて、さらに勉強したい子どもが高校、そして大学に行く。学力が高くても低くても関係ありません。学びたいと思う子どもが進学すればいいのです。もう勉強はしたくないという子どもは、就職のための専門学校に行く。それを自由に選ばせてあげればいいんですよね。勉強をしたくもない、やる気もない子どもが高校や大学に行くから、学級崩壊が起こったりするんです。「いい仕事に就くためには大学くらいは卒業しないといけない」という幻想をはやく壊すべきです。すべての職業が大卒が有利なわけがありません。ましてや、ほぼ試験なしで合格できる大学卒がそこまで価値があるはずもありません。大学に進学せずに、専門学校で経験を積んだ人の方が採用されやすい職業もだんだんと増えてきています。
勉強をしたい子どもには、義務教育を終えてもしっかり支援する。もっともっと勉強しやすい環境を作ってあげる。そうではない子どもには、無理に勉強させるのではなく、別の道に行くことも教えてあげる。大学に進学することがすべてで、そうしなければ負け組になるという風潮ができていますが、絶対にそんなことはありません。そういった間違った考え方を子どもに押し付けてはいけません。日本の大学の数は約800もあります。1990年代と比較しても300校ほど増加しています。少子化が進んでいる中、これは異常な数字だと思います。「とりあえず大学だけは」という流れの中で増加しているのでしょうが、当然質も低下しますし、すべての大学を支援するというのはあまりにもリスクが大きいと感じます。
偏差値の高い高校や大学に進学したいという生徒の気持ちは素晴らしく、私も全力でその実現のために指導しています。一方、なんとか学校の勉強についていきたいと頑張っている生徒の気持ちも同じくらい素晴らしく、同じく全力で指導しています。一生懸命頑張っているという面ではどちらも同じくらい素晴らしいのであって、学力が高いからとか低いからとか関係ないんです。問題は今の文科省の教育方針ですと、どの子どもにとっても、その頑張りが報われにくく、効率も非常に悪いということです。
もっと現実を見て、将来のことを考え、真剣に教育について話し合っていきませんか?
子どもたちのためにも、日本のためにも。
ONE-SのHP