個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

写真やイラストだけで興味を持たそうというその考えが甘い

2018-10-25 10:37:47 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

楽しく勉強することができればいいのですが、それが本当に難しいですね。ONE-SでのHPやチラシでも「楽しく勉強できるように」という言葉を使っていますが、私自身が学生時代に「楽しく勉強した」経験がないので、それを実践するのは難しいです。

勉強を楽しくといっても、その子の学力はもちろん、興味のあることなどは異なりますので、みんなにとって楽しい授業というのは無理でしょうね。

これまで学校の勉強がほとんどわからなかった子にとっては、何か一つでもできる問題が増えるのは楽しく感じるでしょう。数学の計算であっても、なぜこの方法で答えが出るのか、その理由がわからなくても、計算の手順とパターンを暗記して、教科書やワークの計算問題ができるようになれば十分喜びを感じることができます。とにかく自分の力で答えを導き出すことができる、その事実が嬉しいのです。

逆にとても学力が高い子にとっては、全体授業は退屈に感じたり、同じような計算問題の繰り返しは楽しくないでしょう。何度やってもできるとわかりきったことを続けるのは苦痛でしょうし、そこに意味を見出すことは難しいでしょうから。こういった子に対しては、より高度な問題にチャレンジしてもらったり、教科書に載っているような解き方ではなく、まったく別の解き方を説明したりすることで、「楽しさ」を感じ取ってくれる場合もあります。

ただ1つ言えることは、どんなタイプの子であっても、授業を面白いと思っている子はほんの一握りしかいないということです。勉強熱心な子も、面白いから熱心に聞いているわけではなく、簡単にいうとテストでいい点数をとりたいから聞いているだけなんですね。

私はたまにテレビで歴史の番組を見ています。学生のときに「信長の野望」というゲームがあって、そのゲームがとても面白く、おかげで多くの戦国武将を覚えることができ、歴史に興味を持つことができました。だからゲームをさせるべきたとかいう話ではなく、入り口はいろいろあるんだということを知るのは大事だということです。

ですがそんな歴史に興味があった私でも、学校の授業はやはり面白くありませんでした。年号を覚えたり、ただ事件や人名を覚えたりするだけで、なんのための勉強か当時からよくわかりませんでした。話が少しズレましたが、私が時々見ている歴史の番組はそんな勉強とは正反対で、あることが起きるまでの流れや、いろんな人の思惑、そして様々な説などを映像を交えて解説してくれます。別に覚えようと思って見ていませんが、自然に頭に入ってきますし、そもそもこれって覚えないといけないことなんだろうかと疑問が湧いてきます。

「社会は暗記科目だから」本当にそうなんでしょうか?暗記するために社会の勉強をしているのでしょうか。私はそうは思いません。暗記させるのであれば、もっと日常生活に必要なことなんて他にいくらでもあります。そっちを暗記させてテストすればいいんですよね。暗記のためだけの社会の授業なら、こんなもの早くなくしちゃえばいいと思います。

百歩譲って、人物名や年号などの暗記のテストを続けていくにしても、今の授業形式は決していい方法だとは思えません。学力も意欲も高い子は大丈夫でしょうが、そうでない子が簡単に覚えることができるはずもありません。どうしてかというと、教科書が絶望的につまらないからです。本が好きな子でも社会の本を読んで「おもしろい」とは感じないと思います。さらに限られたページ数の中に詰め込んでいくので、どうしても説明が中途半端でわかりにくい。予備知識がない子だったら読んでもちゃんと理解できないと思います。特に昔と違って、スマホが普及し本やマンガを読まない子がたくさんいます。そんな子たちに、あの絶望的につまらない教科書を読んで理解しろという方が無茶だと思います。

教科書の改訂のたびに、イラストや写真がどの科目も増えています。それで子どもたちを楽しませて興味がわいてくるはずだと思っている上の人の感覚を疑います。文の中身は何も変わらずイラストや写真だけが増えている。そして最悪なのは、イラストや写真が増えたせいで、それもテストに出題される可能性があるため、それらも暗記しないといけない。子どもたちのよけいは負担が増えているだけなんです。

理科も実験結果の写真とイラストを教科書に載せているだけで、実際に実験をしないことも多くあります。実験もしていないのに、「この物質は赤色に変化する」「発生する気体は刺激臭がある」「実験を続けていくと水溶液の色が薄くなっていく」ということだけを暗記していきます。これで覚えろというのが無茶ですし、実験結果がそうなる理由を考えることなんて不可能です。実験の目的や意味なんてだれもわかっていません。ただ覚えるだけの作業をしているのです。

少なくとも、社会や理科の教える内容をこのまま続けていくなら授業形式は変える必要があります。私が学生だった30年前と同じ授業をしていることの方が驚きです。せめて、もっと映像を利用した授業はできないものでしょうか。歴史の流れなども映像の方が伝わりやすいですし、理科の実験もするのは無理でもせめて映像で見せてあげた方が断然わかりやすいはずです。そうすることで、授業をする先生の負担も減るでしょうし、一石二鳥だと思うのですが、やはり難しいのでしょうかねえ。

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地球の歴史と比べれば

2018-10-22 10:32:52 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

以前の塾でもそうでしたが、ONE-Sを立ち上げてから特に、いろんな方から「松下さんは、いつも楽しそうですね」と言われるようになりました。確かに、仕事が忙しいときは体が痛くなったり、もう少し睡眠がほしかったりなどはありますが、基本的に仕事は楽しく、適度に趣味の映画を見たり、ゲームをしたりする時間もありますし、年に何回か旅行にもいけていますので、今の生活に特に不満はありません。

「悩みなんてないんじゃないですか?」「後悔したことないでしょ?」
いや、それは言いすぎです。私を何者だと思っているんですか?(笑)
私にもそれなりに悩みはありますし、後悔だってします。

たとえば、「昨日の菊花賞どうして最後の最後にあの馬を買うのをやめたんだろう。直前まで買うと決めていたのに」「このコースはディープインパクトが強いとわかってたのに、なぜ買わなかったんだろう」などと、競馬では毎週のように後悔しています(競馬しない人にはわけわからないですね、すいません)。

競馬はともかく、私たちは生きていく中でたくさんの経験をし、そして数えきれないほど多くのことを学びます。それらを自分の判断の基準にして、生きる道を選択していきます。「あのとき、こんな失敗をしてしまったから、次はこうしよう」失敗したことや痛い目にあったことの反省をいかしていくのです。

気をつけなければいけないのはそれは、自分の経験の中での基準ですので、まったく逆の考え方を持っている人もいるということです。このような人たちが議論すると平行線をたどり、不毛な結果になることが多くありますよね。でも、それでいいんじゃないでしょうか。自分の中で正しいと思うもの、それは自分が経験した中で得た貴重なものであり、それに自信を持って生きていくということはとても大切なことだと私は思います。でもそれは、できるだけ自分の心の中にとどめておいた方がいいのではないかとも思います。

みなさんが、まだ子どもだった頃、親や学校の先生からアドバイスをもらったとき、どう思いましたか?すべてに対して「なるほど、その通りやな!」と素直に受け入れたましたか?特に人生の先輩風を吹かせて「そのままやったら社会でたら絶対通用せんぞ!」「俺はお前らより経験が豊富なんやから、俺の言うことの方が正しいんや!」などと言われたときには、おそらく「何いってんねん!」と反発したことの方が多いのではないでしょうか。

確かに人生経験が豊富で社会のこともより詳しく知っている目上の人からのアドバイスはとても役に立ちます。ですが、それが100%正しいかといわれると、決してそうではないと私は思います。だれであろうと、自分が生きてきた中だけでの判断しかできないのですから、大人だって知らないことの方が多いはずです。しかも、時代というのは変化していくものであって、さらに最近は加速度的に移り変わっていますので、10年前の常識が今は通用しなくなっていることなんていくらでもあります。

そういう意味では、すでに大人たちが子どもたちに伝えているアドバイスが「古いもの。現在では通用しないもの、あるいはもうすぐなくなってしまうもの」である可能性は否定できません。

先日あるドラマでこんなシーンがありました。生物学者が森林にいるリスの生態を研究していました。そのときリスが生息している範囲がある道路を挟んで、一方の側に集中しているということに気づきました。同じ森林の中なのに、その細い道路の向こう側にはリスが生息していないのです。そこで彼は考えました。「この道路は人間が作ったものだ。だからリスはこの道路を渡ることができないのだろう。だから、道路を通らなくてもいいように、道路の反対側にある木と木と枝で結んで、橋のようなものを作れば、リスは向こう側に渡ることができるのではないか」と。

なるほど、自然で暮らすリスにとっては人工的なものは完全な異物であり、警戒をしてしまうでしょう。リスがその危険を冒してまでわざわざ向こう側に行くとは考えにくい。だから自然の物を利用して橋を作ってあげればリスは渡れるからつくってあげよう、導いてあげよう。

しかし、これこそが思い込みかもしれないのです。以前本やテレビで人間の自然破壊によって動物が住むことができる場所が減っているというのを見たことがあるぞ。そうか、これも人間のせいでリスが住みにくくなったはずだ。こう考えるのは自然で純粋な考え方なんでしょうが、もしかしたらそれは狭い範囲の知識しか持っていないことが原因で大きな誤解をしている可能性もあるのです。リスには道路の向こう側に行きたくない理由が別にあるのかもしれません。それが何なのかはドラマの続きを見ないとわかりませんが、これって私たちの世界の中でもよくあることです。ただ1つ確実に言えることは、橋を作ることによってリスに向こう側に行ける選択肢を増やしてあげることは大切だということです。しかし、その橋を利用するかどうかはリスの判断に任せなければなりません。

子どもたちは知っている世界が狭いです。だから、こんな道もあるよと教えてあげることは大人の役目です。ただし、大人の思い込みでこっちの道が正しいからこっちに行けと命令する形であってはいけないと思います。

そこに悪意はなく善意しかないのですか、ある価値観を押し付けることで逆に不自由さを与えてしまったり、おかしな方向に導いてしまったりしてしまうこともあるんです。ただリスと違って、人間は会話できる動物です。話し合うことができる唯一の動物です。だからもっと話をしましょうよ。もっと気持ちを聞いてあげましょうよ。大人も子どもも人生経験に多少の違いはありますが、長い地球の歴史と比べればどっちも同じくらい未熟なはずです。だからこそ。もっと協力し合って一緒に話し合い見つけていくことが必要になってくるのではないでしょうか。


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公立高校の入試制度も見直すべきでは

2018-10-15 10:04:35 | 不登校
おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

他の地域でも同じかもしれませんが、大阪の高校受験は私立高校と公立高校のどちらかを選んで受験します。入試の時期は私立が2月上旬で、公立が3月上旬となっています。受験の仕方は、私立一本にしぼって受験する専願と、私立と公立の両方を受験する併願と2通りあります。私立専願のメリットは、多くの私立高校では専願の方が併願の受験生よりも合格基準点が低いため合格しやすくなります。

受験生は行きたい学校が私立なら専願で、公立なら私立をすべり止めにして、併願で受験するというどちらかを選びます。

私立か公立かを選ぶときに、重要なポイントの1つとして、その受験制度の違いがあります。公立高校では、中学校での内申点と本番の入試の得点の合計で合格が決まるのに対して、私立ではほとんどの学校で内申点は関係なく、本番の入試の得点のみで合否が決まります。ですので、定期テストの点数はよかったけれど、副教科の実技が苦手だったり、提出物を忘れていたりして内申点が5教科の学力と比べて低くなってしまった子は、公立受験では苦戦してしまいますので、私立専願にすることはよくあります。内申点は3年生の2学期の終わりには、だいたいわかりますので、それまで公立志望だったのに、あまりの内申点の低さで私立専願に切り替えた生徒も何人もいました。

副教科の実技が苦手なために高い内申点がもらえなくて偏差値の高い公立高校に受験できなくなる今の制度には疑問がありますが、それについては以前に書きましたので今日は別の問題点にふれます。

公立高校という選択肢がなく、私立専願の道しか選べない子がいるんです。それは不登校の子です。不登校の生徒は、出席していませんし課題も出していません。そして定期テストも受けていません。ですから自動的に成績をつけることができず、内申点が必要な公立高校に合格することはほぼ絶望になります。不登校の子でも、保健室登校をしたり、テストだけは受けに行ったりしている子もいてまして、そういった子は多少の内申点をもらえますが、十分な内申点かと言えばそうではなく、学力に見合った内申点をもらえる可能性は低いです。ですので、この子たちは「頑張って高校から学校に行くんだ!」と決意しても、最初から公立高校を省いて私立高校の中から受験校を探さなければなりません。

「出席もしてないし、テストもちゃんと受けていないねんから、内申点が低いのは当たり前や。ちゃんと頑張って学校に行って、提出物も出している子と差をつけなければ真面目にやってる子がかわいそうや」
すごくよくわかります。私も真面目に頑張っている子が評価される学校でなければならないと思っています。

ですが、学校が原因で不登校になった子もいます。たとえば、同級生による「いじめ」であったり、教師による暴言など。そんな子が同じ学校に行けると思われますか?

行けるはずありません。「いじめた」側の生徒や教師は何のペナルティーもないのに、被害を受けた生徒は内申点ももらえず、公立高校への道が断たれてしますのです。なんなんだ?この制度は?

「いじめ」が原因でなくても、学校に行けない理由はたくさんあります。他人からすると些細などうでもないような理由かもしれませんが、本んからしたら大きな大きな、抱えきれないほどの問題なんです。だれだって、学校に行かないといけないと思っています。でも行けないんですよ。それほどの大きなものを抱えているんです。そんな彼らが「高校からは頑張って学校にも行きたい」と決意しても公立高校には行けないのです。

もっというなら、例えば中高一貫校の中学生が、そのまま高校に上がらず、別の高校に受験したとします。ですが、内申点のつけ方は公立と私立とでは異なります。かなり有利な点数をつけてもらえることもありますし、その逆もあります。しかも、内申点に大きな影響を与えるチャレンジテストを私立中学の子は受けていません。公立の子はチャレンジテストで内申点が大きく左右されるにもかかわらずです。この時点で平等な受験ではないんですよね。

普段の頑張りを評価してあげる内申点というものの存在はあっていいと思います。特に小学生や中学生の間はテストの点数以外のところで評価することは大切です。ですが、あまりにも受験の合否に関わるウェイトが大きすぎて、一度レールから落ちた子はもとに戻れないようになっています。それでますますやる気も失ってしまう子どもがどれだけ多いか!

まだ10代半ばの子どもなんです。やり直すチャンスなんていくらでもあげましょうよ。何か大きな罪を犯したわけでもないんですよ。ただ学校に行かないという選択をしただけなんです。一番傷ついているのは本人です。そんな子どもが、もう一度学校に行こうと頑張っているんですから、それを応援してあげるのが優しい社会なのではないでしょうか?

少子化にもかかわらず、不登校の子どもの数は減少傾向にありません。それどころが増えています。小学校からの英語教育や大学受験の新テスト導入もけっこうですが、もっと根本的な部分の見直しを早急にしないとなにもかもが無意味に崩壊してしまいます。日本の教育の在り方を今こそみんなで考えていかなければならないのではないでしょうか。

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阪南市での講演

2018-10-09 10:55:56 | 活動報告
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

6日の土曜日に阪南市の講演会に参加させていただきました。

阪南市では「不登校・ひきこもり・子どもの居場所を学ぶ」というテーマで今年の7月から講座を連続しておこなわれており、6日にその第4回目の講座が開かれ、その実践ゲストとして私に声をかけてくださり、話をさせていただきました。


今回の私の話のテーマは、「不登校・ひきこもりの問題に、どうやって取り組んでいくか」というようなものではなく、私自身がひきこもっていたときの気持ちや「ひきこもり」になった原因、そしてどうやってその状態から現在に至るかといった、私の経験を中心に「今、ひきこもり時代を振り返って」というタイトルで約40分間話をさせていただきました。

このブログでも何度も書いているように、私は人前で話すのは本当に苦手で、毎回ウソみたいに緊張します。何度もボイスレコーダーを使って練習をするのですが、何度練習しても不安になります。前日も緊張のあまり、ほとんど眠れませんでしたが開始が14時からということもあり、朝が苦手な私にはありがたかったです。

予定より1時間前に着いてしまいましたが、会場に入らせてもらいました。私に声をかけてくださった主催者の方とはそれまでメールでやり取りをしてまして、この日が初対面でした。メールでの文からも優しい方だろうなという印象でしたが、想像以上に優しく、そしてあたたかい方でした。講演会の段取りやを教えてくれたり、私の仕事についていろいろと質問してくださったり、おかげさまでずいぶんと緊張がほぐれたんです、ありがとうございました。

いよいよ私が話す時間となり、マイクを持った瞬間に何から話せばよかったか忘れてしまい、かなり焦りましたが、なんとか思い出すことができ話始めることができました。途中で何度かつまるときもありましたが、基本的には私自身の体験談ですので、当時の気持ちを思い出しながら最後まで話すことができました。私はパソコンなどの機器をうまく使えなくて、このような講演の場でも機器を使わず、ひたすら私の話を聴いていただくという形ですので、会場に足を運んでくださった方々にどれほどお伝えできたかはわかりませんが、その後質問などしてくださる方もいて、なんとかお伝えできたのではないかと思います。

講演会の最後には、みなさんがグループになり、それぞれの感じていることや思っていることなどを話し合う時間があり、そのグループの中に私も入らせてもらいました。いろんな方の意見を聞くことができ、私自身もとても勉強になりました。

「ひきこもり」や「不登校」で悩まれている人って本当にたくさんいます。風邪のようなもので薬を飲めばすぐによくなるというものではありません。ご家族は「この状態がいつまで続くのだろうか。自分たちがいなくなった後、この子はいったいどうなるのだろうか」こんな不安をずっと抱えています。そしてどこかに解決の糸口がないかと、いろんなところに相談したり、こういった講演会に参加したりしています。しかし、一言で「ひきこもり」といっても原因も状況もそれぞれが異なるわけですから、「この方法で大丈夫」なんてものはなかなか見つかりません。

私もなにか役に立つことはできないか、そう思いながら話をさせてもらったり、お話を伺ったりしますが、私1人の力でどうにかできるものでもありません。以前から提案しているように、まずは広いネットワークを作らないといけません。相談できる窓口を増やし、また幅広い専門機関も必要です。

「不登校が多いんやったらフリースクールでもいっぱいつくればいい」「ひきこもりが増えてるんやったら、就労サポートの機関をもっとつくればいい」

そんな簡単な問題ではないんですよね。それらは最低限必要なものであって、十分ではないんです。教育機関だけでしてもだめ、NPOだけでしてもだめ、行政だけでしてもだめ、それらがみんなが協力し合わなけれななりません。情報交換すらできていない現状は、スタートラインにすら立てていないんです。それぞれが独立するのではなく、お互いが同じ方向を目指して手を繋ぎ、協力しないことにはこれからもますます増え続けるでしょう。

適当に予算つくって、何かそのための箱を作るというやり方だけでは、もうどうにもならないという状況になっています。社会構造の問題になっていますので、社会全体が本気で取り組んでいかなければならないと、改めて感じました。

最後に、講演会に声をかけていただきました阪南市尾崎公民館の工藤様、スタッフの皆様、そしてファシリテーターの大阪NPOセンターの大前様、一緒に講演していただいた ワークスタジオ まごころ の梅川様、貴重な場をありがとうございました。私自身のいい経験になったばかりではなく、たくさんの新しい発見があったり、いろいろと考えるきっかけとなりました。またいつでもお声がけしてくださいね。



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今のままでは大事な力が育たないと思うんです

2018-10-03 10:05:58 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

よく言われることですが、「優秀な大学を卒業してしても日本の若者は命令されたことはきちんとするが、自分で何をすればよいか考えることをしない」そうです。外国はどうなのか私は知りませんが、確かに日本人のイメージとしてそういう特徴があるかもしれないなあとは思います。

雇う企業からすると、決められた日までに仕事をきちんと終わらせてくる社員というのはありがたいですよね。予定通りに仕事が進みますし、トラブルになりにくいですもんね。ただ、そういう人間ばかり集まってしまうと、こじんまりまとまっってしまい、大きな発展・飛躍はないように思います。社員が与えられた仕事だけではなく、「ここはもっと改善した方がいい」「この会社に足りないものはこれなんだから、もっとこの分野を強化するべきだ」など自分で考え、それを提案したり改革していこうという人がいることで現状維持ではなく、さらに高みを目指せる企業に発展するはずです。そしてそういう人こそ「仕事ができる人」と評価されるのではないでしょうか。

そういう人間が少ないのは日本の教育の方向の問題だと思います。たとえば日本では小学校の1年生から毎日のように宿題がでますよね。家での勉強の習慣がつくこと、そして基礎学力をしっかりと定着させること、そういう意味ではこれは特に問題なく、これからも続けていけばいいと思うのです。しかし、これが小学生の高学年になっても続き、中学生になれば定期テスト前に大量の課題を与えられ、長期休みにはこれまた信じられないほどの量の宿題がだされます。高校でも同じです。私は小学生の低学年がする宿題と、高学年以降の子どもがする宿題には大きな違いがあると思っています。

小学校に入学して、まずはこれから生きていくために必要となってくる「読み書き」や「数の概念、四則計算」を学び始めます。これが定着しないと、高学年以降の勉強は壊滅状態となりますので、ここはもっと力を入れるべきところです。この時期に学校でも家庭でも、もっと子どもと接して一緒に勉強してあげなければなりません。

しかし、それ以降の宿題は本当に必要でしょうか。与えられた宿題をこなしていく、何の意味があるのか本人はまったくわかっていません。宿題を出さないと怒られるから、出さないと成績を下げられるから、ただそういう義務感でしかたなくしているだけなのです。だから、どんどん勉強することが嫌いになっていきます。学びは本来はもっと能動的であるもので、だから楽しいのです。義務感だけでする勉強なんて好きになれるはずもありません。ゲームだっで毎日決まった時間に絶対にしなくてはいけないというルールをつくれば純粋に楽しめなくなるはずです。

「来週に漢字のテストがある。だから漢字の練習をしよう」「方程式の計算がわかりにくいな。テストまでにもっと計算練習をしよう」このように自分で課題を見つけてクリアしていく。だから達成感があるだけでなく、効果も抜群ですので嫌々勉強することなんてありません。何のためにやってるかわからないということはまったくなく、目的(ゴール)がはっきり見えての勉強ですから本来の学びの楽しさが感じられるはずです。もちろん理想論だということはわかっていますが、それをあきらめてはいけないと思います。

自分の課題が何かを考えることなしに、ただ与えられたものだけをこなしていく。それは塾も同じかもしれません。よく中学受験を経験した子どもたちが、私立中学校に入って大学進学までたどり着いたときに、「大学ではあまり課題を与えてくれないから何をすればよいかわからない」と言うことがあります。中学受験での塾では、それぞれの志望校対策の問題集を十分にさせてもらえ、自習室も与えてもらい勉強はすべて塾任せで受験します。私立中学校に入学してからも、学校が大量の課題を与えそれをこなしていく、それは高校受験で塾に行く場合も同じです。塾が用意した課題を何の疑いも持たず、ひたすらこなしていく。私立学校も塾も受験のプロですから効果のある課題は渡します。ですからそれをきちんとしているとそれなりに成績は上がるでしょう。ですがそれはベターでありベストではないのです。別の方法をすれば、もっと効果はあるかもしれないのに、自分で考えずに与えられたものだけを信じてする。

もっとも、自分で考えようにも、塾や学校が与えすぎているので、考える時間もなく、自分を見つめ直し自己分析する余裕すらありません。

「宿題を出してくれないと勉強できないから、できるだけ宿題を出してほしい」
こういう子どもがどれほど多いか。

「自分は数学のこの分野がわからないから、練習プリントがほしい」「英単語の練習をしたいからプリントちょうだい」こういう形が作れないと、せっかくの勉強の効果も十分に現れなかったり、勉強嫌いが加速していく子もでてきます。

日本人が今の仕事に満足しているかというアンケートを実施したところ、欧米と比べてずいぶんと満足度が低いというデータもあります。日本人が謙虚な人が多いため低めになることを考慮しても、そういう結果になるのは、与えられたことを義務感だけでこなしているせいかもしれません。

私は生徒たちにできるだけ自己分析をしてほしいと思っています。まだ小学生や中学生では難しいかもしれないので「今、何かわからないところはないか?」「学校の授業中で、何か納得できなかったところはないか?」「どんな宿題がほしい?」「テスト前の勉強で、どんなプリントがほしい?」と必ず聞くようにしています。そうすることで自分を見つめなおし、正確に自分の状態を確認し、自分で今何が必要かを考える癖がつきます。それは成績を伸ばすのに効果的であるばかりではなく、今後かれらが大きくなってからきっと役立つ能力になるはずです。

中間テストが近づいてきているから、みんな頑張っていこうぜー!


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