papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・33(18日目2)

2008年01月09日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて18日目、写真は45番岩屋寺近くの観光名所、古岩屋。

久万高原のキャンプ場でむかえた朝は寒かった。
テントを空けると霧で景色がうっすらとしてる。少しすると朝の日差しが差し込んできた。しかし異常に寒かったので再び寝袋に入り込んだ。30分ほどして、太陽光線も十分差し込んできたので、ようやく起床。
まだ少し霧が残っていたが、出発の準備、テントを片付けた。キャンプ場の丘を下山する頃にはすっかり霧が晴れていた。


霧が晴れる前後の風景


出発してから30分ほどで45番岩屋寺の入口に着いた。
岩屋寺は山の中の岸壁に張り付くように建つお寺で、名前のとおり岩屋のお寺だ。お寺の入口から本堂までは徒歩でないと行けず、自転車を登山道入口において、急な山道を歩いて登った。15分程度かな。



よくまあこんなところにお寺を作ったなと思える建造物。お寺には自動車が入れないので、資材はクレーンで釣ったり歩いて運んだと、掃除のおばさんが言っていた。もちろんクレーンで釣った資材の建物は最近の住職さん居住用の母堂のことで、昔からの建物は全て歩いて荷を運んでいるはず。どこの山寺もそうだろうけど、恐れ入る。
朝から参拝客も多い、紅葉の季節なので普通の観光客も沢山来ている。鐘を突いて参拝を済ませ下山した。
岩屋寺周辺の景観「古岩屋」もすばらしいもので、観光気分でいろいろ見ていたら、時間が刻々と過ぎてしまい、10時30頃になってしまった。古岩屋温泉にも入りたかったが開館時刻まで待つ時間はなく、急いで荷物を置いてある久万高原旅行村に舞い戻った、ついでにお昼も早めに済ました。
山菜うどん定食。

12時前に久万高原旅行村に別れを告げ先を急いだ。
今日はお遍路区切り打ちの最終日、松山市内のお寺を廻って、一旦お遍路を終える予定で、松山まで行って可能な限りお寺を廻るつもり。

国道33号線沿い、緩やかな坂道の続く三坂峠を越えると、松山市外の平野を一望できるすばらしい眺め。そのまま国道を下ると松山市街まで一直線だが46番浄瑠璃寺に向かうため途中で一般道にそれた。
みかん畑を横目に急な田舎道を下り、細い道を走ってゆくと46番浄瑠璃寺に着いた。
手早く参拝し、47番八坂寺ヘ向かおうと思ってたら、自動車で廻っているお遍路さん夫婦の旦那さんに「自転車で廻っているんだ?」と、声をかけられて、少し話をした。
自動車お遍路さんのお遍路動機はおかしな内容で、1年ほど前に痴漢の疑いをかけられ、会社を辞めて、誰も信用できなくなったので、神にすがる気持ちで日本全国の寺社仏閣を廻る旅に夫婦で出た、その流れでお遍路も廻っているとか。今まで廻った神社・寺社の数はなんと1000を軽く超えるらしい。
ずっと廻っていると不思議な事にいろいろ相談事を受けるようになって、今は結婚相談の仕事もやっているという話だった。なにやら不幸なようなおかしな話だが、その雰囲気に前向きな意気込みが感じられた。
別れ際に、「これも何かの縁だから」と、小さな飲むお守り(薄い紙のお守り)を頂いた。「必ずあなたを守ってくれるよ」と言っていた。
ありがとうございます、とお礼はしたけども、う~ん、と唸ってしまった。

46番浄瑠璃寺を出て47番八坂寺に向かった。すぐ近くにあり道にも迷わず参拝する。15時が過ぎようとしていたので先を急いだ。
48番西林寺までは多少の距離があった。もう山道は無く、平野のなだらかな田舎道を地図を見ながら進んだ。
人家も増え、見慣れたような平地の都市近郊の風景。大きな橋を渡り、少し走った所に48番西林寺はあった。
お寺はちょうどその日はハワイ移民??年祭りとかで焚き出しが出てTVカメラが来ていた。
大型バスから外国人お遍路さんが多数降り立ち、なにやら珍しいものに楽しげな雰囲気。
お寺のお祭りも楽しそうだったが、時間も押し迫っていたので、参拝後急いで次に向かった。

49番浄土寺。既に街中に入ってしまい、道にも迷いそうになったが、17時ギリギリで到着。参拝客もまばらな中、参拝を済まし、ご朱印を押してもらう。仁王門に一礼をして長かった今回のお遍路が終わった。この49番浄土寺で一旦区切り打ちをするつもりだ。次またいつかリスタートする時は50番繁多寺から。
今日の宿泊地である松山市街にある民宿に向かった。

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