papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・34(18日目3)

2008年01月10日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて18日目、写真は高知の名所「沢田マンション」。


49番浄土寺の参拝を済ませ太陽が西空に落ちかける中、松山市街地まで先を急いだ。今日の宿泊地は、松山市街にある民宿。
松山市街地につく頃にはすっかり夜になっていた。一度来た事がある松山だが民宿がある場所まではわからず、地図と格闘しながら住宅地をずんずん走って行った。こんなとこにほんとにあるのか?と疑いつつ。

住宅地のど真ん中にこれまた普通の家の民宿があった。挨拶を済ませて部屋に通してもらう。部屋はガラス戸で仕切られた個室で、居候のような部屋だった。
素泊まりだったので、近くのファミレスに食事に出かけて、戻った。
お風呂は1人用のシャワー付き風呂があったけど、宿泊客みんなで使うので、しっかり確認してから入ってねとのこと。着替えを持って行ってみると、若い10代くらいの恋人同士が控えのソファーのある待合室でひっそりとお風呂を待っていた。なんだこの民宿は?まるで隠れ家のような雰囲気をかもし出している。
もう一人、50代くらいのおじさんが、風呂上がりのビールを楽しんでいた。
風呂を待つ間、待合室でそのおじさんと話をした。
このおじさんは証券会社の人だった。もうこの民宿に1ヶ月くらい泊り込みで、株券を売るために毎日自転車で何人かの顧客を廻っているとのこと。
証券おじさんの話では、田舎の大金持ちを狙って株を売りつけ、ダーンと儲けると、株券の完全電子化の前に一儲けしようと踏ん張っている最中とのこと。
話の内容は恐ろしいものだった。ある程度絞ったリストから、田舎の街に長期滞在し、適当な顧客の調査から始まり、顧客のお宅・事務所等に毎日通って信用を得て、株を売りつける。その株の値段はある時一気に値を落として、その辺りで儲けるんだとか。どういう仕組みなのかは聞かなかったが、とにかく儲けるらしい。
1回成功するとその売り上げは半端な金額ではなく、うん千万の単位。「田舎のボンボンが狙い目、思いがけない資産を持っとる」「1回落ちると、何回もつぎ込んで、まあその後は悲惨やね」と言っていた。話す事が出来るんだからもちろん違法行為ではないのだろう。
想像できない話ばかりだったので、どこまで本当かはわからないけど、聞き入ってしまった。
1時間ほど話して、シャワーを浴びた。

前に名古屋に仕事で行った時に、飲み屋街の道路には路上駐車場が多くあり、飲酒運転を公然と認める街だなと思って見てたら、昔は自動車業界が飲酒運転事故に対するメディア報道や警察に圧力を掛けてたなんて噂も耳にした。
どんな業界・組織でも己に有利に働くように手を掛けて場合によってはその敵を陥れようとする、ある意味自然な事なんだろう。理解して自らの手を染めるか、理解しないで知らず知らず手伝っているかの違いではないか、と考えたりして、結局うやむやのまま就寝。

お遍路19日目の朝、民宿に別れを告げ、松山市の中心街へと向かった。今日は高知に帰るだけ。すぐ帰るのももったいないので、松山を観光。

コンビニでパンを買って、松山城下の公園で食べて、松山城散策に出かけた。
松山城は平山城で、その山自体が結構大きい。何日か前に見た宇和島城の倍以上はある。城郭の規模も大きく二ノ丸庭園等、広大な敷地に贅沢な施しをしてある。松山城も宇和島城と同じく現存天守閣の一つで、天守は立派だった。石垣も美しい。本丸広場では幼稚園の遠足?おさんぽ一団?が集合しており、にぎやかな雰囲気だった。松山城の詳細は松山市の公式サイトが詳しいのでこちらで。
色々見て周り3時間(それでも物足りなかったが)も散策してしまった。

道後温泉にも行きたかったが、昼過ぎになり、帰りの長距離バスの時刻によっては無理かもと思い、まずはJR松山駅へ。

夜遅くに高知に帰りつくのは避けたかったので、16時の便で帰るとして、残り3時間30分程。飯食ったら残りは3時間。自転車を解体するのに30分。今回は道後温泉は諦めた。
道後温泉は、次、お遍路始める時に行けばいいかと、まあゆっくりするかと松山駅に腰を落ち着けた。
駅のラーメン屋で味噌ラーメンを食べて、食後に近くをぶらぶらした。
ぶらぶら松山駅前を行ったり来たり。
ただ、JR松山駅前ってなんもないんだよね…

予定の1時間前に駅前に戻って、自転車を解体。自転車を輪行袋に詰め込んで、バスを待った。
そのうちバスが停留所に止まり、乗り込んだ。

愛媛の高速道から眺める愛媛の町の風景は瀬戸内のオレンジ色の雰囲気で、穏やかだった。太平洋沿いの高知とは違う。
バスの乗客は少なかった。
しかもほとんどが途中で降りてしまい、夜、高知駅に着いた時には、数えるほどになってた。
高知~松山間の人の交流は少ないみたい。

高知駅で再び自転車を組み上げて、自転車で実家に帰った。
とりあえず、1番霊山寺~49番浄土寺お遍路の区切り打ち一旦終了。

お疲れさま!と。


以下、写真は高知に帰ってから廻った場所の写真。

右上から幕末非業の死を遂げた岡田以蔵のお墓。
以蔵さんのお墓は、沢田マンションの裏手の山の中、獣道のような山道を少し登った所にそれはあった。
そこは、こんな場所に本当にあるのか?と思えるくらいひどい場所だった。
山道を歩き進むと、藪の中にお墓が多数見えてきて、その中で、ひとつだけ新鮮な花にうずめられたお墓があった。
以蔵さんのお墓だった。
お酒も添えられてた。

来た甲斐があったというか、すごくうれしかった。
頭を垂れて、しっかり手を合わせてきました。

山を下りると、所々、蚊にやられてた。

そして下は長宗我部元親の墓と長宗我部家臣の一領具足の六体地蔵。どちらも献花が一杯で、以蔵さんのお墓と共に感動しました。
歴史の片隅でも、それを大切に守ろうとする人達がいる限りは、ほそぼそと語り継がれて、そのうちしっかりとした評価されるのではないか、と思い。願います。


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