星野富弘さんが県内七人目の名誉県民に選ばれた。六月二十日、群馬県名誉県民顕彰式が行われた。その富弘さんの挨拶は、「名誉県民に選ばれたのだから、子供のころ近所のすももを取ってしまったことを黙っておくように、友人から電話がありました」などと言い、会場を笑いでほぐした。「素晴らしい事、大切な宝物は苦しい辛いところからやってきました」というような話をしたと、富弘を囲む会の世話役をしている私の子供の父親から聞いた。
富弘さんの詩画は今、世界中の人に勇気や感動を与え続けている。十数年まえ聾唖者の映画を上映する実行委員会で事務局長をした時に、ある聾唖者夫婦がわすれな草の花を持ってゆき、チケットを富弘さんの絵でつくりたいと直談判したことがある。
もちろん後日のお返事だったが、引き受けてくださった。高崎の上映会にわざわざ勢多郡東村から来てくださった。美しい山々を眺めながら後日私は子供達と私の母と散歩にご一緒させて頂いた。山百合が咲いていた。「この花は夜街のホステスさんのような匂いがしますねー」などと言っていた。わたしの母が「どこか痛いところはないですか」と聞くと、「時々ときめいて胸が痛いんですよ」と答えていた。私の母はきょとんとしていた。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2006年7月13日号より)
富弘さんの詩画は今、世界中の人に勇気や感動を与え続けている。十数年まえ聾唖者の映画を上映する実行委員会で事務局長をした時に、ある聾唖者夫婦がわすれな草の花を持ってゆき、チケットを富弘さんの絵でつくりたいと直談判したことがある。
もちろん後日のお返事だったが、引き受けてくださった。高崎の上映会にわざわざ勢多郡東村から来てくださった。美しい山々を眺めながら後日私は子供達と私の母と散歩にご一緒させて頂いた。山百合が咲いていた。「この花は夜街のホステスさんのような匂いがしますねー」などと言っていた。わたしの母が「どこか痛いところはないですか」と聞くと、「時々ときめいて胸が痛いんですよ」と答えていた。私の母はきょとんとしていた。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2006年7月13日号より)
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