人の身体の大半は“水”でできている事は本で読んだ。子供の頃か学生の頃にも“理科”の授業で習ったと思う。確かに、汗や血液や尿などからも人の身体は水分を多く含んでいる事が解る。1日3食か2食・・・食卓に並ぶ食べ物も水分を多く含んでいるし、食事時以外でも喉が乾けば水分を摂るのが人間だ。水は・・・水の惑星“地球”に生まれる生物にとっては特別なモノと言えよう。動植物や“人”にとっては“いのち”の源である事に変わりはないのだ。
その水は、地球の大いなる自然環境によって生みだされ循環しているモノ・・・大気があって海があって風が流れて、渇いた大地に雨をもたらす。簡単に言えばそんな所であるが、地球は気が遠くなるくらいの長い年月をかけて作ってきた。
人が口にする食材・・・野菜や果物や米・・・それらも水が有るからこそのモノだ。水がなければ植物は育たないが、人も水がなければ生きられない。乾燥した大地に植物が生育できない事と同様に・・・人の皮膚も水分が減って乾燥すると、皮膚の表面がボロボロとはげ落ちたり湿疹が出来て痒みを伴ったりする。頭皮に水分が不足するとパサついた髪にもなる。
では・・・心はどうだろう。イメージとしては潤いがなくなって“渇いた心”と表現される事がある。心の栄養は水ではなくて、友達と過ごす楽しいひと時や、好きな趣味に没頭したり・・・楽しむ事かもしれない。その証拠に嫌な事が起きたり忙しすぎてストレスが蓄積すると、心は楽しい潤いを求めはしないだろうか?
人が生きていく為には水だけではなく楽しい事も必要で、それは心の栄養にもなるんだと思う。でもそれはあくまで人の生物学的なボディに関して言えるだろう事だ。ボクはある人から“水と太陽の光”が不足していると指摘を受ける事が度々ある。水分は食事以外に少なくても2リットル近くは摂っているし、元々ソロ活動を好む傾向なので、時折友人と楽しく過ごす事があれば心が渇く事はない。でも、ある人曰く“エネルギーが足りないみたい”と言われてしまうのだ。
それは心の奥・・・人が持っていると言われる“霊性”と“魂”←スピリチュアルな側面→を指す。ボディと心とは別の深い部分と言う意味で捉えてくれればいい。そのある人には“水辺に行って太陽の光をいっぱい浴びた方がいい”と言われた事がこれまでに何回かある。
ボクの夢には水がモチーフとして登場する事が多い。環境が・・・変わりそう/変わる時・・・や、エネルギーを使い果たして疲れている時には“水”が色々な形で夢の中に出てくるのだ。故に、ある人の言葉は重く心に響く。この数日も・・・新築する前の・・・もう20年近く前に住んでいた家と庭が現れ・・・渇いた庭の土にバケツで水を撒いたり、当時飼っていた犬のステンレスのお椀をキレイに洗って水を入れたり・・・鶏小屋の陶器の水入れを洗ったりしていた。
古いその記憶の夢を見る時には決まって“水”を気にするボクだった。なぜかは解らないけど“魂に水が足りないんだな”っと言うのがよく解る夢だ。
ある人に指摘されたその時は・・・確かにインドアな毎日で疲れきっていて、友人を誘ってカラオケに行って、思う存分歌って楽しく過ごしても一時的で充電出来たわけではなかった。後日、海岸でのんびりと一日を過ごす機会が出来たときの気持ちのいい爽快感は、カラオケで存分に歌って楽しむこととは比べようもない程に違い・・・身も心も“魂も”エネルギーを入れ替えたような違いがあった。なのでボクには特に“水”には深い意味が有るように思うのだ。
生命に水が必須のように、心にも魂にもキレイな水は重要なのだろう。
その水は、地球の大いなる自然環境によって生みだされ循環しているモノ・・・大気があって海があって風が流れて、渇いた大地に雨をもたらす。簡単に言えばそんな所であるが、地球は気が遠くなるくらいの長い年月をかけて作ってきた。
人が口にする食材・・・野菜や果物や米・・・それらも水が有るからこそのモノだ。水がなければ植物は育たないが、人も水がなければ生きられない。乾燥した大地に植物が生育できない事と同様に・・・人の皮膚も水分が減って乾燥すると、皮膚の表面がボロボロとはげ落ちたり湿疹が出来て痒みを伴ったりする。頭皮に水分が不足するとパサついた髪にもなる。
では・・・心はどうだろう。イメージとしては潤いがなくなって“渇いた心”と表現される事がある。心の栄養は水ではなくて、友達と過ごす楽しいひと時や、好きな趣味に没頭したり・・・楽しむ事かもしれない。その証拠に嫌な事が起きたり忙しすぎてストレスが蓄積すると、心は楽しい潤いを求めはしないだろうか?
人が生きていく為には水だけではなく楽しい事も必要で、それは心の栄養にもなるんだと思う。でもそれはあくまで人の生物学的なボディに関して言えるだろう事だ。ボクはある人から“水と太陽の光”が不足していると指摘を受ける事が度々ある。水分は食事以外に少なくても2リットル近くは摂っているし、元々ソロ活動を好む傾向なので、時折友人と楽しく過ごす事があれば心が渇く事はない。でも、ある人曰く“エネルギーが足りないみたい”と言われてしまうのだ。
それは心の奥・・・人が持っていると言われる“霊性”と“魂”←スピリチュアルな側面→を指す。ボディと心とは別の深い部分と言う意味で捉えてくれればいい。そのある人には“水辺に行って太陽の光をいっぱい浴びた方がいい”と言われた事がこれまでに何回かある。
ボクの夢には水がモチーフとして登場する事が多い。環境が・・・変わりそう/変わる時・・・や、エネルギーを使い果たして疲れている時には“水”が色々な形で夢の中に出てくるのだ。故に、ある人の言葉は重く心に響く。この数日も・・・新築する前の・・・もう20年近く前に住んでいた家と庭が現れ・・・渇いた庭の土にバケツで水を撒いたり、当時飼っていた犬のステンレスのお椀をキレイに洗って水を入れたり・・・鶏小屋の陶器の水入れを洗ったりしていた。
古いその記憶の夢を見る時には決まって“水”を気にするボクだった。なぜかは解らないけど“魂に水が足りないんだな”っと言うのがよく解る夢だ。
ある人に指摘されたその時は・・・確かにインドアな毎日で疲れきっていて、友人を誘ってカラオケに行って、思う存分歌って楽しく過ごしても一時的で充電出来たわけではなかった。後日、海岸でのんびりと一日を過ごす機会が出来たときの気持ちのいい爽快感は、カラオケで存分に歌って楽しむこととは比べようもない程に違い・・・身も心も“魂も”エネルギーを入れ替えたような違いがあった。なのでボクには特に“水”には深い意味が有るように思うのだ。
生命に水が必須のように、心にも魂にもキレイな水は重要なのだろう。
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