●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

古い友達

2008年01月21日 | 友達
いつごろだっただろうか。。。

私はあるお母さんと友達になった。息子同士が、同じ部活だったのがきっかけで、仲良くなってお家に行くようにもなったし、部活の応援にもよく誘ってくれた。

私が気分が優れず引きこもっていると、家の前まで迎えに来てくれた。
ちょっと、お節介に近い?と思ってしまいそうだったが、彼女が大きな心の傷を持った人だと知っていたので、だんだんと心を分かち合うようになった。

彼女は、21才の娘さんを飲酒運転事故で亡くされた。無保険車でもあって、トンネル内で避ける事の出来ない、悲しい事故だった。

彼女と仲良くなったのは、娘さんを亡くされてから、一年位経った頃だっただろうか?
まだ、葛藤の中で必死に戦っていた。一緒に精神科に行ったり、お墓に行ったり…。彼女が、他の人と違っていたのは、いろんな理不尽な問題に正面から立ち向かっていた事だ。

他の遺族の人は、鬱病になりながらも、飲酒運転撲滅運動に没頭されていた。彼女も運動はしていたが、積極的にはしていなかった。それより、自分と戦っているようにも見えた。

彼女には、大きな強さと大きな弱さが同居しているようだった。
彼女が持っていた子供観…学歴主義が音を立てて崩れて行ったのだ。

次男が、全く勉強しなくなり、中学校は寝て過ごし、高校はいかなかったからだ。
それは、お姉ちゃんの死が必ずしも原因ではなかったと私は思っている。ただ、同時期に起きたから周囲の誰しもが、結びつけた。

私は、なぜか?その友達の事を思うと切なくなる。誰かや何かでは、埋める事の出来ない強い、枯渇した心の持ち主だからだ。

春…たっくさん花を買ってきて、庭中に花を植え始めた。
そして私が、彼女と別れる時が来た。私の状態が酷くなり、大量服薬した事は、彼女には許せない事だったのだ。

誰にもイエスさまは必要なお方だが、求める心がなければ、イエスさまは無理矢理入って行かれない。そのために自由意思を与えられたのだから。

彼女が、イエスさまと出会えるようにと祈っている。