●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

風見鶏 芯なき我と 思ゆれど 風なる方を 捉えて仰ぐ

2010年11月22日 | 家族
(風見鶏の館・神戸異人館)

風見鶏は、悪い意味で使われる昨今ですが、必ずしもそうではないですね。

誰を見ているか?
そのお方が、確かな方か?
にかかっています。

風なる聖霊の吹く方向を見据えているなら、信念の貫かれた生き方となるでしょう。
間違った人に揺られるなら、本当に影で「風見鶏」と囁かれるでしょう。

信念を持った人は、頑固な人とは違います。
柔軟性を持っている人です。
でも、ここぞ!と言う時には、確かなお方に従い前に進む事が出来るのです。

イエスさまの風に吹かれて、流れて生きて行きたいですね。




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