(創世記17:1)
アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。
「わたしは全能の神である。
あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
今週のメッセージの聖書箇所です。
アブラムに教えられた神さまの自己紹介は、
「全能の神である」でした。
ですからアブラハムは、
「死人を生かし、無から有を生み出される神」(ローマ4:17より)
を信じたんですね。
私は横になってて、ふと思ったのですが、
「自分は、神さまを本当に全能だと信じているのかな?」と。
もちろん、理屈としては信じていますし、聖書を信じています。
でも、現実社会の中で、全能の神を信じた行動をしているのかな?
何でも出来る神さまに期待しているのかな?と。
そして車に乗りながら、心の中で叫びました。
「神さまの全能を見たいです!神さまの全能を見たいです!」
それは、ホントの神さまがどんなお方かを、もっと知りたいって事です。
そしてその前に、先週のメッセージで語られた、
「God is good.All the time.」の愛を信じた上でのことです。
意外に、イエス様を心から信じて、熱心なクリスチャンにも、
神さまの最善を信じていないことがあります。
(って、昔の私ですが・・・苦笑)
愛のゆえに苦悩を与え、練り清め、ぐちゃぐちゃにし、謙遜を身につけさせ、
整えられた有用な器へと、コテンパンに変えられる。。。
(これは私の偏見でした、ははっ(*_*;)
確かに、神さまはそうされる時があるかも知れませんが、
そこには愛と慈しみが覆っています。
アブラムが、アブラハムに変えられるには、
試練を通されなければならなかったかも知れません。
ヤコブが、イスラエルに変えられる時もそうだったでしょうが、
そこには、打たれたイエス様ご自身が覆っておられたと思います。
全能の神さまの時空を超えた偏在ですね。
(注・今気づきましたが私はいわゆる「全能神」とは関係がありません)
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