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「天国で価値ある生き方をしたい!」と思いましたので、
早速、とりあえずは祈りの生活を立て直しています。
でも、棚ぼた式に「無駄ではない生き方」が出来る訳ではありませんから。
しかし、まずスタートしないと始まりませんからね。
4日前から祈りのノートを適当につけて祈り始めました。
祈りの課題と、途中に聖書の言葉を入れて・・・。
で、昨夜、いつものように課題をあげてお祈りしている時に、
ある人(Aちゃん)のために祈っていたら、心にこみ上げるものがありました。
「あーー私はAちゃんを愛していなかった。
私は、自分のことばかりに生きて来て、浮かれて、
Aちゃんのことを愛して来なかった。
そればかりか、私は教会の人々を愛していなかった(T_T)」
と、神さまが私の姿を教えて下さったのです。
「言い訳なら沢山ある。でも、寝ていてもお祈りなら出来たのに…。
お祈りしていたら、愛がない事に気づいて優しく出来たのに…。
教会のみなさんのためにも、お祈り出来たのに。
もっと親切に出来たのに、気づかずに自分だけのために生きていた。」
なんて言う悲しい事でしょう。なんなんだ私って。
愛のない私の自己中の罪。神さまが悲しまれる事だらけ。
悔い改めて、祈りました。「ごめんなさい。ごめんなさい。」
Aちゃんにも、飛んで行って謝りたいくらいです・・・。
Aちゃんがビックリすると思うので今はしないけど。
しかし、こんな私の罪のためにイエスさまは死なれたのです。
イエスさまの血潮を仰いで、またゆっくりでも歩み始めます。
走ってきたことが無駄ではない生き方って、簡単じゃないですね。
自分では無理なので、神さまに頼りながら、
目標に向かってイエスさまと一緒に走りたいです。
あなたがたは知らないのか。
競技場で走る者は、みな走りはするが、
賞を得る者はひとりだけである。
あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。
彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、
わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、
空を打つような拳闘はしない。
(コリント人への第一の手紙 9:24–26)
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