●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

悔い改めの祈りからのスタート

2016年12月09日 | 思うこと



「天国で価値ある生き方をしたい!」と思いましたので、

早速、とりあえずは祈りの生活を立て直しています。

でも、棚ぼた式に「無駄ではない生き方」が出来る訳ではありませんから。

しかし、まずスタートしないと始まりませんからね。

4日前から祈りのノートを適当につけて祈り始めました。

祈りの課題と、途中に聖書の言葉を入れて・・・。





で、昨夜、いつものように課題をあげてお祈りしている時に、

ある人(Aちゃん)のために祈っていたら、心にこみ上げるものがありました。

「あーー私はAちゃんを愛していなかった。

私は、自分のことばかりに生きて来て、浮かれて、

Aちゃんのことを愛して来なかった。

そればかりか、私は教会の人々を愛していなかった(T_T)」

と、神さまが私の姿を教えて下さったのです。



「言い訳なら沢山ある。でも、寝ていてもお祈りなら出来たのに…。

お祈りしていたら、愛がない事に気づいて優しく出来たのに…。

教会のみなさんのためにも、お祈り出来たのに。

もっと親切に出来たのに、気づかずに自分だけのために生きていた。」




なんて言う悲しい事でしょう。なんなんだ私って。

愛のない私の自己中の罪。神さまが悲しまれる事だらけ。

悔い改めて、祈りました。「ごめんなさい。ごめんなさい。」

Aちゃんにも、飛んで行って謝りたいくらいです・・・。

Aちゃんがビックリすると思うので今はしないけど。



しかし、こんな私の罪のためにイエスさまは死なれたのです。

イエスさまの血潮を仰いで、またゆっくりでも歩み始めます。

走ってきたことが無駄ではない生き方って、簡単じゃないですね。

自分では無理なので、神さまに頼りながら、

目標に向かってイエスさまと一緒に走りたいです。





あなたがたは知らないのか。

競技場で走る者は、みな走りはするが、

賞を得る者はひとりだけである。

あなたがたも、賞を得るように走りなさい。

しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。

彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、

わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。

そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、

空を打つような拳闘はしない。


(コリント人への第一の手紙 9:24–26)

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