こんなブログでも驚く程読んでくれている人がいるから、そんな人に大変失礼だけど。
ブログ書くのアキター!w。
たまにしか書かなくなっても、減らないのは何で? 同じ人が読んでるの?そんなこと無いよね。
それにしても毎日義務のようにブログ書いてる人もいる訳で、 読み手も、そんな他人の日記のようなもの読んで面白いかな。 書き手は何に満足して毎日同じことを書けるんだろ。
旅行や飲食、僕で言うと登山とか書いてくれてると ホントに参考になるから助かるし、 社会や政治問題で疑問を持って検索すると 自分と迎合してない人の意見も聞けて、新しい発見があったりする。
そしてブログには、いち国民の意見やメッセージ、 みんなに伝えたいことが伝えられるのも良いよね。 1億2千万人のわずかの人しか読んでないのが現状だけど。
でも、いち無名の国民の一人が発言できる場があるのは素晴らしいよね。
政治的な問題とかは、発言しないブロガーは多いけど。
それは友達をなくすとか、 違う考えを持っているのが知れるのを恐れたりして、隠したがるんだろうけど。
それが、日本では 政治観や宗教観が違っても友人になれる大人が育たない原因だと思う。 知人、友人間でも議論することが無いから、意見も考えも無い人間がふえて、 政治にも日本のことにも感心の無い人たちが、可哀想、怖いとか 皮相なことだけに反応して、 ただ戦争反対!平和を壊すな!原爆反対!と唱えれば良いとおもっている。
人の歴史の中で、争いごとや戦争が途絶えたことが無いと言うことを知らないのか、 考えたことも無いのか。
さらに、自分が傷つきたくないから、相手にも傷つかない言葉と話題、 上っ面な仲良しの会話で争いごとを、とにかく避ける会話。 会社の不満も上司への批判も何もかも事なかれで、 それを平和だと満足して生きている。
自己主張とか、社会の一員としての責任も介入もなく、 そう言う大切なことを言い合わないから、無知な当たり障りのない、 事なかれな、無関心な従順なサラリーマン的人間しか生まれないんだよ。
そして、一方の受け手は、声なき声に満足して 相手のことを、狭い視野でとらえた上司や年寄りが、 相手の本当の気持ちも理解せず、一方的な自分の解釈の親切心を押し付ける。 こう言う人は永久に自分がしてる自分目線の親切に、 良いことをしてやった、していると思っているんだろうね。
つくづく自分がそんなジジイにならずにおこうと思う昨今だ。