保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

そもそも、自殺は悪なのか…②「姨捨山」に見る善悪

2012年08月03日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

昔、年寄りの大嫌いな殿様がいて
「年寄りは汚らしいばかりで国のために何の役にも立たない」との考えから
「60歳になった年寄りは山に捨てること」というお触れを出しました。

殿様の命令にはだれも逆らえません。

親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。

ある日のこと、一人の若い男が60歳になった母親を背負って山道を登っていきました。

気がつくと、背中の母親が「ポキッ、ポキッ」と木の枝を折っては道に捨てています。

男は不思議に思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。

年寄りを捨てるすのは深い深い山奥です。

男が母親を残して一人帰るころには、辺りはもうまっ暗やみ
男は道に迷って母親のところへ引きかえしてきました。

息子の姿を見た母親は静かに言いました。

「こんなこともあろうかと、途中で枝を折ってきた。それを目印にお帰り」

子を思う親の優しい心にふれた男は、殿様の命令に背く覚悟を決め、母親を家につれて帰りました。

しばらくしてとなりの国から「灰で縄を綯(な)え。できなければおまえの国を攻める」と言ってきました。

殿様は困り果て、「誰か知恵のある者はいないか」と国中にお触れを出しました。

男がこのことを母親に伝えると、「塩水に浸したワラで縄をなって焼けばよい」と教えられ
男はこの通りに灰の縄を作り、殿様に差し出しました。

 しかし、隣国からはまた難題を言ってきました。

今度は曲がりくねった穴の空いた玉に糸を通せというのです。

今度も男は母親に、「1つの穴の周りには蜂蜜を塗り
反対側の穴から糸を付けた蟻を入れなさい」と教えられ殿様に伝えました。

すると、隣り国では「こんな知恵者がいる国と戦っても、勝てるわけがない」と
攻め込むのを諦めてしまいました。

殿様はたいそう喜び、男を城に呼んで
「褒美をとらす。欲しいものを言うがよい」と言いました。

男は、「褒美はいりません。実は・・・」男は決心して母親から知恵を受けた事の顛末を話しました。

「なるほど年寄りというものは有り難いものだ」

殿様は自分の考えが間違っていたことに気づきお触れを出して年寄りを捨てることを止めさせました。

それからはどの家でも年老いた親と仲良く暮らせるようになりましたとさ。 

 

昭和31年(1956年)にはこの伝説を基にした短編小説「楢山節考」が発表され
その後映画化、最新は昭和58年でした。

この中では、老人を山に捨てる風習は“貧困による口減らしのため”とされています。

日本人の心の底に沈んでいる民俗の闇にメスを入れると同時に
今日の物質文明の根底に潜む人間感情の原資を捉えたものとして話題になりました

ただし、私はこの物語りを読んでも観てもいませんので
様々な方の論評を基にこれからの記事を書いて行くことをご了承ください。
 

ところで、「姨捨山」では年寄りが死ぬことは善です。

お触れ(法律・条例)に従って捨てる(=死)のですから。

「楢山節考」でも年寄りは、少なくても悪ではありません。

若者の食料を確保し彼らの命を繋ぐのですから。

「姨捨山」ではお触れが悪なのでしょうし、「楢山節考」では口減らしという風習が悪なのでしょう。

つまり、本人は悪くなく、生きている社会が悪いということになります。

そして、どちらも“捨てられ”ますが、その後息を引き取るまでの間は自殺と同じです。

多分、手を合わせて餓死するのを静かに待つのでしょうから。

 

*餓死について…ある医師の著書によると餓死(飢餓+脱水)の時、つまり
空腹とのどの渇きを我慢し命の火が消えかかる時になると
飢餓状態により脳内にモルヒネのような物質が分泌され
気持ちがよく幸せムードに満たされると言い、また脱水状態になると
血液が濃く煮詰まって意識レベルが下がりぼんやりとしたまどろみ状態に陥り
さらに死に際には、呼吸状態が悪くなることによる炭酸ガス過多が麻酔作用をもたらすなど
様々な身体の仕組みが死の苦しみを防いでくれるのだそうです。

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