TVでは毎日のように「若いですねぇ、とてもお歳に見えません」と
見てくれが商品の俳優・芸能人を褒めあげて
彼らの言う〇〇健康法や××美容法なるものまで取り上げ
歳を取ることによる老いを忌み嫌う向きの番組が流れています。
同じ歳に死ぬのであれば、それまでを健康で綺麗に過ごすことは良いと思いますが
合わせて、“ご長寿”を頻繁に取り上げて褒め称えているのですから
長寿こそが善とする風潮を暗に煽っていることは確かです。
事実、東日本大震災の影響もあり香港に女性の長寿世界一の座を開け渡したとは言っても
2011年の集計における男女合計は現在でも世界一を誇る日本です。
しかし、果たして他の先進国はそれほどの長寿を目指しているのでしょうか?
いえ、長きに渡り欧米を手本として、今やそれらを追い越すまでの先進国になったのですし
何よりも“散り際の美学”を持っている国民なのですから
もうそれほどの長寿を目指さない独自の道を歩んでも良いではのではないでしょうか。
それが年金・医療を主とした社会保障費の大幅な支出増加を生み
現役世代の各種保険料を押し上げて彼らの購買力を低下させ、
結果として経済立国であるこの国を弱体化させている現実があるのですから。
ましてや、少子高齢化は致命傷です。
こうした己の足元も見ずに、なぜ、いたずらに長寿を褒めたたえるのでしょう?
長生きして何をするのか、所詮
年金や蓄えの一部を浪費して趣味などで遊び呆けているだけのことではありませんか。
それならむしろ、消費意欲が強い若い世代に早い時期に眠らせている資産を相続させる一方
年寄りに掛かる国の、つまりは彼らの負担を減らせば
国内消費が拡大して経済を活性化してくれるに違いないと思うのです。
若者には今後の日本を担う子供の大切さを説くと同時に
子供を増やす不安を解消する、そして買いたいものが買えることで働く意欲が増え
当然の結果(?)として世の中の経済が活性化する
一方、年寄りには、死を如何に自然に苦しみ無く迎えることができるのかの研究を急ぎ
それを通じて漠然とした恐怖から解放し、かつ尊厳のある死を提案し希望に沿ってどんどん死んでもらう…。
大した額ではないのでしょうから、長生きするための生きがいが欲しい年寄りに
それを与えるために現在でも行われている施策まで否定するつもりはありませんが
基本的には他人から生きがいを与えられないと生きていけない年寄りなど放っておけばよいのです。
それを必要とする年寄りは自分で必死に見つけ出して生きていくものです。
例え自殺であろうが、死にたい年寄りを減らす必要などまったくありません。
それでなくても生殖という最大の人間の責務は果たし終えているのですから。
また、尊厳は人それぞれなのですから。
とにかく、負担にばかり気を取られていては将来を見据えることなどできるはずもないのですから
まずは現在の社会の負担を減らすべきです。
その意味からも、治すことを超える延命治療など
前提を「しない」に変え、本人がどうしてもと希望する以外は即刻、止めるべきです。
もちろん、必要な法制化は急ぐべきで、本人・家族の意向に沿った医師を守らないと
実現できるはずがありません。
これら、死にたい年寄りを妨げる必要はないなどと言うと、「年寄りを何だと思っている」と叱られそうですが
これは他人から言われるからそう腹を立てるだけであって自分の問題にしていない証拠です。
“死”はいけないもの、避けるべきもの、また縁起が悪いなどとタブー視して
多くが語られない社会がずっと昔から続いています。
加えて、情報社会と言われる今でさえ、80%の人が「畳の上で死にたい」と言っているにも拘らず
全くま逆の80%を超える割合で病院や施設で亡くなって行くお年寄りの実態が
メディアで紹介されることはほとんどありません。
長寿の陰に潜んでしまっているその辺りの現状を明らかにする努力をメディアに要求しつつ
倫理的な壁を少しでも超えるため、自らの親を看取った経験を公開することから始めて
まずは年寄りに片足を突っ込んでいる我々団塊の世代から
もっと大っぴらに死、及び死に方の選択肢について語れる社会を提案していかなければなりません。
15~20年後という近い将来
精神的な倫理観だけでこれだけ数多くの年寄りの面倒を看ることはできないのですから。
*これは現時点での私個人の本音ですが、今後
刻々と変わる可能性が否定できないことを、念のため、申し添えます。