保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

そもそも、自殺は悪なのか…④長生きという迷惑(その2)

2012年08月12日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

家族の食料が不足する状況などほとんど考えられない今の時代なのに
なぜ、高齢者(年寄り)が、自分が生きていることが
家族に迷惑を掛けているのではないかと感じてしまうのでしょう?

まず第一に、家族(ひいては社会)が年寄りを必要としているのかという問題があります。

少なくても、肉体的な労働を通じての一般社会参加という点で
期待されていないことだけは間違いありません。

では、いわゆる経験に基づく知識や知恵は求められているのでしょうか?

科学があまり進歩せず、おなじような生活を何十年、何百年と繰り返している時代は
それらが大いに役に立ったことでしょう。

特に国の経済の根幹を農業においていた江戸時代まではそうでした。

しかし、明治以降はそれまでの時代を封建社会と呼び完全否定した上で
社会のあらゆる部分で欧米の真似をし追い付け追い越せの道をひたすらに歩み続けてきました。

そして、いわゆる戦後は占領国であるアメリカの影響を強く受けることになります。

日本文化をさえ“古いことは悪いこと”として軽んじる傾向
つまり逆に言ったら日本人の外国崇拝は、こうした歴史に基づいて形作られてしまったのでしょう。

とは言え一方では、経済の基本を工業に置き替えた国作りが大成功し
その技術は革新に次ぐ革新を重ねて工業経済大国と呼ばれるまでに登り詰めています。

10年ひと昔、いえ5年前のことでさえひどく古く感じるほど
科学的進歩に因る社会の変化は現在でも急激で、それは日常の暮らしぶりにも及んでいます。

なかでもパソコンとインターネットの普及は劇的に世の中を変え
今や一人が提供する知識や知恵を
何万人ものそれを求める人々が共有することなどごく容易なことです。

ところが、この変化に付いて行けず、情報の提供すらできない年寄りは
今後ますます増加するはずです。

実際、仕事から引退した私は
もう勘弁して欲しい思いでスマートフォンから逃げています。

だって、電話でさえ小学生の頃はまだ一家に1台もなかったのに
社会人になってすぐにテレックス、次いでファックス
同じ頃にポケットベルそして自動車電話、しばらくしたら携帯電話になり
ドンドン小さくなったと思ったら今や子供も含めて一人に1台
メールどころか今度はパソコン機能まで内蔵されたスマフォだと言われても…。

仕事上必要だったから40年間、必死に付いてきただけのことです。

何年か後、少なくても知識や知恵において社会が必要とする年寄りなどごく少数で充分だと
言い切ってしまう私が間違っていればよいのですが…。

そして、第二の問題は必要性などという曖昧なものでなく、家族(ひいては社会)が
治すのみならず死に踏み込むまでに進歩した医療を含めた現代の物質文明における
精神的、物質的つまり、介護や看護における家族の心の負担や
手が掛かる、お金が掛かるという現実を目の当たりにして暮らしているからでしょう。

例えば、病院で病気の治療が終わり延命治療で症状が安定すると
そのままそこに入院していることはできず、自宅での家族による
または入居待ちが列をなしている施設へ入居しての有料による看護・介護を強要されます。

日本では、親の面倒を看るのは家族だという基本的仕組みになっているからです。

事実、 周りには平均寿命を超えた数多くの
そうした年老いた親の面倒を看る我々団塊の世代がいます。

国民4人で一人の面倒を看ている今でさえ、特に女性、すなわち私達の女房が集まれば
「看護や介護の心身及び金銭の大変さ」がすでによく話題に挙がっているのです。

それどころか、80歳を超えた私達の母親が
さらに高齢な父親の世話をしている世帯のなんと多いことか。

それでもまだ、我々団塊世代の親は恵まれた年金受給が受けられていますし
高度成長期の蓄えがありますので金銭面は救われています。

しかし、15~20年後、現在40代の団塊の世代Ⅱ世が親(我々)の面倒を看る頃は
この金銭面においても、面倒と言うよりむしろ迷惑をかける事態に陥ることは誰が見ても明らかで
国民2人で一人の年寄りの面倒を看なければならないことはよく知られています。

自分たちが経験した以上の迷惑を子供達にはかけたくないと思う気持ちは自然です。

だからこそ、世界一の長寿を誇る高齢者国家なのですから
もう先進国の後塵を浴びることは止め、世界に先駆けて今から我々が
自分達世代の“口減らし”の具体的方法を模索し始める時代なのではないでしょうか。

少子化の影響で若い人は減る一方で経済的な発展はしばらくは望めそうもないのです。

人気取りの政治家に「年寄りは早く死ね」めいたことを言わせることは所詮無理ですし
若い方達にそれは酷と言うものです。

つまりは我々団塊の世代が自ら声を上げなければなりません。

若い方にとって「どうせいつかは死ぬのだから…」というセリフは
「だから今は一生懸命生きよう」になるのでしょうが、年寄りにとっては
「だったら迷惑をかけないうちに死んだ方が良い」になり得ることも事実なのですから。

ただし、入院治療を受けている親達のこの恵まれた年金を当て込んで
自分たちの生活を成り立たせている輩も一部に存在するやに聞いていますので
こうした人々にとっては口減らしなどとんでもない話で、他の家族や社会のことはともかく
自分の親だけは、例え植物人間になって惨めな姿をさらそうとも
生きていてもらわないと困る、というひどく悲しい現実もすでに耳に入っていますが
こうしたごくごく一部の例外中の例外の話は無視させていただくことにします。

この親御さんが、こうした延命治療を願っていたか
もしくは、そうでなくても、子供のためには仕方がないと思っていることを心から願いつつ。

 

 

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