半年もの間、首都東京が火災で消失させるための爆弾により大空襲を受けたにも拘わらず
即時降伏せず、3カ月後の広島・長崎の悲劇を導いてしまった日本政府の姿勢が
「原爆投下は終戦を早めるために必要だった」などと米国に言わしめることになったとする意見に
不本意ではあっても、賛成せざるを得ません。
国民を特攻により死なせる国なのですから、公に負けを認め停戦を宣言しない限り
「窮鼠、猫を噛む」の如く、何をするか分からないと怖れられてもしょうがないと思うのです。
私はこの終戦から4年も経って生まれていますので
日本が自ら突き進んで来た長い戦争の歴史を一日たりとも経験することはなく
その後の平和な時代だけを謳歌する人生を歩ませてもらっています。
いつの間にかマスコミがこの日を「終戦記念日」ではなく「終戦の日」と呼ぶようになった理由は
記念日が“その日を祝う”というニュアンスを含み違和感や抵抗感を感じる人が多いためと聞いています。
確かに、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と位置づけられ
平和の有り難さを理解するためとされる戦争の悲惨さを伝える話ばかりが伝えられます。
元を辿れば、明治後半から始まった数多くの戦争の歴史の最後となったこの戦争は
その時代を生きた人々がいわゆる列強諸国に対抗する大義の下で軍事力の急速な増強に努め
その後それを行使する国の暴走を許し、自ら辿りついてしまった道そのものであって
多くの悲惨な出来事はその結果に過ぎません。
その部分だけを語り継ぐことが戦争のない平和な世の中の大切さを認識することに繋がるのかどうか
私には極めて疑問ですが、完全否定するだけの知識も勇気もありません。
ただ、米国に寄る強制ではあったにしろ、国民主権の民主国家となった
戦後生まれの立場を前提に言わせていただければ、この日に限ってとは言っても
ほとんど同じような内容の話を何度も聞かされることには、それこそ“抵抗”があります。
家庭における「また年寄りのいつもの話が始まった」と同種の食傷感を禁じ得ないからです。
戦後67年、お盆とくしくも同じ時期ですから戦没者追悼式は今の通り行うにしても
“終戦=敗戦が決まり残念で悲惨な結果に終わった日”という暗い位置づけから脱して
結婚記念日、創業記念日、独立記念日などと同じように
長い戦争の時代が終わったことに重きを移し“終戦とその後の平和を祝う日”と解釈を変え
若い世代が進んで参加できる楽しい祭典の「終戦記念日」にすることはできないものでしょうか。
嫌なことは早く忘れようとするのが人間の脳の作用そのものなのですから
風化を叫ぶのであればなおさらです。