拝啓 陳者貴家新仏さま
秋月忌(おさめ法要)並びに因脈会(おけちみゃく)を左記により修行いたします。
(中略)
新たに来る年を迎えていただく意味の追善法要です。
また、因脈のお血脈につきましては当日それぞれにお渡しした後
その場にてお説教、お話し申し上げます。以上
またまた、曹洞宗である菩提寺から届いた難解な手紙です
はいけい ちんしゃ きけ しんぼとけさま?
最初から読み方すら分からず、パソコンを横に読み方と意味を解き明かしました。
冒頭は「はいけい ノブレバ キカ ニイぼとけさま」と読むようですが
特に、陳者を「ノブレバ」と読むなんて…
・陳者(読み方:のぶれば)・・・候文(そうろうぶん)の手紙において
冒頭のあいさつの後、本文に入る前に書く語。申し上げますが。さて。
・貴家(読み方:きか)・・・相手を敬ってその家・家族をいう語。多くは手紙などで用いる
・新仏(読み方:にいぼとけ)…葬ってまだ日が浅い死者。
(「しんぼとけ」や「あらぼとけ」と読むと、死後初めての“盆”に迎えられる仏を指すらしい)
ようやく最初の1行を解読し、いよいよ本文です
・秋月忌(おさめ法要)…「秋月忌」は多分「しゅうげつき」と読むのでしょうが
ネットでもこれを探し当てることはできませんでした。
もっとも、(おさめ法要)とあるのですから
“年納めか“定例行事納め”の法要のことをこのお寺ではこう呼ぶと解釈してよいのでしょうか。
・血脈(読み方:けちみゃく・けつみゃく)… 師から弟子へと代々、仏法を正しく伝えること。
また、在家(ざいけ)の受戒者に仏法相承の証拠として与える系譜。
・因脈(いんみゃく)…授戒会に1日だけお参りして戒師さまとご法縁を結び
またいつの日か授戒会に参加できるよう因縁を作っておくことで
仏弟子としての証明書である「お血脈(おけちみゃく)」を頂くこと。
授戒会…戒会ともいう。戒師・教授師・引請師の三師を始め
僧侶がそれぞれの配役に当たり一寺に集会し、戒弟に対して仏の戒法を授けて
仏位に入らしめ、仏祖正伝の血脈を授与すること。
戒を授けるための法会には、その日にちの長さで、因脈会・法脈会・授戒会などの違いがあるが
授戒会は一週間にわたり、毎日坐禅や礼仏などを修行し、説戒・説教を聞き
5日目に懺悔式を行って捨身供養をし、6日目に仏の戒法を受けて登壇し
仏位に入る証明を得たとするお血脈の授与を受ける。
・追善法要…亡くなった者に対し、その者の冥福を祈って行われる法要または読経のことをいう。
法要の本来の意味は仏教において釈迦の教え(仏法)を知るということ
つまり仏法の要点・肝要を知ることだが、日本ではしだいに供養(追善供養)のことを指すようになり
その後一般的に死者を弔う儀式をさすようになった。法事(ほうじ)、仏事ともいう。
〔説明〕人は死んだらそれでおしまという訳ではなく、死後必ず来世に生まれかわります。
来世には、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間界」「天上界」の六つの世界があり
私達はこの6つの世界を転生しつづけ、死後、苦しみの多い世界に生まれるか
苦しみの少ない世界に生まれかわるかは、その人の生前の「業果」によって決まると言われています
私達は、亡くなられた方が少しでも苦しみが少ない、幸せな来世に生まれ変わって欲しいと願います。
しかしながら、亡くなられた方はもうこの世での善行(仏様への供養)を積むことが出来ません。
そこで私達が善行を積み、その善行を亡くなった方に振り向けていただく為に仏様にお願いをします。
これが七日毎の法要であり、亡くなった方を仏様にお願いできるのはこの日だけとされています。
この善行による願いは必ず叶えられるといわれ、「追善供養(追善法要)」と呼びます。
永平寺関連のHPには次のような案内も載っていました。
〔お授戒(じゅかい)のご案内〕
毎年、永平寺では4月下旬に「高祖大師報恩授戒会」が行われます。
これは、これまでの自分が犯してきた過ちや、気づかないような不注意までも深く懺悔し
仏さまの子である自覚を持ち、悟りを求めるお誓いをする行持です。
曹洞宗には、年間を通じて数多く特別な講式や行(ぎょう)がありますが
授戒会はその中でも最も大切な一つです。
毎年100名を超える戒弟(かいてい)の方がたが一週間
法堂(はっとう)で寝食を共にし、多くの教えを受けます。
そのために、山内の僧侶は4月になると、準備に大変慌しい毎日を送ります。
また、この時期には100名を超える全国各地の僧侶が集い
意を同じくして各々の役目を勤めます。
他にも、日頃では作ることのない特別な料理を心を込めて作る庫院(くいん)の担当者など
関係者一同が一体となり、お誓いを受ける方がたに尽くします。
会の終盤には、戒師さまから因脈(いんみゃく)を賜り
仏さまの教えに沿い日々の生活を送るお誓いをいたします。
これを「発菩提心(ほつぼだいしん)」といい、最も尊い行いであるとされています。
以上ことから、この手紙文を現在風に言い直すと、次のようになるのでしょう
拝啓 葬ってまだ日の浅い死者のいるご家族の方に申し上げます。
定例行事納めと合わせて、亡くなられた方に
仏法(仏の教え)を授けて仏位に入らしめるための法要を執り行います。
(中略)
亡くなられた方は、もうこの世では善行を積むことができませんので、ご家族の方が代わりに法要を行い
それを死者の方に振り向けていただくためのお願いをした上で、新たに来る年をお迎えください。
本来、この授戒会は1週間に渡りますが、1日だけお参りしていただきお説教とお話しを聞くと
仏法を正しく伝承した証としての証明書をお渡しできますので、ぜひご参加ください。
なお、この証明書は後日で結構ですが、お墓にお納めください。 以上、ご案内まで。
それにしても、信仰心がなく仏教とは縁のない生活をしている私にとっては
身内が亡くなった途端に、なんともまあ難解な言葉が溢れる世界に
引きずり込まれている感じが否めません。
ほとんどの家と同じく我家にも仏壇があるのですから、都会の“坊主バー”のように
お寺さんも普段から仏教がもっと身近になるような努力が必要なのではないでしょうか。
仏教が、「お寺さんに行ったり呼んだりするには必ずお金が必要」だったり
生前は無縁で済むものが突然、深く関わってくるような今の存在のままだとしたら
残された家族の精神的・物理的負担を考えて、私は遺言に
「葬儀は(具体的にこうするように)。なお、一切の仏事は無用」と書くことになるでしょう